■ ダビデは苦しんだ
ダビデが戦いから帰ってくると、町は焼け落ち、兵士たちの愛する家族は皆、アマレク人たちに連れ去られていたました。ダビデの家族も同じでした。突然の不幸に「ダビデも彼と共にいた兵士も、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった」(4節)とあります。
こういう苦しみの時、人は指導者にやり場のない怒りをぶつけるものです。兵士たちも、このやり場のない怒りと悲しみを頭領であるダビデにぶつけ始めました。ダビデを石で打ち殺そうと言い出す者まで現れ、ダビデは窮地に立たされます。
ダビデは苦しんだ・・・彼の生涯は成功と勝利だけに彩られているのではありません。時には信仰の高みを歩き、その祝福として輝かしさを神様から戴きました。しかし、いつもそうだった訳ではないのです。彼は、しばしば失敗し、過ちを犯し、不幸に遭い、その為に苦しめられ、悲しみと暗さを嘗めています。彼もまた私たちと同じ弱さをもった人間だったのです。
■ 信仰によって力を奮い起こした
「だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした」
弱い人間に過ぎなかったダビデは、それだからこそ信仰の人でした。彼は、人生の高嶺にいるときだけではなく、谷底にいる時にも神様が共にいてくださることを知っていたのです。
その低いところから神様に望みを抱き、信仰による力を奮い起こす術をもっていたのです。ダビデにとっては、死の陰の谷を歩むとも、敵を前にしても、神様を当てにできないような弱さも、失敗も、絶望もなかったということではないでしょうか。
私たちの人生にも暗い時期、辛い時期があります。しかし、そのような時こそ神様の無尽蔵の恵みを知る時なのかもしれません。預言者ミカはこう言いました。
「たとえ倒れても、わたしは起きあがる。
たとえ闇の中に座っていても、主こそわが光」
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