■ サウルの不安
御言葉に従って生きるダビデに不安がなかったわけではありません。しかし、それは御言葉に逆らって生きるサウルの不安とはまったく次元の違うものです。
サウルは、ダビデが多くの仲間を率いていることを知り、驚き、不安になりました。そして、家臣たちに対する猜疑心に満ちて、こう言うのです。「わたしが王であるのに、みんなダビデの味方をしている。わたしをのけ者にしている。もう、誰も信じられない」
家臣を信じられない王ほど惨めな者はありません。神なき人生を生きている人は、たとえ100万の軍隊が共にいようとも、このように猜疑の念に悩まされ、不安に駆られ、孤独で、心休まる時を知らないのです。
■ 敵とは誰か
サウル王の敵は日増しに増えていきました。しかし、いったいサウルの敵とは誰でしょう。本当はサウルの敵など誰もいなかったのではないでしょうか。
アヒメレクが言うようにダビデは最も忠実な僕であったにも関わらず、彼は嫉妬心からダビデを敵にしてしまいました。同じように、彼は息子ヨナタンをさえ敵とみなし殺そうとしました。また家臣たちはサウルを助けようと従っている家臣たちにも疑心を持ち、激しくののしるのです。
サウルは、ダビデを助けたかどで、祭司アヒメレクの一族85人を惨殺してしまいました。本当のところは、祭司アヒメレクはサウルに対する忠誠心からダビデを助けようとしただけであったのに…しかし、サウルにはそのことが分かりません。
■ 敵は自分の中に
疑心暗鬼! そうです、彼の疑心こそが彼の本当の敵だったのです。サウルは孤独です。疑心に捕らわれて、ありもしない敵に囲まれ、身動きがとれなくなっています。物事の悪い面だけを見てしまうことから、人の善意や親切が喜べなくなったり、分からなくなっています。サウルの敵はサウル自身の中にあるのです。
私たちも、自分の心で敵や、心配や、問題を作りあげてしまうことがないでしょうか。疑心暗鬼の本質は、人への疑心ではなく神への疑心にあります。
そこから解放されるためには、心に神様への信頼を回復することこそ必要なのです。「もし神が味方であるならば、誰が私に敵しえようか」(ローマ8:31)という信仰をもって見れば、自分を囲んでいるのは敵ではなく、多くの味方であることが分かるでしょう。
|