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今、私たちは、イエス様のご生涯の中でも、十字架にかけられるまで裁判の成り行きというものを学んでいます。今日はまずこれまでの流れを復習して、それからヘロデ王の前で尋問されるイエス様ということについて学びたいと思います。
ゲツセマネの園で逮捕され、真っ先にイエス様が連れて行かれたのは、大祭司の舅であり、陰の実力者であったアンナスの前でありました。これはユダヤの正式の裁判である最高法院が開かれるまでの予備的な尋問であったと考えられます。まもなく最高法院が招集されますと、イエス様は時の大祭司カイアファの前に立たされ、裁判が行われます。真夜中の裁判でありました。この裁判で、イエス様は神を冒涜した廉で死罪を言い渡されたのでした。
普通ならこれで、彼らは自分たちの手でイエス様を石打の刑にすることができたのでありますが、彼らはそうしませんでした。夜明けと共に、イエス様を再び曳いていき、総督ピラトの官邸に連れて行ったのです。そして「この男は民衆を扇動し、ローマ帝国に楯突こうとした危険な人物です」と訴えて、十字架につけてくれるようにと強く要求したのでありました。
どうして彼らは、イエス様がローマの手で裁かれることにこだわったのか。いろいろな思惑があったかと思います。たとえば、今まで何度もユダヤ当局がイエス様を捕まえようとしてもそれができなかったのは、民衆を恐れていたからだということが聖書に繰り返し記されています。
「毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。」(『ルカによる福音書』19章47-48節)
「そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。」(『ルカによる福音書』20章19節)
「祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。」(『ルカによる福音書』22章2節)
ここに取り上げましたのは皆、イエス様がエルサレムに入城されてから逮捕されるまで数日の間の出来事です。つまり、ユダヤ当局は、イエス様を捕まえようとする一方で、民衆の非難が自分たちに向けられることを非常に恐れていたのです。そうしますと、ローマの役人にイエス様を裁かせ、死刑にさせることによって民衆の非難や攻撃をかわそうとしたのかもしれません。
けれども、彼らにどんな思惑があったにしても、それだけで物事が進んでいったのではないと、聖書は告げています。先週お読みしました『ヨハネによる福音書』には、この件について、こう書いてあるのです。
「ピラトが、『あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け』と言うと、ユダヤ人たちは、『わたしたちには、人を死刑にする権限がありません』と言った。それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。」(『ヨハネによる福音書』18章31-32節)
イエス様がどのような形で死を遂げられるかということについては、イエス様ご自身がお語りになっていたことが実現したのだというわけです。イエス様の言葉というのは神様の御心を表しているのでありますから、神のご意志がそこにあったということでありましょう。つまり、イエス様の十字架は、ユダヤ当局がイエス様を憎しといって迫害して殺したというだけの話ではなく、神様がイエス様にお与えになったことであり、イエス様もまたそれを御心として受け取られたのだ、それを見落としてはいけないのだと、聖書は教えているのであります。
さて、ピラトは、ユダヤ人の訴えに従って、イエス様を取り調べました。ユダヤ人の訴えについては、今日お読みしたところにこう書いてあります。
「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」
そこで、ピラトはイエス様に「お前はユダヤ人の王なのか」と聞きます。しかし、イエス様は「そうである」とも、「そうではない」ともお答えにならなかった。「それはあなたが言ったことです」と答えたというのです。問いと答えがかみ合ってないように思えますが、「それはあなたが決めることだ」という意味ではないかと思います。要するに、「あなたはユダヤ人の王なのか」と問うピラトに対して、「あなたはどう思っているのか」とイエス様が問い返したのです。
『ヨハネによる福音書』を読みますと、もっと詳しいやりとりが書いてありまして、イエス様は「わたしの力は真理に基づくものであって、この世の政治的な権力とは違うのだ」という意味のことをおっしゃったと、あります。それに対して、ピラトは「真理とは何か」と問い返す、先週はそこまでお話ししたのでありました。
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ピラトは、イエス様とのやりとりから、これはユダヤ人たちの宗教上の問題だと悟りました。宗教上の問題であるならば、イエス様が「わたしは王である」と主張したとしても、はたまた「わたしは神である」と言おうとも、何の罪もないと判断したのです。
それでピラトはユダヤ人らの前に出て行って、「わたしはこの男に何の罪も見いだせなかった」と、イエス様を突き返そうとします。
「われ此の人に咎あるを見ず」
文語でお読みしますとこうなります。ピラトは、この後も再三このことを主張します。
「ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』」(『ルカによる福音書』23章13-14節)
「ピラトは三度目に言った。『いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』」(『ルカによる福音書』23章22節)
こうして読みますと、ピラトは何とかイエス様を助けようとしているのではないかと思えてきます。けれども、最終的にはユダヤ人の強い要望に押し切られる形で、イエス様に死刑判決を下してしまうのでありました。
