「弟子たちに世界宣教を命じる」
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書 マタイによる福音書28章16-20節
旧約聖書  詩篇22編23-32節
500人以上の目撃者
 これまで四年間に亘り、イエス様の地上でのご生涯について学びながら礼拝を守ってきました。いよいよ、それも残すところ今日と来週の二回になりました。今日は、イエス様が復活の四十日間において弟子たちにお教えになったことをご一緒に学びまして、次回はイエス様が天にお帰りになるという昇天の出来事について学びたいと思っています。

 さて、復活の四十日間と申しましたが、『使徒言行録』の1章3節にはこのように記されているのです。

 「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」

 十字架にかかられて、墓に葬られて、三日目に、イエス様は復活なさいました。マグダラのマリアがその最初の目撃者となりました。次いで他の婦人たち、エマオに向かう二人の弟子、ペトロ、十人の使徒たち、トマスと、復活の主は次々にご自分が生きておられることを弟子たちの前にお示しになりました。一緒に食事をなさったり、手足をお見せになったり、決して幽霊、亡霊の類ではなく、まさしく死んで葬られた主の復活であるということを、弟子たちの心に深くに刻み込み、印象づけたのであります。

 それだけではなく、イエス様は四十日間にわたって、もっと多くの機会に、もっと多くの人々の前に、ご自分が生きておられることをお示しになったというのであります。そのすべてが聖書に記されているわけではありません。しかし、『コリントの信徒への手紙1』の15章3-8節には、このような書き方をしています。

 「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」

 十字架のイエス様が復活したという事実、それが最も大事な福音なのだということが言われているのですが、興味深いのは、500人以上の主の弟子たちが同時に復活の主の目撃者となったような出来事もあったのだということであります。

 これは二つのことを物語っているのでありまして、一つは今まで学んできた主の側近と言われるような人々の他にも、復活の主の目撃した人々が大勢いるのだということであります。やはり『使徒言行録』が記していることですが、当時、常に一つの場所に集まっていた主の弟子の数は男女120 人ばかりでありました。この人たちを出家した弟子たちというのは必ずしも適当ではありませんが、比較のための敢えてこういう言い方をしますと、世俗に残りながら主を信じる人々が他に大勢いたのです。500人というのは、そういう人たちも皆、復活の主の目撃者となったのだということを物語っているのでありましょう。

 しかし、「五百人」という数は必ずしも多いとは言えません。もし復活されたイエス様が辺り構わずに出現なさっていたのなら、もっと多くの不特定多数の人々がそれを目撃したと言われてもいいはずだと思うのです。しかし、そうではなく、非常に限定された人々だけが、つまり互いに「兄弟」と呼ぶような主の弟子たちだけが、その目撃者となったのだということが、ここに暗に言われていることなのです。

 それは、主がご自分をどのような人々に顕されるかということをお選びになったということでもあります。それは何もイエス様がみ恵みを弟子たちに限定されたとか、惜しんだということではありません。これまで読んできましたように、イエス様が復活したという事実を受け入れるということは、使徒たちにすら難しいことでありました。復活の主の目の当たりにしても、まだ信じられない。それが主だということに気づかないで過ごしたり、幽霊だと思って恐れたりしたというのであります。復活の主を信じるためには、復活の主を目撃するということだけでは不十分でありまして、名前を呼ばれるとか、教えを聞くとか、食事を共にするとか、そのような復活の主との親しき交わりが必要だったのです。それなしに、彼らは目の前の現実を受け入れることができませんでした。それを、復活ということは人間の経験を越えたことなのです。ですから、主はご自分をお示しになる者たちをお選びになることが必要だったのでありましょう。

 それにしましても、500人以上の人々が同時に復活の主を目撃したという出来事は、当然、それを経験しなかった人々の間にも伝わったでありましょうし、主を信じないような人々にも非常にセンセーショナルな事件であったに違いありません。そうしたことが、福音書に何も記されていないというのもちょっと変な話でありまして、実は今日お読みしました場面、ガリラヤの山で、弟子たちが復活の主を拝した場面ですが、この時こそ500人以上の人々が同時に復活の主を目撃した時であろうと推測する聖書学者もいるようなのです。

 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。」

 ここには十一人の使徒の他にも大勢の人がいたということは一言も書かれていません。ですから、推測に過ぎないのですが、500人以上の弟子たちが同時に復活の主を拝したという出来事が起こるとしたら、なるほどこのような場面こそふさわしいだろうとは思うのです。
しかし、疑う者もいた
 そして、そのように考えますと妙に納得できる事があります。それは、「しかし、疑う者もいた」という言葉です。これまでの話からしますと、十一人の使徒たちは何度も復活の主にお会いしておりまして、それでもなお疑う人がいたというのは、話の筋として不自然なのです。けれども、そこに、復活の主と十一使徒たちを囲むように500人以上の弟子たちがそこに集結していたというのなら、話は別です。そのような大勢の弟子たちの中に、「ほんとうに、あれは復活の主なのだろうか」と疑う人もいたというのは自然な感じがしますし、話としてつじつまが合うと思うのです。つまり、たいへん言葉足らずではありますが、「しかし、疑う者がいた」という言葉が、十一使徒以外にも大勢の人々がそこにいたということを示しているのではないか、というわけです。

