ナザレへの帰郷
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書 ルカによる福音書4章16-30節
旧約聖書 エゼキエル14章21-23節
故郷はよるもさわるも茨の花
 今日はイエス様がご自分の故郷であるナザレにお帰りになって伝道をなさったというお話しです。故郷において、イエス様は「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」というたいへん寂しいお言葉を残して、そこを後にされることになったのでした。

 ここを読みますと、私は小林一茶や室生犀星の故郷を詠んだ有名な詩を思い起こします。

「古郷は 寄るもさわるも 茨(ばら)の花」(一茶)
 
 「茨の花」というのは、田舎に行けばどこにでもあるような白くて可愛らしい花です。故郷を思い起こさせる花です。しかし、手を伸ばして摘もうとすると棘にやられて痛い思いをする・・・そんな詩です。

「ふるさとは はえまで人を さしにけり」(一茶)

 「はえまで人をさしにけり」というのはずいぶん大袈裟に詠んだものだと思いますが、一茶はそれほど故郷で悲しい思いをしたのでありましょう。

 イエス様も故郷で、人々から崖からつき落とされそうになったと書いてあります。故郷というのは、甘く懐かしいところであると同時に、そういう思わぬ仕打ちを受けて悲しい思いをする場所でもあるということでしょうか。

「故郷は遠きにありて思うもの、 そして悲しく歌うもの。
 よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)になるとても
 帰るところにあるまじや」(犀星)

 室生犀星は、故郷というのは遠くで思っているうちはいいものだけれど、決して帰るところではないということを言っています。

 古今東西を問わず、故郷というのは大切な場所でありながら、難しい場所でもあるようです。イエス様も、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」という寂しい言葉を残されたのでした。いったい、それはいったいどういうことなのでしょうか? 
イエス様の説教
 もう少し順を追ってお話しをしたいと思います。イエス様はナザレにお帰りになると、安息日に会堂に入り、故郷の人々の前に立って、聖書を朗読し、説教をなさったと書かれています。イエス様がお読みになったのは預言者イザヤの巻物の次のような一節でした。

  「主の霊がわたしの上におられる。
  貧しい人に福音を告げ知らせるために、
  主がわたしに油を注がれたからである。
  主がわたしを遣わされたのは、
  捕らわれている人に解放を、
  目の見えない人に視力の回復を告げ、
  圧迫されている人を自由にし、
  主の恵みの年を告げるためである。」

 これは、イザヤ書61章1-2節の御言葉のようですが、他の章にある御言葉が混じっていたりしますので、イエス様がお読みなったものを要約してあるのかと思います。

 いずれにせよ、これは「神様の救い」に対する約束の言葉です。神様が救い主を送ってくださる。救い主は、貧しい人々に福音を告げ知らせる。福音とは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年が来たことを告げ知らせることである。イエス様は、このような預言者イザヤの言葉を故郷の人々に読み聞かせ、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と、話し始められたのでした。

 いったい、イエス様の説教はどんなお話しであったのか、それは明らかにされていません。しかし、想像することはできます。

 預言者イザヤは「捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を、圧迫されている人に自由を」と言っています。解放、回復、自由ということが言われているのですが、人間は心に、体に、生活に、いろいろな問題に抱えて生きているわけです。問題を抱えているということは、その問題に人生が縛られてしまっていると言い換えても良いでしょう。つまり、その問題のために、自分の人生や生活が前に進んでいかなくなってしまっているのです。

 救いというのは、そういう真っ暗闇の悩みや、悲しみや、恐れから解放されることであり、解放されて自分らしさを回復することであり、あらゆる問題から自由にされた者として新たに生き始めることだというのであります。

 もっとも、こういうことはイエス様に言われなくても、みんなが願っていることであります。問題は、本当にそういう救いがあるのか、あるとしたら、いったいどうすればそれを自分のものにすることができるのかということです。

 それは、預言者イザヤの言葉によれば「神様がこの救いのために救い主を送ってくださる」ということなのです。その御方によって「あなたがたが、悩みではなく、悲しみではなく、恐れではなく、主の恵みに支配される時が来る」というのです。

 それは私たちに何の問題もなくなり、苦労もなくなるということではありません。しかし、どんな問題があろうとも、もはや私たちを支配するのは主の恵みである、ということなのです。

 悩みの時にも、私たちを支配しているのは主の恵みであり、苦労のただ中にあっても、私たちを支配しているのは主の恵みである。それは悩みの中にも恵みがあるとか、苦労の中にも恵みがあるということではなく、悩みそのものが主の恵みであり、苦労そのものが主の恵みであるということなのです。

 そういう主の恵みのもとに生きることができるなら、私たちはどんなに問題を抱え込んでいても、もはや悩みや恐れに縛られて、にっちもさっちも行かなくなるということはなくなるのです。悩みも、苦しみも、自分の身に負って生きることができるしっかりとした人間にされるのです。

 イエス様は、このような神様の救いの約束、主の恵みの年の到来を約束した御言葉をお読みしまして、「この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言われたのでした。
故郷の難しさ
 このようなイエス様のお話を聞いた人々の反応はどうだったかともうしますと、22節に「みなイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いた」とあります。故郷の人々は、イエス様の説教の力強さ、恵み深さに圧倒されたのです。

 ところが、文句なしに素晴らしい説教であったにもかかわらず、誰かが一言つぶやくように「この人はヨセフの子ではないか」と言います。その途端に会堂の雰囲気が一変してしまうのです。自分たちがよく知っているあのヨセフの子の説教に、思わず感動してしまった自分を恥じるかのような空気が満ち渡りました。

 マルコによる福音書によると、この時人々は「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは我々と一緒に住んでいるではいか」「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるような奇跡は何か」と互いに話し始めたというのです。

