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ある日、ファラオは不吉な夢を見ました。七頭のやせ細った雌牛が、別の七頭のまるまると太った雌牛を呑み尽くしてしまった夢です。ファラオはその夢の不気味さについて、「やせ細った雌牛は太った雌牛を呑み込んだ後も、なおやせ細ったままだった」と語っています。
いったいこの不吉な夢は何を意味しているのでしょうか? 胸騒ぎを覚えたファラオは、エジプト中から優れた賢者や魔術師を呼び集め、夢の意味を問い質しました。しかし、エジプトには誰ひとりとしてファラオに満足に答えることができる賢者、魔術師はいなかったというのです。
するとその時、かの給仕長が「恐れながら」と、ファラオに恭しく近寄り、語り始めました。「二年前、料理長と共に牢に入れられた時のことです。私たちは同じ夜にそれぞれ夢をみました。すると、同じ牢の囚人にヨセフというヘブライ人の若者がおりまして、私達の夢を見事に解き明かしてくれたのです。ヨセフが解き明かした通り、料理長は三日後に処刑され、私はこのように元の職に復帰することができました」
ファラオは、給仕長の話を聞くと、すぐに家来に命じて、ヨセフを宮廷に呼び出しました。ファラオの前に連れてこられたヨセフは、エジプト中の賢者、魔術師が束になってもその意味を説き明かすことができなかった夢を、見事に解き明かしました。
「ファラオの夢は、七年間の大豊作の後に七年間の大飢饉が起こり、その被害はエジプトを滅ぼしかねないほど大きなものになる、という神様の知らせでございます。事はまことに深刻でありますが、これは決して災いの知らせではありません。今のうちから飢饉に備えよ、そして救われよとの神様の恵み深いご託宣なのです。どうぞ、優れた監督を立て、豊作のうちにできる限りの穀物を備蓄なさいませ。そうすれば、大飢饉が起こったときに、被害を最小限に止めることができましょう」
ヨセフの解き明かしを聞いたファラオをいたく感心し、「お前こそ神の霊が宿っている人間だ。お前をおいて他に監督の仕事を任せられる人間があろうか」と言って、ヨセフを、ファラオを補佐する最高の官職である宰相に任じたでありました。
こうしてヨセフの長い長い暗闇の中にあった人生は、突然、明るさの中に突き抜けました。考えてみると、すべてはこの日のためでありました。エジプトにさらわれてきたことも、ファラオの側近である侍従長の奴隷となったことも、王の囚人をつなぐ牢獄に入れられたことも、すべてのことがヨセフをファラオに出会わせるこの日のための道行きであったと思えてくるのです。この日、すべてのことがヨセフにとって益となり、意味のあるものとなりました。
侍従長の家ではエジプトの高官たちが常に出入りし、根回しや極秘の政治が行われていたことでありましょう。また家の中のことも、農地のことも任せられるようなったヨセフは、きっとそこで農業についての知識も学ぶことができました。さらに、王の囚人をつなぐ牢獄にいた時には、給仕長や料理長もそうですが、エジプトの宮廷や政治に関わるさらに多くのバラエティに富んだ人々が送り込まれてきました。ヨセフは奴隷として働きながら、囚人としてつながれながら、ふつうでは決してお目通りのかなわぬこの人々に親しく接し、またふつうでは決して聞けないような話を耳にし、エジプトの政治や知識、また裏事情に至るまで、非常に効率よく学び取ることができていたのであります。
ヨセフはいきなりエジプト宰相に任じられたのでありませんでした。この日のために神の教育を受けていたのであります。ヨセフは、エジプトに関する多くの知識を身につけ、しかも霊的な訓練を受けて、準備万端が整えられておりました。
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さて、今日はこのように宰相となったヨセフの政治のお話をしたいと思います。
ヨセフが宰相になりますと、さっそくエジプトの国には大豊作が訪れ、豊かな稔りで大地が黄金色に色づきました。そんな年が何年も続き、誰もが豊かな生活を信じ、安心しきっている時に、ヨセフはエジプト全国を行き巡り、大飢饉を警戒せよ、直に働きたくても働けない時が来るのだから今こそ精を出して働けと、農民たちを叱咤激励し、町々に村々に巨大な穀物倉庫を建てさせ、穀物の備蓄のために力を尽くしたのでありました。
豊作の七年の間、大地は豊かな実りに満ち溢れた。ヨセフはその七年の間に、エジプトの国中の食糧をできるかぎり集め、その食糧を町々に蓄えさせた。町の周囲の畑にできた食糧を、その町の中に蓄えさせたのである。ヨセフは、海辺の砂ほども多くの穀物を蓄え、ついに量りきれなくなったので、量るのをやめた。(41:47-49)
