■ 惨めなダビデ
命を狙われ、荒れ野を逃げ回るダビデに、ついてくる者は誰もありませんでした。彼はまる腰のままでした。お腹を空かせていました。祭司の家を訪ね、嘘を重ねたあげく、ようやくパンと武器を手に入れますが、自分を偽って生きるということもたいへん惨めなことです。
パンと武器を手に入れたところで、彼はまったく安心することも、休むこともできず、ペリシテ人の国に逃げ出しました。確かに国外ならサウルの手も及ばないかもしれません。しかし、そこでも安住の地を得るどころか、逆にスパイの容疑で捕らえられてしまいます。
身の危険を感じたダビデは、ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったり、気が狂ったまねをして辛うじて命を得るのです。
自分で何とかしようともがけばもがくほど、ダビデは惨めになっていきます。気が狂ったふりまでしなければならなかったとき、ダビデは堕ちるところまで堕ちたと言えるのではないでしょうか。
■ 狂い叫ぶダビデ
しかし、それこそがダビデの人生に必要なことなのでした。彼はガトの王の前で気が狂ったふりをしながら、心でその惨めさに泣き、神様に叫び声をあげていました。
その祈りが詩編56編にあるのです。この祈りの中で、ダビデは「主よ、憐れんで下さい」と叫びます。そして、神に祈りつつ「神様が私の味方である」という確かな信仰を思い起こし、「これからは荒れ野を逃げる時も、敵地で捕らえられる時も、神様の前を歩く人間になろう」と決心を持つに至るのです。
■ 神の僕らしく
堕ちるところまで堕ちて、彼はようやくダビデらしいダビデの姿を取り戻したのでした。それは槍や剣などに頼らず、主の御名を頼りにしてゴリアトと戦った少年ダビデの姿です。このように神に打ち砕かれながら、ダビデは神の僕として調えられていくのです。
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