■ ナバルの知恵
ナバルとは「愚か者」という意味だそうです(25節)。しかし、彼が財産の上にあぐらをかいて座っているだけの能なしだったと考える必要はありません。彼は多くの使用人たちを雇い、忠実な働きをさせ、自分の財産をしっかり守っていました。そのためには知恵を使い、苦労も惜しまず、使用人たちにご馳走を振る舞ってねぎらうことも忘れませんでした。
確かに、彼には頑固で、行状が悪く、忠告を聞かない傲慢さがありました。しかし、単なる愚か者やけちんぼではなく、事業者としての哲学をもった人物だったのです。彼は、慈善事業や施しにはまったく興味がありませんでした。親切とか善良である必要も感じていませんでした。彼は自分の財産を守り、事業を成功させるためには、敢えて愚か者と呼ばれるぐらいに頑固になり、横柄になり、けちんぼになる方が良いと考えていたのです。
■ ナバルの愚かさ
彼は「ダビデとは何者だ。わたしのパンや肉を素性の知れない者に与えなければならないいわれはない」と、ダビデの使者を追い返しました。彼の哲学では、自分の得にならないことはすべきではないのです。しかし、彼のこのような自分を守ろうとする知恵こそが、彼の愚かさとなり、命とりになったのでした。
決して愚か者ではない彼に決定的に欠けていたのは、ダビデが何者であるかを知らなかったという事です。彼は神の選ばれた僕でした。彼が寄る辺ない生活をしているのは、神のご計画でした。もし、彼にコップ一杯の水でさえ施せば、神様が必ずそれに報いてくださいましたでしょうに、彼はそれを知ろうとすらしませんでした。
自分の計画や働きは事細かに計算しても、神のご計画や働きについては何も計算にいれていなかったのです。
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