ヨブ物語 13
「真の友はいずこに」
Jesus, Lover Of My Soul
ヨブ記6章14-30節
真の友人を求めた大原孫三郎
 友達というのは難しいものです。最近、城山三郎が書いた大原孫三郎(1880〜1942)の伝記『わしの眼は十年先が見える』という本を読みました。大原孫三郎は、地方の一紡績会社であった倉敷紡績を大企業に伸長させた実業家です。が、それだけではなく社会から得た財は社会に返すという信念をもって、多大な社会貢献をした「日本資本主義史上において、数少ない立派な実業家」でした。

 紡績業と言えば細井和喜蔵の『女工哀史』に描かれる女子労働者たちの劣悪な労働環境、苛酷な生活を思い起こす人も多いと思います。この『女工哀史』が書かれたのは大正15年ですが、その20年も前に、大原孫三郎は社長に就任するや、「健全な従業員こそが会社を発展させる力だ。従業員の生活を豊かにすることは経営者の使命であり、その施策は必ず会社に還ってくる」と言って、まず飯場制度を廃止し、口入れ屋が従業員の手配、炊事の請負、日用雑貨の販売を仕切り、法外なピンはねを行っていたのを止めさせ、すべて会社に帰属させるとともに、非人間的な集合寄宿舎をやめて分散式家族的寄宿舎を建設しましたというのですから驚きです。

 その他にも、彼の設立によるわが国初の西洋美術館である大原美術館は有名です。しかし、それだけではなく、治安維持法の時代に労働者の問題を考える社会問題研究所(現・法政大学大原社会問題研究所)を設立したり、岡山名物のマスカットや白桃を生み出す農業研究所(現・岡山大学農業生物研究所)を設立したり、従業員のために当時東洋一と言われた病院(現・倉敷中央病院)を設立したり、本当に大きな社会貢献をしました。

 しかし、その人にも若い頃に大きな失敗がありました。それが友達の問題なのです。大原孫三郎はいわゆる立志伝の人ではありません。倉敷一の富豪の家に生まれ、我が儘放題に育てられた金持ちのぼんぼんでした。しかし、そのことが彼の悩みの種でもありました。というのも、いつも大原家の息子として別格扱いされ、本当の友達ができなかったのです。

 彼はそこから抜け出したいと思って、東京に出ます。15歳の時でした。東京に出ると、そこには「孫三郎君」、「孫三郎さん」と、自分を同等の友人として呼んでくれる友達がたくさんできました。ただその事がうれしくて、彼は何の警戒心も持たず、そうした友達と仲良くなっていきます。しかし、真の友と見えた彼らも、その実、田舎から金持ちのボンボンが来たということで、食事や、小遣いをたかるだけの人間ばかりだったのです。

 そうとは知らない彼は、仕送りだけでは間に合わないので借金までして「友達」の顔をした人たちから誘われるままに放埒な生活を続けます。その借金は当時で150,000円、今のお金にすれば数億円にまで上ったといいます。

 さすがに大原家は姉婿の原邦三郎を始末に派遣し、孫三郎を倉敷に呼び寄せようとしました。ところが、その最中に邦三郎が倒れて急死してしまうのです。自分を迎えに来た邦三郎が死んでしまったことは、孫三郎にとって生涯忘れ得ぬ心の痛手となりました。こうして、彼はしょぼくれて倉敷に帰ってきたのです。そして、彼はますます本当の友達に飢え渇いていったのでした。

 彼を変えたのは、クリスチャン慈善家の石井十次との出会いでした。石井十次は医者になるために岡山の医学校で学んでいましたが、一人の孤児をあずかったのをきっかけに医師の道を捨て、岡山孤児院を創設して、全国から孤児を集めて救済事業を始めた人です。その石井の講演を聞いて、孫三郎は激しい感動に包まれました。そして、やがて石井との深い友情に結ばれるようになるのです。

 孫三郎は、この本当の友人を通して、キリスト教や、自分の生き方、そして先ほど紹介したような事業理念を学んでいきます。そして、石井十次の孤児院事業を財政的にバックアップするのです。生涯において、このような本当の友達と出会えるということは何と大切なこと、そして幸せなことでしょうか。

