■ 何かもうまくいくわけではない
ダビデは、ペリシテ人の略奪からケイラの住民を救いだしました。しかし、これが自分の居所をサウルに知られる事になってしまいます。ダビデの居場所を掴んだサウルは、すぐに兵士たちを招集し、ケイラに向かって出陣しました。
この時、ダビデは、ケイラの住民が自分をかくまってくれることを期待します。しかし、彼らはダビデへの恩をあだで返します。ダビデをサウルに引き渡そうとしたのです。仕方なく、ダビデはケイラを去り、再び荒れ野や山地をあちこちとさまよう逃避行を続けるのでした。
■ 心許ないダビデの生活
その間にも、ダビデは何度もサウルに見つかり、追い詰められ、危険な目に遭います。ジフの荒れ野に隠れている時、ジフの住民はそれをサウルに密告しました。マオンの荒れ野に隠れている時、サウルの追跡はダビデにかなりのところまで接近し、ダビデは窮地に立たされました。助けた相手にも裏切られ、休む間もなく、荒れ野や山地をあちこちと逃げまどうダビデの生活は、一見なんと頼りないものでしょうか。
■ たとえ死の陰を谷を歩むとも
しかし、聖書には「サウルは絶え間なくダビデをねらったが、神は彼をサウルの手に渡されなかった」とあります。ダビデは何の拠り所もないようでありながら神様を拠り所とし、安息のない日々を送っているようでありながら神様の大きくて強い御手の中で安んじていたというのです。
私たちの生活はどうでしょうか。たくさんの良き人や良き物に囲まれていながら、あちこちをさまよい、平安を失っていないでしょうか。住む家があっても、魂の居所がないという事はないでしょうか。
しかし、もしダビデのように神に愛され、神の御翼の陰に宿る者となるならば、私たちもダビデのように堅固な砦、何にも動かされる事ない安心を持つのです。
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