キレネ人シモンの十字架
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書 ルカによる福音書23章26-31節
旧約聖書 イザヤ書65章1節
悲しみの道
 ポンティオ・ピラトによって十字架の処刑判決を受けたイエス様は、ローマの下級兵士たちの手に引き渡され、彼らによってさんざん弄ばれ、侮辱をお受けになりました。そして、その後、十字架を自ら背負って、エルサレムの町の外にある処刑場まで歩かされることになったのであります。

 処刑場は、ヘブライ語でゴルゴダの丘、ラテン語ではカルバリーの丘、日本語に訳すとされこうべの丘という、たいへん不気味な名前で呼ばれています。また、イエス様が歩かれたゴルゴダへの道を、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と呼んでおりまして、今では巡礼の道となっているということであります。 約1キロの石畳の狭い道で、緩やかな登り坂になっているそうです。

 このヴィア・ドロローサには十字架の判決を受けた場所から始まり、イエス様が最初に倒れた場所、二番目に倒れた場所など、聖書や伝説に基づいて分けられた14のステーションがあり、そこで巡礼者はいちいち立ち止まって、イエス様の十字架への道行きを偲びつつ、祈りながら、この悲しみの道を歩いていくのだそうです。

 実は、エルサレムにまで行かなくても、カトリック教会に行きますと、「十字架の道行き」と言われる十四枚の絵、あるいはレリーフのようなものがあります。やはり、その一つずつの前で立ち止まり、祈りと黙想を捧げながら、歩くのだそうです。

 私たちプロテスタント教会では、そのような形でイエス様の十字架の道行きを覚えるという習慣はありません。しかし、わたしは「悲しみの道」という言葉に心惹かれるのです。私たちの人生は、まさしく悲しみの道と言えないでしょうか。

 友に裏切られる悲しみ、愛する家族との死別する悲しみ、健康を失う悲しみ、夢が破れる悲しみ・・・。十四どころではない、生きていくうちには多くの悲しみの場面があります。そして、そのような悲しみを味わう度に、私たちは自分の歩みを留め、立ち止まって、イエス様の十字架の道行きを思う。それが私たちの十字架の道行きだと言えなくもないと思うのです。
キレネ人シモン
 そんな辛いときによく思い起こしますのが、キレネ人シモンとイエス様との出逢いの話であります。

 「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。」(ルカ23:26)

 シモンという人は、考えてみればたいへんな災難に出遭った人であります。たまたまそこにいたというだけで、イエス様の十字架を無理矢理背負わされ、イエス様と一緒にゴルゴダまで歩かされてしまったというのであります。

 キレネというのは、現在のリビアに属する町でありまして、昔はエジプトのアレキサンドリアと並んでユダヤ人がもっと多く住んだ町として知られていました。彼もそのようなユダヤ人のひとりで、おそらく過越しの祭りを祝うために、はるばるとエルサレムに巡礼にやってきていたのであります。それは楽しい、思い出深い旅行となるはずだったでありましょう。

 ところが、そこで彼は、十字架を背負って処刑場に引かれていくイエス様に巡り合うのです。イエス様は、前の晩に逮捕されて以来、眠るまもなく裁判をお受けになり、あちらこちらに引き回された上、鞭で打たれ、激しく衰弱しておられたに違いありません。そんな状態で、重い十字架を担いで歩かされるわけですから、足取りは重く、何度も倒れこんでしまわれた。それで、兵士たちは、たまたま目に入った通りがかりのシモンを捕まえて、「おい、お前が背負ってやれ」と、イエス様の十字架を無理矢理シモンに背負わせたのであります。

 私は、悲しみの日や試練の日に、このキレネ人シモンのことを思います。キレネ人シモンは、きっと深く嘆いたでありましょう。「何たる不幸! 何たる災難! どうして、私がこんな目に遭わなくてはらないのか? 」と。考えてみますと、私たちの経験する悲しみや、背負わされる人生の重荷というのは、大抵こんな風に、思いもよらぬ形で、わけもなく、とても納得できないような形で、しかし、どうしても受け取らなくてならないものとして、私たちにのしかかってくることが多いのであります。

 「のしかかってくる」と申しましたが、キレネ人シモンの十字架もそうでありまして、聖書に「背負わせ」と書いてありますのは、担ぐという言葉ではなく、上に置くという意味の言葉なのです。上に置かれてしまった。それならば嫌でも担ぐしかないのです。そういう十字架なのであります。

 ところが、不思議としか言い様のないことでありますが、後に、このキレネ人シモンは洗礼を受けてクリスチャンとなったというのです。これは単なる伝説ではなく、聖書にそのものに根拠のある確かな話なのです。

 まず、たまたま居合わせただけの彼の名前や出身地が、聖書にちゃんと残されているということが、彼が後に教会の一員となっていたことを想像させます。『マルコによる福音書』によりますと、彼の子供たちの名前までもが紹介されているのであります。

 「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」(『マルコによる福音書』15章21節)