 彼は死の日、一人息子の総一郎を枕元に呼び寄せて、「昨夜は不思議な夢を見た。まさかと思うような人までが、自分の病気が全快するように祈ってくれていた。そういう人までが自分のために祈ってくれていると思うと、ありがたくて、ありがたくて」と話しながら、涙をこぼしたそうです。そして、その日の午後、64歳の生涯を閉じました。奇しくも、この日1月18日は、若き日、彼が真の友達を求めて、東京遊学に出発した日でもあったといいます。その時から始まって、真の友達を求める彼の人生は「まさかと思うような人まで自分のために祈ってくれる」という満たされた感謝の思いを抱いて終わったのでした。 
友人への失望
 このようなお話しをしたのは、ヨブもまた本当の友情を求めてやまない人であったからなのです。大原孫三郎以上にヨブは大金持ちでした。しかし、彼がオケラになったとき、それでも彼を友人として見舞いに来てくれたのがエリファズら三人の友人です。ヨブはうれしかったに違いありません。彼らこそ真の友達と、ヨブは確信したでしょう。しかし、だからこそ、自分の苦しみが彼らに理解されないもどかしさ、いらだたしさをどうすることもできないのです。

 「絶望している者にこそ
  友は忠実であるべきだ。
  さもないと
  全能者への畏敬を失わせることになる。」(14節)

 ヨブは、本当の友情というのは、人に神様を指し示し、神様への畏敬の念(信仰)を与えてくれる者だと言います。しかし、人が苦しみのあまり絶望して神様が信じられなくなっているような時に、お前は不信仰だと叱責するだけでは、ますます絶望してしまうではないか、そのように時にこそ、神様に希望を持てるように力づけてくれるべきではないか、本当の友達なら、ぜひそうして欲しいと訴えているのです。

 「わたしの兄弟は流れのようにわたしを欺く。
  流れが去った後の川床のように。
  流れは氷に暗く覆われることもあり
  雪が解けて流れることもある。
  季節が変わればその流れも絶え
  炎暑にあえば、どこかへ消えてしまう。」(15-17節)

 「わたしの兄弟」とは、エリファズ等三人の友人を指しています。ヨブは、血を分けた兄弟のように三人の友人を愛し、信じています。だからこそ、自分のがっかりした気持ちも包み隠さず訴えるのです。

 ヨブは、あなたたちの友情は、川の流れのようだと言っています。つまり、豊かに流れているかと思えば、涸れてしまう時もある。穏やかな春にはとうとうと流れをたたえているけれども、真冬には凍り付いてしまい、真夏には涸れてしまう。あなたがたの友情もそういうものだと、ヨブは言います。

 「そのために隊商は道に迷い
  混沌に踏み込んで道を失う。
  テマの隊商はその流れを目当てにし
  シェバの旅人はそれに望みをかけて来るが
  確信していたのに、裏切られ
  そこまで来て、うろたえる。
  今や、あなたたちもそのようになった。」

 「隊商」とは、ラクダなどに物資を積んで、隊を組んで砂漠を旅する商人たちです。このような人たちは、オアシスを頼りに砂漠を歩きます。ところが、水の「流れを目当てにし」、「それに望みをかけて来」たけれども、目当ての流れが涸れていたら、どうでしょうか。彼らは「確信していたのに、裏切られ、そこまで来て、うろたえる」ことになります。そして、「道に迷い」、「道を失う」のです。

 ヨブは、友人らに「あなたたちもそのようになった」と言います。つまり、あなたたちは、乾ききった砂漠の中を歩く私のオアシスとなってくれるべきなのに、またそのように私は信じていたのに、私をがっかりさせ、途方に暮れさせるだけの存在るだけなのか。ヨブの言っているのは、そういうことです。

 「破滅を見て、恐れている」(21節)

 ヨブの破滅を見て、友人たちは彼を慰めたり、励ましたりする力を失ってしまいました。それはまったく仕方がないことのように思います。しかし、「恐れている」というのは、神様への信仰を揺るがせてしまっているわけです。ヨブとしては、そうあって欲しくなかったのです。友人として、自分を神様のもとへ導く力強さをもっていて欲しかったということでありましょう。 
真の友はいずこに
 さらに、ヨブは語ります。
 
