ヨセフ物語 03
「生きる日の限り、祝福は私についてくる」
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書  コリントの信徒への手紙二4章16-18節
旧約聖書  創世記39章1-6節
丸裸の実存
 ヴィクトル・フランクルという方をご存じでしょうか。ナチスの強制収容所送りになったユダヤ人精神医学者です。彼は強制収容所という極めて過酷な環境下において、人間の心がどのような経験するかということを、自らの体験を通して分析をしました。

 一つは、丸裸の実存と向き合うということです。強制収容所に入れられた囚人は、まず衣服を脱がされ、髪の毛も髭もすべての体毛を剃り落とされ、本当の丸裸にされて消毒槽に入れられます。しかし、そこで重要なのは、裸にされるのは身体だけではないということです。どんな家柄に生まれたか、どれだけの財産をもっているか、どれだけの学位を取ったか、どんな社会的地位を築いてきたか、人は往々にしてそういうものを人間の価値であると思いこみ、自分の生きるよすがにしているのですが、強制収容所ではそのようなものも含めて一切合切身ぐるみはがされてしまうのです。そして、否応なしに丸裸の実存と向き合わされることになるのです。

 「それまでの人生のなにも残りませんでした。丸坊主にされたのです。文字どおり「裸」の実存にされたのです。そこで、ほんとうに強制収容所の体験の第一段階に入ることになります。つまり、これまでの全人生にきっぱり始末をつけるのです。」(フランクル、「それでも人生にイエスという」、春秋社,P120)

 ヨセフが経験したことも、これとまったく同じことでした。37章23-24節にこのように記されています。

 ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。(『創世記』37:23-24)

「ヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り」とあります。この晴れ着は、これまでのヨセフの人生の象徴でした。彼は、お兄さんたちが野良着を着て畑を耕したり、幾日も野宿をしながら羊飼いをしている時に、ただひとり衣の裾をひらひらさせて、無邪気に、何の苦労も知ることなく、お父さんの格別なる庇護のもとに暮らすことが許されていたのです。しかし、お兄さんたちは、ヨセフの晴れ着をはぎ取ってしまいました。そして自分では這い上がることのできない深い穴に落とされてしまいました。その瞬間、ヨセフは特別なものを何も持たない、ただの無力で丸裸の人間になってしまったのです。

 お兄さんたちは、晴れ着を山羊の血に浸し、それを父ヤコブのもとに送り届け、「あなたの特別な息子は野獣にかみ殺されて死にました」というメッセージを送りました。それはあながち嘘とは言えないことでした。ヨセフの特別な人生はそこで終わったのです。

 そこへ、たまたま通りかかったミディアン人が、穴の中のヨセフを発見しました。ヨセフは泣き叫んで、助けを求めたに違いありません。「わたしはヘブロンのヤコブの息子です。立派な晴れ着を着せられて、家の中で一番大事に育てられてきたのです。どうか、助けてください」。しかし、このヨセフの叫びは、ミディアン人たちに何の意味もありませんでした。彼らは、ヨセフを奴隷としての値打ちを持った17歳の青年としか見なかったのであります。そして、ヨセフを穴から引きずり出すと、すぐに銀二十枚でイシュマエル人に売ってしまいました。銀二十枚、それが丸裸にされたヨセフの値打ちだったのです。

 人間の本当の値打ちというのは、何をどれだけたくさん持っているかということよりも、すべてを失った時、どれだけのものが残っているかということによって量られるものだと思います。

 相撲史上に名を残す双葉山という大横綱がいました。彼は三年間負け知らずの白星街道をひた走っていました。この大横綱に土をつけることができるいったいどんな大力士であろうかと、彼の一番一番の勝負を、固唾をのんで見守っていました。そして、誰もがあっけにとられたことには、この双葉山の連勝にストップをかけたのは、格下も格下、前頭三枚目の安藝ノ海という新鋭力士だったのです。負けた双葉山はその夜、恩師に「われ未だ木鶏たり得ず」という電報を打ちました。「木鶏」とは、中国の古典「荘子」に出てくる最強の闘鶏のことです。木彫りの鶏のように、気負いや自分への執着心を捨て、忘我無心の境地に達してこそ、真の強者になれるという教えが木鶏という言葉に込められていました。人々は、負け惜しみを言わず、「われ未だ木鶏たり得ず」と負けた自分の姿と真摯に向き合い、さらなる向上を誓う大横綱の姿に感銘し、惜しみない賛辞を送ったのです。他方、安藝ノ海は、まぐれにも大金星をとったことに有頂天となり、田舎に「お母さん、勝ちました」と電報を打ちました。そして、出羽海親方にその勝利を誇らしげに報告するのです。ところが、親方はニコリともせず、「勝って騒がれる力士よりも、負けて騒がれる力士となれ」と、有頂天になっている安藝ノ海に活を入れたのでした。

