■ 事情がゆるさない
「ペリシテ人がユダ北部の町ケイラを襲い、略奪をしている」という情報が、ダビデの耳に入りました。ダビデは手勢を引き連れ、すぐにでも駆けつけてケイラの住民を救いたいと思います。
しかし、そう簡単にはいかない事情がありました。ダビデは600人の兵(23:13)を率いているとはいえ、その立場は反体制グループの頭領に過ぎません(22:2)。下手に動けばたちまち正規軍に見つかり、自分の身を危険にさらすことになるのでした。
ダビデの兵たちもそのことを心配し、「自分の身も危ないのに、他人のことに構っていられない」という意見が大半だったようです(23:3)。そして、その気持ちはダビデ自身の中にもあったに違いありません。
■ 内なる声
しかし、ダビデは落ち着きません。無謀な事だと分かっていても、「行け、立て、ケイラを救い出せ」という内なる声が鳴り響いて止まないのです。ダビデは神に祈り続け、ついにこれを神の声として確信し、立ち上がりました。そして、ケイラを救いだしたのです。
皆さんにも、鳴り響いて止まない内なる声がないでしょうか。それに従うことは、常識や理屈で考えれば決して得策ではないかもしれません。周りの人たちはこぞって反対しているかもしれません。自分の中にも、それを思いとどまらせようとする気持ちがあるかもしれません。
それにも関わらず、私たちに正しさや、愛や、信仰的な決断を求めて鳴り止まなぬ声がないでしょうか。私たちは諸般の事情ではなく、そのような内なる声に従うことが大事な時があります。
■ 闇雲ではいけない
しかし、そのような時、迷いを断ち切ろうとして闇雲になってはいけません。それも過ちのもとになるからです。
先ず、ダビデのように神に祈るべきなのです。もしそれが神の声ならば、必ず聖霊によってその確信が与えられるでありましょう。その確信があれば、もう迷うことはありません。その時は大胆に従いましょう。
|