ゲツセマネの祈り (木曜日)
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書 マタイによる福音書26章36-46節
旧約聖書 詩編22編1-6節
ゲツセマネという処にいたりて
 今日はゲツセマネの祈りについてのお話です。これまで最後の晩餐、決別説教、そして弟子たちのためになさったイエス様の執り成しの祈りという所を、聖書を読んで学んできました。これらのお話は、いずれも十字架におかかりになる前の晩の話であるということを、度々申し上げてきましたのですが、ゲツセマネの祈りも、それと同じ夜のことであります。しかし、ここからはもはや十字架におかかりになる前とはいえない話になってきています。つまり、これはもう「前」ではなく「始まり」でありまして、このゲツセマネの祈りから、イエス様のご受難の物語が始まっているのです。

 イエス様と弟子たちはエルサレム市街のとある家の二階座敷で過越の食事を済ませ、しばらくの語らいの時をもたれると、エルサレム郊外のオリーブ山にお出かけになりました。オリーブ山というぐらいですから、当時はたくさんのオリーブの木が植わっていたと想像されます。その一画に、ゲツセマネと呼ばれている場所がありました。ゲツセマネとは「油搾り」という意味だそうです。おそらく、そこにはオリーブの実を圧搾して油をとるための施設があったのでありましょう。

 イエス様と弟子たちはそのゲツセマネという所に到着されました。もちろん、油を搾るためではありません。そこは、かねてからイエス様の祈りの場であったようなのです。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネを伴ひゆき
 「わたしが向こうで祈っている間、ここに座っていなさい」と、イエス様は入り口に弟子たちを留め置かれました。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを伴って園の奥に入って行かれました。

 この三人だけを伴われるということは、これまでにもあったことです。会堂長ヤイロの娘に「タリタ・クム」と言われて死の床より起きあがらせた時も、この三人だけがイエス様のそばにいて、それを目撃することが許されました。それから、山上の変貌と言われる出来事があった時もそうでした。この時の山はヘルモン山だと思われますが、イエス様はこの三人だけを伴って山に登られました。頂上にくると、イエス様のお姿はまばゆいばかりに輝きはじめ、モーセとエリヤが出現してイエス様と親しそうに語り始めたというのです。このようなイエス様と天との交わり、また神々しい御姿を直接目撃することが許されたのは、やはりペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけだったのです。

 なぜこの三人であったのか。この三人には、イエス様に見込まれるような特別な資質があったということなのでしょうか。あるいは格別に信仰篤いことが認められ、イエス様に信頼されていたということなのでしょうか。実際のところは、私にもよく分かりません。一つはっきりとしているのは、この三人だけが見ることをゆるされたイエス様の秘密があったということです。

 それは、イエス様のご正体に関することでありました。イエス様がこの三人だけを伴われた時というのは、いずれも神様とご自分との関係が特別なものであることが露わにされる時でありました。イエス様のうち隠されていた神の独り子としての栄光が発現する時と言ってもいいかと思います。イエス様はそのことを秘密になさっていたのであります。

 たとえば、イエス様はご自分のことを決して「神の子」とは言いわず、「人の子」と言い続けられました。それにもかかわらず、弟子たちや、奇跡を目撃した人々、はたまたイエス様に追い出された汚れた霊たちまでもが、イエス様を神の子だと賛美し始めますと、イエス様は決してそのことを人に言わないようにとお命じにもなったとも言われています。とはいえ、これは言ってみれば期間限定の秘密であります。そうでなければ、私たちは山上の変貌についても、ゲツセマネの祈りについても、今日何も知り得なかったでしょう。

 では何のために、イエス様はこのような期間限定の秘密をもたれるのでしょうか。おそらくイエス様は、ご自分のことを正しく理解してほしかったのだろうと思います。

 イエス様は誰であるか? 病気を治してもらったら、「ああ、有り難い、あなたこそ救い主です。」と、心から告白する人がいるかもしれません。あるいは、太陽のように神々しく輝き出す御姿を拝めば、やはり心打たれて、「あなたはこの世のものではありません。神の子です」という人がいるだろうと思います。確かに、そういうことはイエス様の神の子としての栄光の一部でありました。しかし、それだけであったら病気を治すとか、未来を占うとか、炭火の上を裸足で歩くとか、神懸かりになるとか、そういうことを売り物にしている、どこかの新興宗教の教祖とあまり変わらなくなってしまうのです。きっとイエス様は、ご自分がそのような陳腐な救世主に成り下がってしまうことを恐れたに違いありません。イエス様の栄光はそういうことにあるのではありません。