 「わたしが言ったことがあろうか
  『頼む、わたしのために
   あなたたちの財産を割いて
   苦しめる者の手から救い出し
   暴虐な者の手からわたしを贖ってくれ』と。」(22-23節)

 ヨブが友人らに求めているのは、財産ではありません。また、病気を治してくれとか、そういう無理なことを求めているわけでもないと言います。では、何を求めているのでしょうか。

 「間違っているなら分からせてくれ
  教えてくれれば口を閉ざそう。
  率直な話のどこが困難なのか。
  あなたたちの議論は何のための議論なのか。
  言葉数が議論になると思うのか。
  絶望した者の言うことを風にすぎないと思うのか。
  あなたたちは孤児をすらくじで取り引きし
  友をさえ売り物にするのか。」(24-27節)

 ヨブは、友人たちの「言葉」を求めています。しかし、それは多くの言葉ではありません。言葉数が多ければいいというのではなく、本当にヨブの心を納得させるような的を射た言葉です。

 逆に言うと、ヨブが友人たちに苛立っているのは、自分の言葉をしっかり聴いて、それを分かろうとしてくれていないということなのです。だから、彼らの言葉は、ヨブの気持ちとかみ合いません。ヨブは、まず私を理解し、同情し、受け止めて、その上で忌憚のない真実の言葉を投げかけてくれることなのです。

 「だが今は、どうかわたしに顔を向けてくれ。
  その顔に、偽りは言わない。
  考え直してくれ
  不正があってはならない。
  考え直してくれ
  わたしの正しさが懸っているのだ。
  わたしの舌に不正があろうか
  わたしの口は滅ぼすものを
  わきまえていないだろうか。」(28-30節)

 ヨブは理解されることを必死に求めています。ずいぶん過激な言葉を友に向かって投げかけましたが、それはヨブの友人に対する信頼や期待の裏返しであると読むことができるでしょう。「ケンカするほど中が良い」と言いますが、そういう側面を考慮しながら、ヨブの友人等への非難の言葉を読まなければならないと思うのです。

 しかし、ヨブは友人たちよりも正しいのでしょうか。内村鑑三はこのように言っています。

 「ああ、わが友ヨブよ、なんじもまた誤れり。なんじの友はなんじの苦痛の真因を知らず。ゆえになんじを慰むるにあたわず。されどもなんじもまたなんじの友を知らず。ゆえに彼らを責むる、また酷に過ぎたり」

 内村鑑三は、ヨブもまた過ちを犯していると言います。それは、本当の自分の友を知らないということだというのです。どういうことでしょうか。続けて、内村鑑三の言葉を紹介しましょう。

 「なんじのいえるがごとく、なんじを傷つけし者は神なり。しかして神の傷つけし者は神のみこれを癒すを得べし。なんじの友、あに神ならんや。彼らいかでか心の傷を癒やすを得んや。なんじも世の多くの悲痛者とひとしく、人より神の慰藉を求めつつあるなり。艱苦に処しても人に対して寛大なれ。最も好き友となりといえども、そのなし得るところは知るべきのみ。友を恨むに神の能力の欠乏をもってするなかれ」

 ヨブが苦しみの中でまことの友を求めるのは良いのです。しかし、それは人間ではなく、神様が自分の友であるということを見落としている、ここにヨブの友人等への非寛大さが現れているのだというのです。友人らに、神にたいするかのような過大な期待してはいけないのです。

 この点は、私達もしばしば陥る過ちではないでしょうか。悩める者、悲しめる者の真の友となろうとする時、私達はヨブの訴えを心して聞くが必要があるでしょう。すなわち、その人の身になって、良き理解者となって、慰めと希望を与える友になろうとしなければいけないということです。しかし、逆にヨブの立場に身を置くとき、私達は過度に友人に期待して、友の至らなさを恨んではなりません。むしろ、神様が、イエス様が私達の真の友であると信じて、その慰めと希望を求めることが大切なのです。
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