■ 強がりではやっていけない
周りから見ると少しも大丈夫ではないのに、「自分は大丈夫だ」と強がる人がいます。そのような人を見て、かえって痛々しく思うことがないでしょうか。強がっていなければ立ち行けないほど、心が追い詰められているということだからです。
ダビデも、祭司アヒメレクの家に行った時や、ガトの王アキシュのもとに亡命を試みた時は、まだ自分の立場や力が人に通用すると思いこんで強がっていたのです。強がりというのは、自分を欺くことに過ぎません。そこから本当の救いが来ることはないのです。
■ 弱さの中で
強がることさえ出来なくなったときに、ダビデは心から神を依り頼みました。その時の祈りが、詩編56編にあります。弱さ、惨めさ、恐れ、不安を、正直に自分の姿として認てはじめて、ダビデは真実なる心の祈りを、神様に捧げることができたのです。
あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。 あなたの記録に それが載っているではありませんか。 あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。
■ 弱くてもいい
「神様は、私が流す涙の一粒さえ見逃されることはない。それをそのまま地に落とさせることはなさらない。神様は暖かい御手をもって頬に伝わる涙を掬って下さる。まるで貴重品のように注意深くそれを集め、神様の革袋に蓄えて下さる」というのです。神様の慈しみに対する深い信頼の言葉です。
この信仰をもって、ダビデは、神様の前に弱さをさらけ出し、素直に涙を流せる人間になったのでした。このことこそ、後のダビデの本当の強さの秘訣になりました。強がる必要はありません。
弱くてもいい、神様の慈しみに信頼する人間になりましょう。
|