この働きは、非常に悩みと労苦の伴うことであったに違いありません。ヨセフは、たとえファラオが認めた人間であったとしても、卑しき奴隷から、いや囚人からいきなり抜擢された人間でした。彼には、三十歳の若者に過ぎず、学校も出ておらず、社会的にも認められるような実績は何一つありませんでした。特に問題だったのは、彼がエジプト人ではなくヘブライ人だったことです。このような人間を、誇り高きエジプトの貴族、官僚たち、地方の豪族たちがどのように迎え入れたでしょうか。ファラオの権威を身に帯びていたのですから、表面的には恭しく迎え入れていたに違いありません。しかし、心の中では卑しき者、成り上がり者と見下し、陰に隠れて、あるいは露骨に意地悪をしたり、反感やねたみをもってヨセフに抵抗していたのではないでしょうか。
農民たちはどうでしょうか。私もそうですが、人間というのはせっぱ詰まっていないと一生懸命に動こうとしないことがあります。大豊作が七年も続くような平穏無事において、危機感をもっていつも以上に努力をし、飢饉に備えるというのは、よっぽど人間でないとできないことだと思うのです。そういうことを考えますと、農民たちも決して進んでヨセフに従うというよりも、反感を持ちながら仕方なく言うとおりにするというのが実情だったのではないでしょうか。
ヨセフは、このように立ちはだかる多くの困難を克服して、七年の大飢饉にも耐えるだけの穀物を豊かに蓄えるという気の遠くなりそうな仕事を成し遂げたのでありました。
いったい何が、ヨセフをそこまで駆り立てたのでありましょうか。ヘブライ人のヨセフにとって、エジプト国民のためにそこまで重荷を負って義理立てする必要があったとは思えません。ファラオへの恩義もあったでしょうけれども、ここまで引き受ける必要はなかったのではないでしょうか。自分の利益だけを考えて生きる人であるならば、もっと要領のいい楽な生き方があったとも思われるのです。それとも政治家になることこそヨセフの夢だったのでしょうか? もちろん、そんなことではありません。では、いったいヨセフの心を占めていたことは何でしょうか? ヨセフはなぜ、このような重荷を負い、犠牲的な人生を生きようとしたのでしょうか。
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それは、ヨセフにとって人生とは神のものであり、神の使命に生きることにこそ最高の喜び、最大の目的であったからなのです。そのようなヨセフの信仰、人生観は、これまで学んできましたヨセフのいくつかの発言の中にも見てとることができます。
この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。
39章9節
これはヨセフがポティファルの奥さんから誘惑を受けた時に語った言葉です。すべてのことはわたしに許されているけれども、神に罪を犯すことだけはできない、したくはないと、ヨセフは答えています。ヨセフにとって人生とは、自分のやりたいことをやって生きることではなく、時には我慢もし、忍耐もして、神様の御心を行うためのものであったからなのです。
解き明かしは神がなさることではありませんか。40章8節
この言葉は、ヨセフが牢獄にいた時、夢の意味がわからなくて悩んでいた給仕長と料理長に語ったものです。人生には、「なぜ、こんなことがわが身に起こるのだろうか」というような事が、しばしば身に降りかかってきます。「解き明かしは神がなさることである」とは、神様こそ、その「なぜ」を知っておられるお方であるということなのです。言い方を変えれば、神様こそが私達に人生を与えておられる方であり、その人生の設計者であるということであります。
神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。41章25節
これは、ヨセフがファラオの夢の意味を解き明かした時に語った言葉です。ヨセフは、神が私達の人生に投げかけておられるメッセージを受け取ることが大事であると言っています。それを聞き取り、神が私達の人生に何を望んでおられるのか、今自分は何をすべきなのかということを考えるべきである、というのがヨセフの人生哲学でありました。
神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった。41章51節