 負けたときにその偉大さを認められる力士、それこそ掛け値のない真の大力士です。人生というのは、勝っているときよりも負けたとき、成功したときよりも失敗した時、健康であるときよりも病気になった時、自分が本当はどれほどのものであったのかという真価が問われるのです。

 ヨセフもそうです。今まではひとり晴れ着を着せられて、お父さんにからちやほやされて、心のどこかで自分は他のお兄さんたちとは違う大事な息子なんだと思っていたかもしれません。しかし、お兄さんたちに晴れ着をはぎ取られ、イシュマエル人に銀貨二十枚で売られるという体験を通して、ヨセフは自分が銀貨二十枚の奴隷と寸分も違わない人間なのだということを、思い知りました。それは、まことにつらい惨めな体験であったでありましょう。しかし、そこからの生き方こそ大事です。ここから、ヨセフの本当の人生の始まるのです。
人生のパニック
 フランクルは、強制収容所で丸裸にされた囚人たちが、その後どのような心理状態に陥るのかということについて、自分も含めてこのように語っています。

 「はじめの二三日は、部外者には想像できないような、ありとあらゆるおぞましいことに充ち満ちた大量の印象に対して、恐怖や憤激、吐き気というような感情が起こるのですが、こうした感情はついに弱まっていって、情緒そのものが最小限に減ってしまうのです。そうなると、ひたすら、その日一日をなんとか生き延びることにだけ全力が注がれるようになります。」(前出書、P123)

 すべてのものを失い丸裸にされてしまった人々は、泣いたり、わめいたり、叫んだり、人を憎んだり、神を恨んだりして、大変なパニックに陥ります。もちろん、誰もが例外なく、一度は自殺を考えます。このようなことは、私たちにもだいたい想像がつくことではないでしょうか。しかし、その後、どうなるのでしょうか。強制収容所の囚人たちは、もはや何をしてもどうにもならないということが分かってくると、今度は何も感じようとしない人間になっていくというのです。何も感じないというのはどういうことかと言いますと、生きようとする動物的本能以外の人間らしい願いや思考を持つことをすっかりやめてしまうということなのです。

 「心はそうやって自分を守るのです。そうやって流れ込んでくる出来事の圧倒的な力から身を守り、均衡を保とうとするのです。無関心になって自分を救いだそうとするのです。」(前出書、P124)

 何のために生きるのか? なぜ、このような苦しみに耐え忍ばなければならないのか? 私の人生の意味はどこにあるのか? 人間とはそのようなことを悩み苦しみ、その答えを求めながら生きている存在です。それが人間らしさの証しなのです。けれども、あまりにも過酷な強制収容所の中では、そのようなことを敢えて不問に付して、何も考えず、ただ生きているだけの下等生物的な人間になって、この苦しみから逃れようとする力が働くというのです。そうなると、自殺しようとする気力すら起こってこないのだそうです。自殺を考えるというのは、裏を返せば人生の意味を問い、人間らしく生きようとすることの証しだからです。

 聖書には何も書いてありませんが、ヨセフも必ずそのような心理的苦悩を味わったと思います。フランクルは、これを強制収容所に入れられたすべての人間が経験する心理の第一段階、入所ショックと呼んでいます。では、ヨセフは、あるいはフランクルは、その絶望をどのように乗り越えたのでしょうか。あるいは乗り越えることができなかったのでしょうか。
心の支え
 フランクルが強制収容所で体験した二つめのことは、にわかには信じがたいことかもしれませんが、人間性をも失わせる強制収容所の絶望の中で、次第に人間らしい心を取り戻し、保ち、それどころか、それをより大きなものに成長させることができる人々がいたということであります。フランクルは、その事実から、強制収容所に入れられたら最後、そこでは誰もがひとかけらの人間性をも持ち得ないのだという考えに反対して、このように言っています。

 「強制収容所の体験は、運命のように必然的に、人間を退行に、したがって内面的な後退に追い込んだわけではないからです。私は、当事者が退行し、後退するどころか、逆に、まさに強制収容所で、まさに強制収容所の体験を通して、内面的に前進し、内面的に自己超越をして成長し、ほんとうに大きな人間に成長したケースを知っています。たとえ、そのようなケースが数少なかったにしても、それが決定的な証拠になることに変わりはありません。」(前出書、P126)