この当たりの様子についてはまた次回、丁寧にお話ししたいと思いますが、一つだけ申しますと、イエス様を十字架につけたのはイエス様を憎きとするユダヤ人たちだけではなかったということなのです。イエス様に罪を着せようとした人も、イエス様には罪がないと言った人も、結局はこぞってイエス様を十字架につけてしまったのだということが、ここで言われているのだと思うのです。
さて、ユダヤ人たちは、「われ此の人に咎あるを見ず」というピラトに、なおも食い下がって、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った、と言われています。それでピラトは困ってしまうのですが、「ガリラヤ」という地名から、その地の領主ヘロデ・アンティパスがこの都に来ていることを思い起こしました。「そうだ。ヘロデのもとに送ることにしよう。この男は彼の領民なのだから、彼に任せればいい」と、ピラトはそう考えまして、イエス様をヘロデのもとに送ることになったのです。
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こうして、イエス様は再び場所を変えて、今度はヘロデ・アンティパスの尋問を受けることになったのでした。このヘロデは、イエス様がお生まれになった時のヘロデ大王ではなく、彼の息子のヘロデ・アンティパスです。
このヘロデ・アンティパスは、洗礼者ヨハネの首を切った人でありました。この事件は、彼の性格を非常によく表していますので、ちょっとお話しておきたいと思います。
この事件は、ヘロデ・アンティパスが兄弟ピリポの妻ヘロディアを奪って結婚してしたことを、洗礼者ヨハネが歯に衣着せず厳しく諫めたことに始まります。アンティパスもヘロディアもヨハネに腹を立て、牢に幽閉してしまいます。しかし、その一方で、ヘロデは心の中で洗礼者ヨハネを尊敬しており、ヨハネの教えを聞いて非常に当惑しながら、なお喜んで耳を傾けている、そういう一面もあったと言います。ですから、アンティパスはヨハネを牢に入れておきながらも、殺すつもりはありませんでした。むしろ、手厚く保護していたのであります。
ところが、自分の誕生パーティーを開いた時のことです。招かれていた高官や将校、ガリラヤの有力者たちの前で、愛するヘロディアの娘が非常に素晴らしい踊りを披露しました。来賓の人たちも絶賛して喜んだ。それにとても気をよくしたアンティパスは、娘に「欲しいものがあれば何なりと願いなさい」と、人々の前で気前のいいことを言ってしまうのです。すると、娘は「ヨハネの首を」と答えたのでした。
ヨハネを聖者として恐れ、敬っていたアンティパスは青ざめます。しかし、みんなの前で誓ったことを取り下げれば自分が恥をかくことになると思い、心を痛めつつも、衛兵に命じてヨハネの首を盆に載せてもってこさせたというのです。
しばらくして、アンティパスは、ガリラヤの町々、村々を巡り歩いて、人々の病をいやしたり、神の教えを説いてまわるイエスという聖者のうわさを耳にします。人々はこの人のことを「洗礼者ヨハネが生き返ったのだ」と言っているというのです。アンティパスは、イエス様に興味を持ち、会ってみたいと思うようになったのでした。しかし、だんだん恐ろしくなって、イエス様を殺そうとしたりもしたということも、聖書に書かれています。
こうして見ますと、ヘロデ・アンティパスという人は、非常に心の安定を欠く人であるということがよく分かると思うのです。猛り狂う欲望のままに兄弟の妻を奪ってしまう。尊敬するヨハネがその罪を諫めても、情熱のままに走り、ヨハネを邪魔者として牢に閉じこめてしまう。しかし、その情熱が覚めるととたんに虚無感に襲われ、心は不安になり、自分が牢に閉じこめたヨハネの説教をもとめて聞いたりもする。そうかと思えば、誕生日の余興の褒美だと言って、ヨハネの首を娘に与えてしまう。そのヨハネの生き返りだと噂されるイエス様の話を聞くと、いたく興味をもって会ってみたいと思ったり、無性に恐ろしくなって殺そうとしたりする。気分屋で心の深みのない人、一時の享楽を追い求め、その虚しさにさいなまされ、いつも心に恐れと不安を抱えている人、ヘロデ・アンティパスというのはそのような人でありました。
わたしは、このようなヘロデ・アンティパスという人について思いめぐらしながら、一つの御言葉を思い起こしました。『ヤコブの手紙』1章6-8節です。
「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。」
「心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です」という指摘が、このヘロデ・アンティパスにぴったりではないかと思うのです。どうして、そんな風になってしまうのか。ヤコブ書は、それは「疑う者」だからであると言います。疑う者であるということは、信じない者であるということです。信じずるべきものをちゃんと持っていないということなのです。
そういう人は「風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています」と言われています。人生にはいろいろな「風」が吹いてきます。それによって、私たちの魂は、悲しんだり喜んだり、恐れたり安心したり、愛したり憎んだりと、揺れ動くのです。
それはどんな人も同じです。けれども、神への信仰というのはちょうど魂の碇のようなものだと思うのです。この碇を持たない人は、ただただ波風に翻弄されて、やがて沈没してしまいます。しかし、神への信仰をちゃんと持ち続けるならば、どんなに翻弄されても、ちゃんと安定した場所に落ち着くのです。
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さて、このヘロデ・アンティパスは、ピラトのもとから送られてきたイエス様に会うと、非常に喜びました。「非常に」という言葉がついています。ヘロデは、イエス様に会って歓喜したのです。その理由についても、聖書はこのように記しています。
「というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。」
ヘロデが喜んだのは、イエス様の奇跡が見たかったからで、それがちょうどいい退屈しのぎになると考えたからだったのです。
こうしてみますと、人がイエス様を求める気持ち、イエス様に期待する気持ちにも、いろいろあるのだということに気づかされます。神殿で、ひたすら救い主の到来を待ち望んでいたシメオンが、マリアとヨセフに抱かれた嬰児イエス様を見て、「これでも、思い残すことなく死ぬことができます」と喜んだという話があります。あるいは、イエス様が十字架にかかって、失意と悲しみのうちに沈んでいた弟子たちの所に、あの復活の日の夕暮れ、イエス様が鍵のかかった部屋にすうっと入ってこられ、「平安あれ」と祝福してくださった時、弟子たちは主を見て喜んだという話もあります。しかし、そのようなシメオンや弟子たちの喜びと、ヘロデが主を見て喜んだこととは質的にまったく違うものでした。
シメオンにしろ、弟子たちにしろ、イエス様のうちに神の救いを見て喜んだのであります。しかし、ヘロデがイエス様に期待していたのは、神の教えでも、罪の救いでも、神の国の到来でもなく、いっときの慰みであり、恐いもの見たさの好奇心が満たされることでした。
私は、教会に来る方はいろいろな動機をもっていらしても良いと思っているのです。きっかけは何であれ、それをイエス様との人生の出会いを果たすチャンスにしていただければ良いからです。
逆に言えば、教会が人に与えることができるものはそれしかありません。十字架のキリスト、復活のキリス、このイエス様によって、人間のすべての問題が解決され、すべての人に喜びを満たすことができると、そのことを信じて、イエス様を伝えていくのが教会という所でありましょう。
悩み事を聞いて欲しいと電話してくる方、キリスト教に関するさまざまな疑問をぶつけてくる方、学校の宿題で教会に来る方、酔っぱらってくる方、無心に来るホームレスの方、結婚式を挙げて欲しいと言ってくる方、心霊写真のお祓いをして欲しいという人もありました。私は、どんな人にも出来るだけ丁寧に、親切に応対しようと心がけています。しかし、そうやっていらした方々の求めに、何でもかんでも快く応じられるわけではないのです。荒川教会が人に与えることができるのは、イエス様と出会いのみでなのです
そうしますと、せっかく教会にいらしてくださっても、失望して帰る方も出てくることになります。場合によっては、勝手なことを云って罵しりながら教会を去っていく人もあります。寂しいことでありますけれども、それも仕方がないことかなと思うのです。
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ヘロデは、せっかくイエス様に会うことができたのに、それを本当に意味で人生の出会いにすることができませんでした。「いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった」と、聖書には記されています。きっと調子にのって、噂に聞いた奇跡の数々について、興味本位で意味のない質問を、立て続けにイエス様にぶつけたのでありましょう。しかし、イエス様は一言も答えてくださらなかったというのです。
これはどういうことなのでしょうか。普通に考えれば、イエス様はヘロデを低俗な人間として見なして、まったく相手にされなかったという風に受け取れます。しかし、それはちょっと違うのではないかと思うのです。尋ねても、尋ねても、相手が沈黙しているというのは、その沈黙に何か意味があるのだろうと思うのです。イエス様の沈黙にも、声なき声でヘロデに語りかけるものがあったのではありませんでしょうか。
しかし、ヘロデはしゃべり続けるばかりで、イエス様の声なき声を聞こうとはしませんでした。それどころか、イエス様が何も答えないとなると、最初は大はしゃぎして喜んでいたにも関わらず、今度は訴える者たちと一緒になって、イエス様をののしり、侮辱しはじめたというのです。
先ほど、せっかく教会にいらしても、イエス様との出会いを果たすことができないで去っていく人がいるというお話をしましたが、そのような人々は、どこかこのヘロデと似ているところがあるのかもしれません。つまり、せっかくイエス様にお会いしながら、自分のことばかりをしゃべり続けて、イエス様の声を聞こうとしていないということであります。教会というのは、私たちの祈りを捧げるところでもありますが、もっと大切なことは神様の声を聞くということにあるのです。そのためには、自分が、自分がとしゃべるのをやめ、虚心に耳を傾けるということが必要なのではないでしょうか。
どんな人でもそうですが、自分を中心に神様を考えているうちは、なかなか神の声ということが分からないのです。思い切って立場を逆転させ、神様、イエス様を中心に据え、神から見た自分というものを問うてみると、ぱっと目の前が開けるように真理の世界が見えて来て、神様の声が聞こえてくるということがあるわけです。
さて、ヘロデは結局、イエス様によって何も得ることができず、さんざんイエス様を侮辱したあげく、からかい半分にイエス様に派手な衣を着せて、ピラトのもとに送り返したとあります。そして、このことをきっかけに、仲の悪かったピラトと仲良くなったという話までおまけについています。これらのことについては、次回、少し触れることにしたいと思います。
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(c)共同訳聖書実行委員会
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Translation
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Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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