 それにしましても、「しかし、疑う者もいた」という言葉は、とても気になる言葉です。イエス様が重大な使命を弟子たちにお与えになっているこの厳かな場面において、まったく相応しくないような言葉に思えるのです。たとえば、この言葉を抜かしてここを読んだ方でも少しもおかしくないし、ずっとすっきりする。それにも関わらず、敢えて、「しかし、疑う者がいた」ということを書き残しているのは、逆にこれが非常に大事なことだったということを物語っているように思うのです。

 私は、このことが物語っている一つの事は、イエス様は疑いを拭えない者たちを決して排除なさらなかったということだと思うのです。それが復活の主を拝する教会の姿であるということなのです。

 教会は信じる者の群れである。そういう言い方はもちろん正しいのです。けれども、だからといって疑う者が異質な存在として教会から排除されるとしたらどうでしょうか。だれが教会に残ることができるでしょうか。信仰というのは、疑わないことではないのです。

 聖書には、こういう話がありました。非常に重症のてんかんを煩った息子を持つ父親が、イエス様に「おできになるなら、わたしどもを憐れんでください」と、救いを求めるのです。すると、イエス様はこの父親に「『できれば』というのか。信じる者には何でもできる」とお答えになります。これを聞いて、父親は「信じます。信仰のないわたしをお助け下さい」と、前言を打ち消すように叫んだというのです。

 「われ信ず。信仰なき我を助け給え」という父親の言葉には、信仰者の真実の姿があります。「私は信じます」という人間も、必ず疑いに陥る時があります。けれども、そのように疑う時にも、決してそれでいいと思っているわけではありません。本当は、神の愛を、赦しを、救いを信じたいのです。だけれども、信じられない。恐れや、不安が、自分自身をさいなまされてしまう。それが弱い人間の経験するところであります。

 そこを乗り越えて信じる者になるというのは、決して人間の力ではないのです。「信じる者になりなさい」というイエス様の強い促しが、御言葉と聖霊様のお働きによって、私たちの心に与えられる。そのような主の助けがあるからこそ、「信じます」と言うことができるようになるのであります。

 しかも、その「信じます」という意味は、疑いが晴れたという意味ではありません。信じたい、信じよう、信じさせてくださいという叫びをもって、疑いを越えるのです。「その子の父親叫びて言う『我信ず。信仰なき我を助け給え』」、信仰とはこのようなものです。

 ですから、復活の主を礼拝する弟子たちの集いの中に「しかし、疑う者もいた」ということは、決してその集会が信仰なき者たちを含む不真実なものであったということを言っているのではないのです。むしろ、信仰と疑いのせめぎ合いの中で、復活の主が礼拝されているということが、この集会の真実さを物語っているのだと思うわけです。
天地における権能を持つ主
 さて、先ほどもご紹介しました『使徒言行録』には、復活のイエス様は、四十日間にわたってご自分が生きていることを弟子たちにお示しになっただけではなく、神の国について教えられたということが書かれていました。

 神の国とは何でしょうか。イエス様がガリラヤで福音宣教の業を開始された時、最初にお伝えになったことは「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」ということでありました。神の国とは、神の御心が行われる国でありましょう。そのためには、神様が愛と正義を行われるだけではありません。神様の愛を喜び、その教えを尊ぶような人々が住むような国であります。イエス様の三年間の宣教も、十字架も、復活も、すべてはそのような神の国の実現のためでありました。そして、そのすべてを成し遂げられた時、イエス様は「わたしは天と地の一切の権能を授かった」と言われたのであります。つまり、天のおいても、地においても、イエス様はどのようにでも御心を行うことができる権利を、能力をお持ちになったということなのであります。

 ということは、今私たちが生きているこの世界においても、あるいは私たちの人生においても、イエス様は思うがままに采配をふるい、御心をなしておられる、なすことができるということであります。それなら、すでにここに神の国が来ていると言ってもよいでありましょう。

 しかし、先ほど疑いと信仰のせめぎ合いの話と同じですが、本当にこの世界を見て、私たちの人生を考えて、そこにイエス様のご支配が行われているということを信じることができるでありましょうか。正直に言って、この争いと苦しみに満ちた世界、悩みと悲しみに満ちた人生に、神様の愛と正義が行われているということは、まったく信じがたいことなのであります。

 先日の聖書の学びと祈り会でもお話ししたことなのですが、青年の頃、私はクリスチャンの友人としばしば時を忘れて聖書や信仰について、また世の中のあらゆることについて語り合いました。しかし、友人のNさんは、私が神の愛、神の真実について熱っぽく語ると、必ずこういうのです。