神は、悩みの地で、わたしに子孫を増やしてくださった。41章52節
これはそれぞれ、ヨセフに長男、次男が生まれた時の感謝と喜びの言葉です。神様のために生きる人生は、必ずしも穏やかではありません。悩みもあり、重荷もあります。しかし、神様は私達の労苦を決して忘れ給うことなく、必ず豊かに報いてくださるのだという、人生に対する深い信頼がここで語られているのだと言ってもよいでありましょう。
このような信仰と、人生に対する信頼と希望があればこそ、ヨセフはエジプトとして宰相として生きる人生の労苦をいといませんでした。自ら進んで犠牲的な人生の中に身を投げ出し、自分のためにというよりは、天の神様の御心のために、また神様が救おうとされているエジプト国民のために身を投げ打ったのであります。
そして、その働きと労苦の大きな価値は、ヨセフが解き明かした通りに大飢饉がエジプト全国を襲った時に明らかにされました。
ヨセフが言ったとおり、七年の飢饉が始まった。その飢饉はすべての国々を襲ったが、エジプトには、全国どこにでも食物があった。やがて、エジプト全国にも飢饉が広がり、民がファラオに食物を叫び求めた。ファラオはすべてのエジプト人に、「ヨセフのもとに行って、ヨセフの言うとおりにせよ」と命じた。飢饉は世界各地に及んだ。ヨセフはすべての穀倉を開いてエジプト人に穀物を売ったが、エジプトの国の飢饉は激しくなっていった。また、世界各地の人々も、穀物を買いにエジプトのヨセフのもとにやって来るようになった。世界各地の飢饉も激しくなったからである。
実は日本人にもヨセフとたいへんよく似た生き方をして、飢饉から多くの人々を救った人物がいます。その人の名を明かす前に、彼の言葉を紹介したいと思います。
「かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願うとの身ぞ、元のあるじとは天を云う。このかりの身をわが身と思わず、生涯一途に世のため人のためのみを思い、国の為、天下の為に益あることのみを勤め、一人たりとも−村たりとも困窮を免れ富有になり、土地開け道橋整い安穏に渡世の出来るようにとそれのみを日々の勤めとし、朝夕願い祈りて怠らざるわが身である・・・これわれ畢生(ひつせい)の覚悟なり。」
我が身は天のあるじのものである。だから、天下のために益あることのために生きるのだ。これこそ朝に夕に私が祈っていることであり、わが一生の覚悟であると、このように言っています。これは、二宮金治郎(尊徳)の言葉なのです。
実は、私は小学校二年生を終えるまで、二宮金治郎の生まれ故郷である小田原市の栢山に住んでおりました。通学路の途中に二宮金治郎の生家があり、小学校の校庭には柴を担ぎながら本を読んで勉強している金治郎の銅像があり、校歌の中にも「われらの手本、尊徳先生」と歌われていました。ですから、子供の頃から勤勉で、親孝行で、倹約家の金治郎の話をよく聞いていたのですが、金治郎の人生は、ヨセフと驚くほどよく似ています。私は、ヨセフがエジプトを大飢饉から救ったというお話しを読みますと、どうしても二宮金治郎のことを思い出すのです。
江戸時代の末期、二宮金治郎は比較的裕福な農民の子として生まれました。ヨセフもまた、裕福な遊牧民の子として生まれます。しかし、ヨセフは十七際の時に家も、家族も失い、エジプトで奴隷となってしまいます。そして、金治郎もまた十六歳の時に、家も、田畑も、家族も失い、一人親戚の家に預けられ、厳しい労働に従事させられるのであります。
しかし、そんな苦労に少しもへこたれることなく、自らの置かれた境遇の中で一生懸命に働き、やがて人々に認められていったという点も、ヨセフと金治郎はとてもよく似ています。ヨセフは奴隷に落ちぶれながらも、その中でコツコツと一生懸命に働き、やがて家の中のことの一切を任せてもらえる人間になっていきました。金治郎も同じです。洪水で荒れ果ててしまった田畑をコツコツと開墾し、人々が田植えを終わった後に捨てられた苗を拾ってきては、それを田畑に植え、最初は一俵の米を収穫します。それをだんだん積み重ねていって、とうとう二十歳の頃には没落した生家を復興させてしまうのです。その評判が、小田原藩の家老の耳に届き、金治郎は子供の教育係として家老の家に召し抱えられます。そこでも、金治郎の誠実な働きぶりと才能が認められ、やがて家老の家の財政まで取り仕切るようにまでなるのです。こうした金治郎の評判は小田原藩主・大久保忠直の耳にまで届き、大久保家の家臣として農政を任せられるようになりました。
