復讐するは我にあり

 ダビデは兵に、「各自、剣を帯びよ」と命じ、おのおの剣を帯び、ダビデも剣を帯びた。

新約聖書 『サムエル記上』25章13節

 報復を誓うダビデ

 面子を潰されたダビデは怒りに震えて叫びます。

 「各自、剣を帯よ!」

 私は、思わず同時多発テロ事件に報復を誓うブッシュ大統領の顔を思い浮かべてしまいました。ダビデにしろ、ブッシュ大統領にしろ、気持ちはよく分かります。けれども、本当にそれでいいのでしょうか。

 復讐してはならない

 イエス様は、主を守ろうとして剣を抜いた弟子を諫めて「剣をさや納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる」と言われました。パウロは「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」と教え、ペトロは「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません」と教え、ヤコブは「人の怒りは正義を実現しない」と教えました。

 これらの教えは「人を赦しなさい」「敵を愛しなさい」という教えとは少し違います。たとえ裁かれるべき、憎まれるべき絶対的な悪に直面しても、人間の怒りや復讐や暴力で立ち向かってはいけないという教えなのです。

 復讐するは我にあり

 それは悪をのさばらせておけという意味にもとれます。しかし、違うのです。剣を取る者は剣で滅びます。悪に悪で報いる者は悪となんら変わりなくなってしまいます。だから、「悪に堪え忍べ。そうすれば神様御自身が必ず悪を裁き、私たちを悪から救って下さる」と教えられているのです。それが「復讐するは我にあり」という神様のお言葉の約束なのです。

 平和への道

 イエス様は丘の上からエルサレムを眺めて泣かれました。「ああ、もしお前が平和への道を知っていたならば…」と泣かれたのです。イエス様は、今も平和への道を知らぬこの世界を見て泣いておられるのではないでしょうか。私たちもイエス様と共に悲しみ、 平和のために祈りましょう。

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