 故郷の難しさがここにあります。イエス様がどんなに素晴らしい説教をしても、どんなに力ある働きをしても、故郷の人々は血縁とか地縁とか、そういったしがらみでしかイエス様を見ようとしないのです。そして、決してそれ以上の御方としてイエス様を認めようとしないのです。

 ある人が、「それはイエス様が悪いんだ」と言っています。どうしてかというと、その人はこういうのです。「いったい、イエス様は故郷に帰られたときに、挨拶回りをしたのか。手みやげをもって、一軒一軒挨拶してまわらなければ、どんな素晴らしい話をしても聞いてもらえないのはあたりまえじゃないか」。なるほど、確かに故郷というのはそういう所です。血縁とか、地縁という深い絆で結ばれた人間関係であるがゆえに、仕来りを守るとか、有力者の顔を立てるとか、そういったことが何よりも尊ばれるのです。

 ところが、イエス様(村人にしてみれば大工のヨセフのせがれ)は、得たいの知れない弟子達(村人にしてみればよそ者)をゾロゾロ連れて、突然、村に帰ってきます。そして、こともあろうに、村で唯一の正式な場所である会堂で、しかも安息日の大事な日に、何の挨拶もなく、村人に向かって説教をするのです。

 村人はあまりにも素晴らしい説教だったので思わず感動してしまったわけですが、「この人はヨセフの子ではないか」と誰かがつぶやいた途端に、イエス様に対する拒絶反応が起こってしまうのです。村人にとって問題だったのは、説教の内容ではなく、手みやげだったです。挨拶回りだったのです。それがないというだけで、ナザレの人たちは、イエス様を拒否してしまったのでした。
故郷を捨てたイエス様
 真相は、イエス様の方が故郷が故郷であることを無視されたということにあるのではないでしょうか。故郷のしがらみに縛られることを拒否されたのです。その意味することは、ただ一つ、故郷を捨てるということです。

 イエス様は、故郷の人々がイエス様に対する拒絶反応を示すと、敢えてその心情を逆なでするようなことを仰います。「預言者は、自分の故郷では歓迎されない者だ。エリヤの場合もしかり、エリシャの場合もしかりだ」

 イエス様の挑発とも言える激しい言葉を聞くや否や、会堂にいた人々の憤りは沸騰し、総立ちになります。そして、そのままイエス様を会堂から連れ出し、故郷から追い出そうとして町の外の崖っぷちまで連れて行き、突き落とそうとしたというのです。しかし、イエス様は、何がどのようになったのかは分かりませんが、人々の間をすり抜けて、自分で故郷を立ち去って行かれたというのです。

 これは、ナザレの人々が特別に頑なであったというよりも、イエス様がナザレが故郷であることを無視された、つまり故郷をお捨てになった結果であると、私は思うのです。
故郷を愛するとは?
 では、イエス様は故郷を愛しておられなかったのでしょうか。故郷の人々を愛していなかったのでしょうか。そうではないと思うのです。

 明治の偉大なキリスト者であった内村鑑三は「愛国的キリスト教」ということをもうしまして、個人の救いに留まらず、日本の救い、将来ということを深く考え、祈りながら信仰に生きた人でありました。

 彼は「二つのJを愛する」といいました。二つのJとは、つまりジーザス(イエス)のJと、ジャパンのJです。ところが、教育勅語に拝礼をしなかったために、国賊とののしられ、東京をおわれることになってしまったのです。これは「不敬事件」と呼ばれるものですが、内村鑑三は決して天皇を軽んじたのではありません。彼は日本を祖国として愛し、天皇に対しても深い敬意をもっていました。教育勅語に拝礼をしなかったのは、教育勅語というのは拝む者ではなく実行するものだと考えていたからなのです。

 内村鑑三の墓碑には、内村鑑三自身のこういう言葉が刻まれています。

 「われは日本のため、
  日本は世界のため、
  世界はキリストのため、
  すべては神のため」

 内村鑑三は、日本を愛していましたが、日本のことだけを考えいたわけではありません。日本を愛することは、世界を愛することであり、世界を愛することはキリストを愛することであり、すべては神を愛することであるというのです。こういう大きな思想をもった人にとって、教育勅語の拝礼にこだわるような日本であっては駄目だということだったのです。

 しかし、そういうことはまったく問題にされないで、作法や仕来りを無視してしまったことだけが問題になります。そして、日本を愛し、日本の将来を本当に考えていた人を国賊にしてしまうのです。

 イエス様は故郷を愛し、故郷の人々を愛しておられたに違いないのです。しかし、故郷を愛するとはどういうことなのでしょうか。イエス様が故郷をお捨てになったのは、故郷を愛しておられないからではなく、故郷といった狭い土地の中での秩序に縛られている人々に、世界に通用する秩序と平和、もっと言えば神の国というすべての人に共通の故郷をお与えになろうとしたからなのです。

 私たちも、是非ともイエス様のこの御心を理解したいと思うのです。イエス様は、私たち一人一人を愛してくださいます。しかし、それは必ずしも私たちのわがままをお聞きくださるということではありません。イエス様は敢えて、私たちの大切なものを壊されることもあるかもしれないのです。

 けれども、それは、エゼキエル書に記されていましたように、決して理由のないことではありません。私たちが、狭い自分の了見から解放されて、神の国に生きる神の子として生きることができるためなのです。私たちは必ず神様のその愛を知り、「災いにあったことは私にとって良かったのだ」と、神様の慰めを受けることになるでしょう。

 すべては神の恵みの中で行われているのだということを信じたいと思います。それは、私たちが自分の狭い世界を守るために神なき望みなき者となっているところから、天国を故郷とし、神と共に住む神の子とするためなのです。
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