 イエス様の栄光、つまりイエス様こそが私たちのまたとなき救い主であることの証しは、ただ十字架と復活にこそ現れているのです。そのことにおいて、イエス様が誰であるかということが、明らかにされない限り、イエス様のなさった素晴らしい奇跡の数々も、本当のイエス様のすばらしさを証しているとはいえません。逆に、イエス様をまじない師とか、祈祷師とか、神懸かりとか、その類の人間におとしめてしまう可能性のあることなのです。ですから、イエス様はそれを誰にも言ってはならないと、奇跡の目撃者にお命じになったり、ごく限られた人間だけにお示しになったりしたのです。

 ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人が、どうしてその限られた人間として選ばれたのかは分かりませんが、彼らは、イエス様が十字架の主であり、復活の主であるということが明らかにされた時に、それらのことを人々に明らかにして、イエス様が誰であるかということを正しく宣べ伝えるために、主の証しの目撃者として選ばれたわけです。
憂い悲しみ出でて
 では、彼らはゲツセマネで、どんな主の御姿を目撃することになったのでしょうか。イエス様に連れられて、三人はゲツセマネの奥に入っていきます。するとイエス様は、今まで見たことがないような暗く、重い表情で、憂いと悲しみにもだえ苦しむ心の内を、弟子たちに吐露されたのでした。

 「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」(38)

 「わたしは死ぬばかりに悲しい」とありますが、日本語的になんかピンときません。文語訳では「わが心いたく憂いて死ぬばかりなり」となっており、この方が原語に照らしても、日本語的にも、イエス様の心情をよく伝えているように思います。いずれにせよ、イエス様ともあろう方がこんな風に苦しみもだえて、「ここで、わたしと一緒に目を覚ましていてくれ」と弟子たちに懇願するなどいうことは前代未聞のことでありました。

 さらに読ん進んでまいりますと、イエス様はそこからさらに少し離れたところに行かれると、そこにひれ伏して、額を塵につけて、こう祈ったというのです。

 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

 『ルカによる福音書』によりますと、イエス様が祈っておられるその時に、天使が現れてそばで力づけたこと、またイエス様は苦しみもだえていよいよ切に祈り、汗が血の滴りのように地面に落ちたことが感動的に記されています。やはり文語訳で紹介しましょう。

 「時に天より御使い、現れて、イエスに力を添ふ。イエス悲しみ迫り、いよいよ切に祈り給へば、汗は地上に落つる血の雫の如し」(文語訳『ルカ伝』22章43-44節)

 ゲツセマネにおいて、三人の弟子たちが格別に召し出されて目撃した主の御姿というのは、栄光に輝く御姿というよりも、このように憂い悩み、苦しみもだえ、目前の十字架に恐れおののく御姿であったのです。
ソクラテスとの比較
 ところで、ゲツセマネにおけるイエス様のこのような御姿を語るときに、よく引き合いに出されるのがソクラテスの死に臨む態度であります。

 ソクラテスはイエス様よりずっと前の時代、紀元前5世紀にアテネで活躍した哲学者であります。フィロソフィア、すなわち哲学という言葉を始めて使った哲学の創始者でした。このソクラテスにはいろいろな点でイエス様に似ている部分があります。

 アテネといえば、哲学だけではなく民主主義の生まれた国として有名ですが、民主主義には一つ大きな弱点があります。民主主義は話し合いをして、多数決で決めるという政治の仕方でありますから、弁が立つ人が多数を動かし、政治の主導権を握ることになるのです。すると黒を白といったり、白を黒と言ったりする人が現れても、その人の話し方さえうまければ、人々を誘導し、自分の意見を通してしまうことができるようになるわけです。実際、アテネの民主主義は、本当に人々のためになることよりも、一部の雄弁家な有力者たちが「民主主義」「多意見」の名の下に、自分たちの利益だけを追求するようになっていたのでした。

 ソクラテスという人はこういう衆愚政治(堕落した民主主義)に嫌気がさして、詭弁で大衆を扇動する有力政治家や、雄弁術、詭弁術の教師たちを厳しく批判しました。そして、そのために有力者、実力者たちからは煙たがられ、敵視され、ついには若者を惑わし、国の秩序を乱したかどで有罪となり、死刑判決がくだされてしまったのです。

 イエス様もまた、一部の有力者、つまり祭司長や律法学者、ファリサイ派の人たちの偽善を暴き、それが彼らの敵意を生むことになりました。その結果、激しい迫害を受け、とってつけたような罪状書きをつけられて十字架にかけられてしまうのです。その辺が、ソクラテスと状況はよく似ているのです。しかし、まったく違うのは、二人の死に臨む態度です。

 ソクラテスは牢に入れられ、毒ニンジンの杯を飲まされることになるのですが、弟子プラトンの目撃したところによれば、彼は悪法も法なりと刑罰を平静に受け止めて、さらには魂は不滅で、死は肉体という牢獄から魂を解放して自由にしてくれる喜ばしいものであると、最後まで心静かに自分の哲学を弟子たちに説き、その言葉の通りに死をまったく恐れることなく、平安のうちに毒の杯を飲み干したというのです。