「でも、現実は・・・」

 これは彼の口癖で、共に語り合っている最中、何度もこの言葉を繰り返すのでした。確かに私は社会経験のない学生で現実を知りませんでした。それに対して彼は私より五歳ばかり年上で、色々と世の中の世知辛さというものを味わってきた辛い経験から、このような口癖を持つようになってしまったのでした。しかし、彼は決して神の愛や神の真実を真っ向から否定しようとしている人間ではありません。世間知らずの私の信仰論を決して馬鹿にするようなことはありませんでしたし、むしろ好んで聞いてくれていたのです。彼は神の救いにたいへん強い憧れをもっていました。また、彼はとても優しい心の持ち主でした。その優しさが厳しい現実社会の中では仇となり、彼は苦々しい経験をしてきたのです。そいて、その辛い思い出が、彼の信仰と祈りの邪魔をしていたのでした。

 それは彼の苦しみの原因でもありました。そこで私は「Nさん、『でも、現実は』という口癖を言わないように努力をしてみたらどうだろうか」と提案しました。たかが口癖と思ってはいけません。日本の言霊信仰を例にとっても分かりますように、古今東西を問わず、言葉には霊的な力が宿っているということは誰もが認めていることです。聖書でも、「言葉に命があった」と言われています。ネガティブな言葉は、ネガティブな人格を形成するのです。彼は、私の提案を受け入れてくれました。すると、彼はみるみるうちに言葉の呪縛から解き放たれ、神の現実がこの世の現実よりも真実で確かなものであるという信仰を持つに成長していったのです。

 このような話を聞きますと、当時、私の信仰が彼の信仰に勝っていたかのような印象を受けられるかもしれません。それは間違いです。世間知らずの私は、彼の味わってきた現実の厳しさを何も知りませんでした。聖書を素直に信じる信仰と現実社会との葛藤を経験していませんでした。だからこそ、躊躇なくそのようなことが言えたのだろうと思います。では、あれから約二十年を経た今、他の人々と同じように、私も様々な苦しみや悲しみを経験してきました。そういう意味で、若いときのように何のためらいもなく神の愛と真実を語ることができる人間ではなくなりました。「でも、現実は」という言葉の意味がとてもよく分かるのです。

 だからといって、私は神の愛と真実を「でも、現実は」という元も子もない言葉によって否む気にもなれません。それならば、この厳しく世知辛い現実社会の中で、いったいいかなる言葉で神の愛と真実を語ることができるのでしょうか? それは「それにも関わらず」という言葉ではないかと思うのです。目の前の現実がいかに暗く、悲惨で、絶望的であっても、「それにも関わらず」と言って、神の愛と真実を信じ、そこに望みを持つこと、それが信仰ではありませんでしょうか。

 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

 信仰とは目に見えないものを見て生きることにほかなりません。反対に言えば、目に見えるものに捕らわれずに生きることです。どんな美しいものにも目を奪われず、さりとて貧しくみずぼらしいものからも目を背けない。どんな喜びを経験して決して有頂天にならず、どんな悲惨さの前にも絶望しない。目に見えることがすべてだとするのではなく、見えないものに目を向けようとしなければ真実は見えてきません。聖書は、私たちにこのように告げています。

 「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」

 私たちは聖書を読んで、「でも、現実は・・・」と嘯きたくなるような誘惑にかられます。まるで現実については、神様よりも自分の方がよっぽどよく知っているのだと言わんばかりです。しかし、この世界が「神の言葉」によって創造されていたとしたらどうでしょうか? その神の言葉を覆い隠すような出来事がどんなに多くあったとしても、それでもなお、この世界の真実の姿は神の言葉にあるのです。それを信じるのが信仰であり、希望なのではないでしょうか。

 そして、イエス様はこう言われます。「わたしは天と地の一切の権能を授かった」。また「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とも言われました。目に見える世界の姿がどんなに悲惨な様相を呈していても、それにもかかわらず、イエス様がこの世界の主であり、イエス様こそこの世界に対して力を持っておられる方である。そのことを信じたいのです。その信仰から、希望というものが湧いてきます。そして、その希望は、神の言葉は真実である限り、失望に終わることはないのです。

弟子たちに世界宣教を命じられる
 逆に言えば、そのこと以外に、この世の望みを持てることはないと言ってもいいのではないでしょうか。本当に多くの人が、望みを持つことができず、暗さの中をさ迷っています。空しいものを追い求めたり、自暴自棄に陥ったり、絶望の殻に閉じこもってしまっています。

 イエス様は、弟子たちが、つまり教会が、このような世の中に出て言って、主は生きておられる、主こそこの世界において力をもっておられる御方であるとの希望を語り、愛を語り、勇気づけるようにということを、命じておられるのであります。

 「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 イエス様が願っておられるのは、神なき望みなき人々が、真の神を知り、望みのある人間になることであります。愛なき人々が、神の愛を知り、愛に満たされた人間になることであります。そのために、御言葉を宣べ伝えよ、洗礼を授けよと、弟子たちを世に遣わされるのです。

 「しかし、疑う者もいた」

 そうです。私たちはそのような人間です。しかし、それに関わらず、主は私たちを恵みの器として清め、証し人として世に遣わされているのです。祈りをもって、希望をもって、そして愛をもって、世に生きる者でありたいと願います。  
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