 「アクレサンドロとルフォスとの父シモン」、このような書き方を見ますと、彼の息子たちは誰もがその名を知る教会の主力メンバーだったとも想像されます。あの二人の父親が、実はイエス様の十字架を負ったシモンなんだよと、そんな風な書き方がされているのです。

 特にルフォスはローマ教会の信徒であったようで、その名前がパウロの手紙の中に登場してきます。

「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。」(『ローマの信徒への手紙』16章13節)
「ルフォスの母は、わたしにとっても母なのです」と、パウロは親しみを込めて挨拶をしています。ルフォスの母ということは、シモンの妻ということでありましょう。彼女にはまるで身内のように親切にされた恩義があると、パウロは感謝をこめて挨拶を送っているのであります。
これについては、さらにシモンとパウロのつながりを示すような聖書の箇所があります。

 「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。」(『使徒言行録』13章1節)

 ここには、異邦人伝道の拠点となったアンティオキア教会のメンバー数人が紹介されています。バルナバとサウロ(パウロ)の名前がありますが、彼らはこのアンティオキア教会の中心的奉仕者であり、ここから祈りをもって伝道旅行に送り出されたのは、よく知られている話であります。

 その中に、「ニゲルと呼ばれるシメオン」と言われている人がいます。彼が、シモンのことだと思われるのです。ニゲルというのはアフリカ系の人を指す言葉ですし、シメオンというのはシモンのラテン語形だからです。

 先ほどの『ローマの信徒への手紙』で、パウロは、ルフォスの母、つまりシモンの妻ですが、彼女には家族の一員のごとく親切にされ、お世話になったという意味のことを言っていましたが、それはたぶんこのアンティオキア教会の時代のことでありましょう。パウロは生涯独身を貫いた人でありますから、シモンの妻が何かとパウロの身の回りの世話をやいてくれたのではないかと思います。

 このような聖書の箇所から、シモンは後に主の弟子となり、しかも一家そろって回心し、パウロを助け、教会の中心メンバーとして本当によい働きなし、善き証しを立てていたということが分かるのであります。

 無理矢理十字架を背負わされた時には、「なんて運が悪いだ!」とシモンは自分の運命を嘆いたに違いありません。しかし、それは、後で考えれば、救い主なるイエス様との出逢いという神の恩寵の業と言わざるを得ないような出来事であったのであります。
余計なこと
 よく、このようなことを「強いられた恵み」という言い方をいたします。「強いられた恵み」とはいったい何の事でありましょうか。神様の恵みを受け取ろうとしない者に、神様が強いるようにして恵みを与え給うということです。そのことをとてもよく言い表した御言葉があります。それが、今日併せてお読みしました『イザヤ書』65章1節です。

 「わたしに尋ねようとしない者にも
  わたしは、尋ね出される者となり
  わたしを求めようとしない者にも
  見いだされる者となった。
  わたしの名を呼ばない民にも
  わたしはここにいる、ここにいると言った。」

 神様は、人間を「わたしを尋ねようとしない者」、「わたしを求めようとしない者」、「わたしの名を呼ばない者」とおっしゃいます。まったく仰られるとおりでありまして、今こうして神様を礼拝し、御言葉に耳を傾けている私たちでありましても、かつてはそのような者であったのであります。

 そのような人間に、神様は、イエス様も与えてくださいましたし、教会も与えてくださっていましたし、聖書も与えてくださいました。それでもなお、神様を「尋ねようとしない者」、「求めようとしない者」、「名を呼ばない者」で在り続けるというならば、もうそれは人間の責任でありまして、神様の責任ではありません。それどころか、そもそも神様の方を向こうとしない人間でありますから、これ以上のアプローチをかけても、余計なお節介だとうるさがられるのが落ちでありましょう。

 しかし、神様は敢えてこの余計なことを人間になさろうとするのだと、この『イザヤ書』に記されているのであります。

 「わたしに尋ねようとしない者にも
  わたしは、尋ね出される者となり
  わたしを求めようとしない者にも
  見いだされる者となった。
  わたしの名を呼ばない民にも
  わたしはここにいる、ここにいると言った。」

 余計なことというのは、つい迷惑なことだと決めつけがちですが、考えてみますと、人間というのは自分ではなかなか気づかないことや、間違った思い込みということがたくさんあるわけです。そうしますと、少々嫌な思いをしたとしても、必要以上のことをもって自分を叱ってくれたり、正してくれたり、あるいは世話をやいてくる人というのが、実は後になってみるとたいへん有り難い存在であるということに気がつくことがあるのです。

 ところが、そういう余計なことまで自分のためにしてくれる他人様というのは、そう滅多に出会えるものではありません。なぜなら、いくらこちらが親切余ってのことであっても、相手は不愉快な思いをするわけで、それは必ず自分に跳ね返ってくることになるからです。結局、相手も不快な思いをし、自分も傷ついてしまうという不幸な結果になるのは分かっているわけです。

 それにもかかわらず、なお人のことを思って、余計なお節介と煩がられても、本当の意味で為になることをしようとするには、よほど大きな愛と知恵が必要になるでありましょう。神様は、そういうことをしてくださるのだというのです。