 このようなソクラテスに比べてイエス様はどうであったかというと、「わが心いたく憂いて死ぬばかりなり」と恐れおののき、「父よ、できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせてください」と、顔を塵につけ、血の雫のような汗をしたたらせて、切に祈ったというのです。これだけを見てどちらが英雄的かと問えば、当然ソクラテスに軍配が上がることでありましょう。

 しかし、ここで注意しなくてはならないのは、イエス様が何を恐れたのかということです。イエス様が恐れていたのは、これから自分を殺そうとやってくる祭司長や長老たちではありません。鞭や茨の冠や十字架によって受けるだろう肉体的な痛みでもありません。イエス様が恐れたのは「死」そのものなのであります。

 死とは何か。ソクラテスは、死を自分の魂を自由にしてくれる友だと語り、解放者だと信じていました。しかし、イエス様は死を愛する方ではなく、生を愛する方でした。生命こそが神に属するものであり、「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福したまうものであるからです。イエス様にとって死とは、そういう神様を失うであり、神に捨てられることであり、神の呪いの中に投げ込まれることだったのです。

 だから、イエス様は「わが心いたく憂いて死ぬばかりなり」と恐れおののき、弟子たちに「私のそばで目を覚ましていてくれ」と懇願し、「父よ、できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせてください」と、切なる祈りをなし給うのでした。
主の戦いは私たちのために
 しかし、この苦しみもだえるイエス様の御姿にこそ、私たちの救いがあるのでありまして、『ヘブライ人への手紙』5章7-9節にこう記されています。

 「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。」

 ここでは、イエス様が泣き叫び叫びながら、御自分を死から救う力のある方に祈ったということが書かれています。そして、その結果、「その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」とあるのです。

 イエス様は「この杯を飲まなくてもいいようにしてください」と祈ったけれども、十字架にかけられてしまった。それにも関わらず、このゲツセマネの祈りは聞かれたのだと、聖書は言っていることが不思議です。それはどういうことかと言えば、間違いなく主の復活のことを言っているのでありましょう。

 イエス様は死を恐れました。それは死とは神から捨てられることであったからです。逆に言えば、イエス様の願いは、十字架にかからぬことではなく、いつまでも神様と共にいる者となることだったといえるのです。神様は、その願いを聞いて、イエス様に永遠の命を与え、復活させてくださった。だから、ゲツセマネの祈りはかなえられたのです。

 しかし、ここでもう一つの謎があります。それは「キリストは御子であるにもかかわらず」と書いてあることです。イエス様は、神様の御子でいらっしゃいます。神様に捨てられなければならないようなことは、何一つ身に覚えのないお方です。それなのにどうして、イエス様は十字架に死に、一度は神に見捨てられる者にならなければならなかったのでしょうか。

 それは、イエス様ご自身のゆえではありません。私たちのためなのです。イエス様は、神の御子として御座を離れ、真の人間となり、私たちの死を死んでくださいました。それが十字架です。罪なき神の御子が罪人の友となり、罪人と共に神に捨てられた死を死んでくださったのです。ということは、私たちは罪人として死んでも、なおイエス様につながっているということになるではありませんでしょうか。そして、死んでもイエス様につながっているならば、イエス様と共に生きるようになる。これが私たちの救いなのです。

 そう考えますと、イエス様のゲツセマネの祈りというのは、罪のうちに神に捨てられて死んでいくほかない私たち人間が祈らなければならない、本当に救いのない苦悩に満ちた祈りだとも言えます。イエス様がゲツセマネで味わった恐怖、悲しみというのは、私たちが味わうべき死の恐怖であり、悲しみであったのです。それを、イエス様が代わりに祈ってくださったのです。その祈りのゆえに、永遠の命を勝ち取られた。それもまた、私たちのためだったのです。

 そのようなイエス様の復活ということを知らなければ、ソクラテスの英雄的な死に比べて、ゲツセマネのイエス様は、まことに惨めで、弱々しい姿にしか見えないことでありましょう。しかし、復活の主の栄光を知った上でこれを見るならば、これほど激しく私たちのために戦ってくださる主の姿に、必ず感銘を受けるのです。イエス様の他に、いったい誰が、私たちの命のためにここまで戦い、祈りぬいてくださるでしょうか。

 おどろくべきことに、このような主の戦いの目撃者となるために、また主と共に祈るために、目を覚ましているべき弟子たちは、すっかり眠りこけていたと、聖書は告げています。このことについては、また次回お話をさせていただきたいと思います。
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(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

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