私がヨセフと金治郎がもっともよく似ていると思う点は、二人とも襲い来る飢饉を予測し、その飢饉から農民を救ったということです。金治郎はなすびの漬け物を食べて、その味がおかしいことに気づき、飢饉を予測したといいます。そして、農民たちに飢饉に強いヒエや粟などの雑穀を作らせ、それを備蓄させたのです。果たして金治郎の予測どおり、飢饉がやってきました。しかも、日本全国で数十万の餓死者を出したと言われる天保の大飢饉であります。しかしこの時、金治郎の活躍のおかげで、小田原藩の領民四万人にはひとりの餓死者もでませんでした。その後、金治郎は幕臣に抜擢され、日本全国の農村の指導にあたることになります。
こうした金治郎の生き方の背景にあったのは、儒教の教えであります。その点、ヨセフの信仰とは大きく異なっていました。そして、信仰が異なればすべてが違うと一蹴することもできるかと思うのです。しかし、私は敢えて二宮金治郎を紹介させていただきました。まことの神様を知らなくても、二宮金治郎は、自分の人生は「天のあるじ」から与えられたものであって、天下に益することのために、世のため、人のためにあるのだと信じて、そのように生きることができたのです。もし、私達が「まことの神様を知っている、あるいは知らされている」というならば、彼以上の生き方が出来ていなくてはいけないのではないかと、私は少し恥ずかしく思うのです。
逆にいうと、私達は本当にまことの神様を知っているのでしょうか? 私達はしばしば人生の目的、意味、価値、幸不幸ということを考えるときに、「私は何になりたいか」、「私は何をすべきなのか」、「私は何を得たか」、「私は目標にどこまで近づいたのか」、「私の夢や願いはかなったか」ということを、自分自身に質問しています。そして、自分自身で答えを出そうとしています。自分はよく出来た、まだまだである、ぜんぜん駄目だ・・・。そんな風に考えていいたらば、永遠に人生の目的を知ることはできないでしょう。それどころか、あのペトロのように「あなたはわたしの邪魔をする者だ」と言われる者になってしまうのです。なぜなら、私達の人生の目的とは神様のうちにあり、神様によって与えられるものであるからです。イエス様はこのように言われました。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。マタイ16:25
この御言葉を、ある人がこのように意訳しました。
「自分に固執していると、やがて行き詰まることになる。しかし、神を仰ぎ見ていれば、開放的で、広々とした、自由な人生が目の前に開けてくるのである」
ヨセフや二宮金治郎の人生を取り上げるまでもなく、人生というのは多くの悩み、苦しみ、悲しみで満ちています。思い通りにならないこともたくさんあります。それにも関わらず、自分はこうしたい、ああしたい、こうでなければ嫌だと、自分の願いや目的のことばかりを考え、それに固執し続けると、必ず人生は行き詰まってしまうのです。どこにも道がないように見えてしまうのです。そして、生きる希望も、生きたいという願いも失われていくのです。それが、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失う」というイエス様の言葉の意味です。
しかし、神様の目的が自分の人生にあると考えるならば、神様の目的の中で、すべてのことがつながり、意味をもってくるのだという希望が開けてきます。そして、そのような神様の目的の中で、私は生かされ、用いられているのだという満足も与えられます。その結果、思い通りにならないことも、重荷を負う人生も、これこそ私の人生である、神様の為にがんばろうと言えるようになるのです。それが、「わたしのために命を失う者は、それを得る」というのです。
今日は、予告していた聖書箇所を変更して、ヨセフのエジプト宰相としての働きに焦点を絞って学びました。説教題も「神を見なければ人生の目的は見えてこない」と、変更させていただきます。私達は神様によって、神様のために造られました。私達の人生には、神様の大いなる目的とご計画があります。そのことを理解し、信じ、受け入れなければ、私達は自分が何者なのか、何のために生きているのかを知ることができないのです。
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible
Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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