 いったいどのような人が、強制収容所の中で、なおも人間性をしっかりと保ち、それを成長させることができたのでありましょうか。そのような人たちは、他の人々と何が違っていたのでしょうか。フランクルによれば、それは極めてはっきりとしていて、宗教的な人とそうでない人の違いであったと言うのです。宗教的な人というのはユダヤ教徒であったかもしれませんし、キリスト教徒であったかもしれませんが、その人たちに共通する特徴は、心の支えを「永遠なるもの」に置いていたということです。

 この人たちは、将来を支えにする必要もありませんでした。将来解放されてから外の世界で自由な生活を送ることを支えにする必要もありませんでした。その人たちは、そもそも将来を体験するという、つまり強制収容所で生き延びるという無理な要求を将来の運命に背負わせなくても、気持ちをしっかり持っていることができたのです。

 「それに対して、ほかの人たちは、将来の生活を支えにすることになりました。将来の人生そのものを支えにすることになりました。けれども、将来のことを考えるのはむずかしいことでした。将来のことを考えようとしても、なんの手がかりもありませんでした。終点がありませんでした。終わりが予測できなかったのです。」(前出書、P120-130)

 強制収容所の囚人にとって、いつか出られる日が来るという望みはほとんど持ち得ないものでした。実際、多くの人たちが収容所から出ることなく命を落としていったのです。自分だけは例外であると信じられる人は誰もいませんでした。それにも関わらず、強制収容所からの解放ということしか夢見ることができなかった人々は、別の言葉で言えば今ある苦しみから逃れることだけを救いと考えていた人は、皆、絶望して、生ける屍のような生活を送るしかなかったのだというのです。

 フランクルと共に収容所生活を送っていた一人の囚人が、ある日、彼にこんな話をしました。夢の中で、三月三十日にアメリカの部隊がやってきて、私たちは解放されるというお告げを聞いたのだというのです。彼はその日を心の支えにして生きていました。しかし、三月になり、夢のお告げの期日が近づいてきても、戦況は少しも変わりません。その人は日ごとに元気を失っていき、三月二十九日、高熱を出し、三月三十日、戦争が彼にとって終わるはずだったその日に意識を失い、翌三月三十一日息を引き取ったというのです。このように、収容所からの解放だけに望みを置く人は、必ずその心の支えを失いました。

 しかし、宗教的な人々、つまり心の支えを「永遠」のうちに置く人々は、強制収容から解放されようが、その中で命を落とそうが、そういうことはどちらでもいいと考えることができました。なぜなら、そのような人々の求めているものは、苦しみから逃れることではなく、苦しみに耐え忍んで、永遠における救いを得ることだったからです。そのような希望を持つ人たちは、そこが強制収容所であろうがなかろうが、明日の命があろうがなかろうが、重要なことは自分が神様の前に立ち得る人間であるかどうか、その時、神様に嘉せられる人間であるかどうか、そこにこそあったのです。

 私は次の御言葉を思い起こしました。

 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。(『ローマの信徒への手紙』8:24-25)

 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(『コリントの信徒への手紙二』4:16-18)

 突然、すべてを失い、エジプトに奴隷として売られていったヨセフが、そのショック、パニックを通過しながらも、ついにはその運命を受け容れ、しっかりとした自分を取り戻して生きることができたのは、彼が目にみえないもの、永遠なるものに信仰と望みとを持つことができたからなのです。

 日本のマザー・テレサと言われた井深八重という婦人がいます。家庭の事情で、明治学院学長だった父方の叔父、井深梶之助の家に預けられ、そこで何不自由ない生活をし、同志社女学校を出た後、英語教師として長崎の県立女学校へ赴任しました。しかし、1年ほど過ぎた時、彼女の肌に赤い吹き出物のような斑点が幾つも出てきました。それが、恐るべきハンセン病と診断されたのでした。

 井深八重は、この病気のために御殿場にあるハンセン病専門の神山復生病院に隔離入院させられました。そこで、彼女が体験したことは、フランクルの体験とまったく同じだったと言えます。彼女は、情熱を傾けていた教師の仕事を失い、結婚の夢を断たれ、井深家からは籍を抜かれ、将来の夢も希望も失いました。彼女は、丸裸の実存、入所ショック、自殺願望、そのすべてを経験したのでした。

 しかし、しばらくして彼女は不思議なことに気づきます。家族でさえも恐れおののき、絶縁もやむなしと考えていたハンセン病患者に対して、家族的な愛をもって献身的な治療、看病をする病院長レゼー神父の姿と、それに応えるかのように明るく、助け合って生きる患者たちの姿でした。彼女は、ここには自分の知らない確かな生の意味があるのではないかということを考えるようになります。そして、自らも病院長を助けて、重症患者に看護をするようになるのです。