 当座の間は、なぜ神様はこんなことをなさるのかと、文句の一つも言いたくなるような、辛いこと、悲しいことがあるかもしれません。不運だ、最悪だと、神様を恨みたくなるような気持ちにもなるかもしれません。しかし、そのことによって、嫌々ながらも、神様の御心というものを考えざるを得なくなります。否が応でも神様に頼らざるを得なくなるときもあります。私たちは、無理矢理でもそういう経験をさせられることによって、神様の深くて大きな御心、愛、救いというものに気づかされ、本当の意味での神様との出逢いへと導かれていくのです。

 そして、「ああ、こういうことでもなかったら、私は決してこの素晴らしい神様を知ることがなかっただろう」と、苦しみの体験さえも恵みの経験とすることができるようになることがあるわけです。詩編119編71節の御言葉は、信仰者のそういう経験を率直に言い表しています。

 「困苦(くる)しみにあひたりしは、我によきことなり。此によりて、我なんぢの律法(おきて)をまなびえたり」(文語訳)

 苦しみ、悲しみ、重荷というのは、「わたしを尋ねようとしない者」、「わたしを求めようとしない者」、「わたしの名を呼ばない者」に対してまでも、なお見いだされる者になろうとする、ある意味では神様の余計な業であり、しかしその実、必要以上のことをもって私たちを導かれようとする神様の大きな、力強い愛の業なのです。そして、これが「強いられた恵み」ということであります。
「巡り合い」から「出逢い」へ
 もう少しキレネ人シモンに与えられた「強いられた恵み」というものをご一緒に考えてみましょう。シモンは、十字架を無理矢理担がされた体験からどのように主の弟子へと変えられていったのでありましょうか。

 シモンは、たまたま十字架を負うイエス様に巡り合わせたのでありました。そして、珍しいものでも見るかのように、他の大勢の人に交じって行列を見物していたのであります。もし、このまま何事もなければ、イエス様の十字架の話というのは、里に帰った時の土産話になるぐらいで、それ以上のものではなかったはずです。

 しかし、彼はそのような傍観者の立場から、無理矢理でありますけれども、イエス様の十字架の出来事における当事者の一人にされ、そのことによって、シモンは、「なぜ、自分がこのような目に遭うのか」、「いったい、このイエスという男は何者なのか」、「なぜ、十字架にかけられるのか」ということを、自分の問題として考えざるを得なくされたのだろうと思います。

 尼崎における福知山線の列車事故があった時のことでした。愛する家族を失って悲しみに暮れている方が、差し向けられたマイクにこう答えていました。「私は運転手よりも、JRよりも、神様を憎む」と。この人は、これまで何かしらの神様を信じきたというわけではないように思えました。普段は神様なんて言葉を口にすることも滅多になかったに違いありません。つまり、今まで神様を愛してきたのに、もう愛せなくなった、それどころか憎むようになった、そう意味の言葉ではないのです。

 私は、ずいぶん身勝手な言いぐさだなあと思いました。しかし、その人の身になって考えてみると、単なる身勝手ではなく、とても本質を突いたことを言っているのでは言っているのではないかと思い直さざるを得ないのです。

 この事故は死者107名、負傷者550名を出した大規模な列車事故です。私たちはその規模の大きさを見て、どうしてこんな事故が起こったのだろうと思います。これについてはいろいろなことが取りざたされましたが、この事故に巻き込まれた人々の感覚はちょっと違うのではないでしょうか。彼らにとって、「どうして?」という問いは、単に事故の原因だけに向けられているわけではないと思うのです。脱線してしまったのは列車だけではなく、彼らの人生でもあったからです。たとえ列車脱線の原因がわかったところで、今までの人生が突如として失われてしまった悲劇については何ら納得できる答えを見いだせるわけではないでしょう。

 そうしますと、やはりこれは運転手のミスとか、JRの安全管理の不届きとか、そういう次元の問題としてではなく、神様に問うべき問題であるということに至のではないでしょうか。逆に言うと、日頃は神様ということを少しも考えないで生きてきた人であっても、神様ということを考えなければどうしても生きていけない問題、解決の糸口が見えてこない問題が起こったということなのです。

 この列車事故もそうですが、人生には本当にどうしてのこのような事と巡り合わせてしまったのだろうと思えるようなことがたくさんあるのです。しかし、そのことを通して、神様は私たちに出逢おうとしてくださっている。イエス様の十字架の恵みの中に招き入れようとしてくださっているのだということを、このキレネ人シモンの話は思い起こさせてくれるのです。

 私は、「神様を憎む」と言った人が、そのことを通して本当に神様に向き合うようになり、やがては神様の御心を受けいれることができるようになればということを願ってやみません。そして、私たち自身も、いろいろな運命の巡り合わせによって悲しみや苦しみや重荷を負わされていますけれども、ただ悲観するのではなく、そのことを通して神様と出会いを果たす者にされたいと願うのです。
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