■ 自分の罪を知るダビデ
サウル王は、祭司アヒメレクの一族を皆殺します。その血の惨劇から一人逃げおおせた者がいました。アヒメレクの息子アビアタルです。彼はダビデのもとに逃げ込み、ダビデに惨事をあますことなく伝えました。
これを聞いて、ダビデは、「ああ、わたしがあなたの父上の家の者すべての命を奪わせてしまったのだ」と悲痛な叫びを挙げます。かつてサウルの追っ手から逃げている時、ダビデは嘘をついてアヒメレクからパンを求めました。その軽はずみな嘘が、こんなに多くの人たちを巻き込む大惨事になってしまったからです。
■ 取り返しがつかないこと
いったいダビデは殺された人々に、また生きて逃れてきたアビアタルに、どのように償えば良いのでしょうか。ダビデは償いきれない負債の大きさを感じて胸が張り裂けんばかりだったに違いありません。
私たちも軽はずみな言動によって、人の心を傷つけたり、人生を狂わせるようなことがあるのです。私たちの人生は、本当に多くの償いきれない負債を抱えています。そして、それはそのまま回収不能な神様の不良債権となっているのです。
■ 神様の不良債権処理
この時のダビデの祈りが詩編52編にあります。このような時、私たちにできるのは神の慈しみを信じ、恵み深い計らいに頼る祈るばかりなのです。
しかし、祈ったらどうなるのでしょうか。イエス様の譬え話に、家臣を憐れんで一万タラントンの借金を棒引きにする王様の話があります。神様は必ず借金を取り立てようとして、私たちに厳しく求め続けるお方ではありません。慈しみを求める者には、恵み深くお計らいくださる神様なのです。
もっと言えばイエス様の十字架、それこそが神様の不良債権の最終処理でした。その限りない神様の慈しみを信じて頼る。それが取り返しのつかない人生の負債を抱えて、なお神様にお仕えして生きて行こうとするダビデの祈りなのでした。
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