 ところが、八重はまたもや運命に翻弄されることになります。なんと精密検査を受けた結果、ハンセン病は誤診であったということが分かったのです。一転して絶望の底から救われた彼女ですが、なぜか素直に喜んではいけない気がします。そして、今自分がこの病気ではないという証明書を得たからといって、今更、大恩人のレゼー神父や、気の毒な病者たちに対して踵をかえすことができないと思ったのでした。

 八重は、「もし許されるならばここに止って働きたい。」と、レゼー院長に願います。やっと解放されたハンセン病の恐怖に、今度は自分から飛び込んでいこうというのです。彼女は看護婦免許を取得し、正式に神山復生病院の看護婦として奉職し、レゼー院長を助けて患者の看護は勿論、病衣や包帯等の洗濯から食事の世話、経営費を切り詰めるための畑仕事、義援金の募集、経理まで、病院のためなら何でもしたのでした。

 やがて、救ライ事業に生涯を捧げた八重の労苦が世に認められる時が来ます。1959年復生病院創立70周年にローマ法王ヨハネ23世から表彰され、日本では黄綬褒章が授与されました。さらに1961年には国際赤十字から看護婦の最高名誉ナイチンゲール記章を受章したのでした。しかし、彼女はそのような賞を得るためにこの仕事をしたのではありません。もし、そのように彼女がこの世で何かを得たいというような考えの持ち主でありましたら、彼女は看護婦になる前に絶望して生きる力を失っていたでありましょう。彼女は、ハンセン病と誤診され、すべてを失い、神山復生病院に入院することを通して、この世ではなく永遠なるものに望みをおいて生きるということの喜びを知ったのであります。彼女は、その人生を次のように語っています。

 「思えば、恩師レゼ―師には、大正九年から昭和五年までの十一年間お仕えしたことになります。悲しみのどん底からこの私を救い上げて、人生の意義を説き、永遠の真理に向かって生き抜くことこそ聖旨の道であることを教えられ,その道に励み続け、ただ、今日一日を大切にと努めて参っただけの私であります。
み摂理のままにと思いしのびきぬ
なべてはふかく胸につつみて 」     (「道を来て」井深八重)
、   
主が共におられる
 さて、フランクルの人生よりも、井深八重の人生よりも、もっと前にあったのがヨセフの人生です。ヨセフは、すでにお話ししましたようにイシュマエル人によってエジプトに連れてこられました。そして、そこでもまた幾ばくかのお金で人に売られるのです。

 ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトへ連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。

 ヨセフを買ったのは、ファラオの侍従長で、ポティファルという人でした。ヨセフはその屋敷で奴隷として働きはじめます。異国の地で、言葉も分からず、知り合いもおらず、どんなにか心細い思いをしたでありましょうか。しかし、ヨセフは、この時すでに永遠なるものに望みを置くということを学びとっていたようです。ヨセフはポティファルの家で一生懸命に働き、忠誠を尽くす良い奴隷になりました。それは御心にかなうことでした。

 主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。

 「主がヨセフと共におられた」ということが言われています。しかし、ここで忘れてはならないのは、ヨセフもまた神様が与えてくださった運命を受け容れ、積極的に神様と共に生きようとしたということです。ヨセフの生き方は、神様の御旨が奴隷になることであるならば、一生懸命に神様に喜ばれる奴隷になろうとする、そういう生き方だったのです。

 皆さん、先週、私は、神様は私たちの人生に起こるすべてのことを用いて、必ず御心を成し遂げられるお方であるというお話しをしました。たとえ悪魔の業であろうと、人間の罪深さの表れであろうと、神様の御業はそのようなもので妨げられるものではありません。あらとあらゆることを、神様はご自分の良き業のためにお用いなさることができるのです。

 それならば、私たちもまた神様がお与えになった人生を、それがどんな人生であっても、そこにこそ神の祝福を受け取る人生があるだと信じるべきではないでしょうか。フランクルが強制収容所の生活を自らの研究所と考えて生きたように、あるいはまた井深八重が神山復生病院でハンセン病患者に仕えることを天職として受け取ったように、そしてヨセフが良き奴隷となることを神と共に生きることであると考えように、私たちも今与えられている人生、置かれている場所、課せられている仕事を、神様が私たちを祝福し給う場所として受け取るべきなのです。その中で、一生懸命に前向きに生きるべきなのです。そうすれば、今日の説教題につけましたように、生きる日の限り、神の祝福は私たちの人生についてくるのでありましょう。そのように信じ、そのように生きる者でありたいと願います。
目次

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