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クリスマスが近づく頃、荒川教会のホームページをご覧になったという女性から、一通のメールをいただきました。小さな息子さんと、「クリスマスっていうのはネ、イエス様のお誕生日なんだよ」というお話をしていましたら、「イエス様って、どういう人なの」と質問されたのだそうです。その方は、クリスチャンではなかったのですが、一般常識として知っていたおぼろげな知識を引っ張り出して、息子さんに一生懸命にイエス様の話をしてあげたというのです。そして、「イエス様は正しい人だったけど、悪い人たちによって十字架につけられて殺されてしまったんだよ」というような話をしますと、「イエス様のお誕生日がクリスマスなら、死んだ日はいつなの」と問い返されてしまったというのです。はたと困りまして、とっさに「十三日の金曜日だよ」と答えたんだそうです。しかし、本当にそれでいいのか、十三日の金曜日というのは何月のことなのか、その辺を教えてください、ということでした。
私は、なんだかとてもうれしくなりました。クリスチャンでもなんでもない親子が、クリスマスにイエス様のお話ししている、それを知っただけでも大きな喜びが、私の胸にあふれてきました。しかも、十字架の話をしていたというのです。そして、小さな幼子が、イエス様が十字架で亡くなられた日がクリスマスと同じぐらいに記念されるべき大事な日だと思ったのでありましょう。それはいつかと尋ねたというのです。答えに窮した母親は、とっさに「十三日の金曜日」と答えたものの、もっとしっかりと教えてやりたいと思って、教会に問い合わせをしてきたのでした。この母親の姿勢も偉いなあと思うのです。
さて、イエス様が十字架で亡くなられた日は何月何日かというお話でありますけれども、みなさんはこの幼な子の問いに、きちんとお答えになることができますでしょうか。教会生活も長く、聖書をよく読まれている方は、どうもユダヤ教の過越祭と関係があるらしいということぐらいはおわかりになるかもしれません。また、毎年、イースターが三月から四月にかけてのいずれかの日曜日なりますから、どうやらその頃だろうということも想像がつくかもしれません。ただそれ以上のことはなかなかわからないという方も多いのではないでしょうか。
今日から、イエス様のご生涯の学びも、最後の晩餐といういよいよ差し迫ったお話に入っていくわけですが、その前に、みなさんもいつ、誰に聞かれるか分かりませんので、イエス様の十字架にかけられた日はいつかということを、整理してお話しておきたいと思うのです。
まず、「十三日の金曜日」ではないということだけは、知っておいてほしいと思います。日本では「四」という数字が「死」を連想させることから嫌われるということがありますけれども、西洋では「十三」という数字を不吉な数字だとする迷信があります。どうして「十三」が不吉なのか、最後の晩餐に集まっていた人の数が、イエス様と十二弟子で13人になるからだとそうです。この13人の中には、裏切り者のユダがいます。そして、この裏切り者によって、イエス様と弟子たちの食事は最後の晩餐となってしまうのです。そんなところから、「十三」という数字には、その中に裏切りとか、破滅とか、死とか、そのような身を滅ぼすものを含んだ数字と考えられたようなのです。もちろん、キリストの教えとはまったく関係のない迷信です。
さらに、これは日付ではないのです。イエス様が十字架にかけられたのは十三日ではありません。では、「金曜日」の方はどうかと言いますと、これは確かにイエス様が十字架につけられた曜日を示しています。つまり、「十三」という不吉な数字の迷信と、イエス様が十字架におかかりになった金曜日が結びついて、「十三日の金曜日」というのは、縁起の悪い日ということになったのでありましょう。
それならば、イエス様はいったい何日に十字架につけられたのでしょうか。それは十四日か、十五日に間違いありません。聖書に、イエス様が十字架にかけられたのは過越祭の時であったと言われているからです。
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過越祭というのは、春にユダヤ人が出エジプトという歴史的な出来事を記念して守った祭りで、ユダヤ歴のアビブの月(西暦では3〜4月)の14日の夕暮れに傷のない一歳の小羊を屠り、その血を家の門柱と鴨居に塗りました。
旧約聖書の『出エジプト記』を読みますと、その過越祭の始まった詳しい経緯が書かれています。その頃、ユダヤ人はエジプトにいて奴隷の民として苦しめられていたのですが、モーセが神に選ばれ、エジプトの王(ファラオ)のもとに遣わされました。そして、「ユダヤ人は、あなたの民ではなく主の民なのだから、解放して自由にしなさい」と言うのです。
ところが、ファラオは「おまえの言う主とは何者か」と馬鹿にして、なかなかこれを承知しません。そこで、主はモーセを通じて、様々な災いを起こし、主の恐ろしい力をファラオに見せつけます。それでも、ファラオの心はかたくなで、どうしてもユダヤ人をエジプトからさらせようとしないものですから、ついに最後の災いとして、エジプト中の初子が一晩のうちに死んでしまうという災いが起こされることになるのです。
一方、モーセはエジプトに住むユダヤ人たちに言いました。「今月の14日の夕暮れ、それぞれ家族で小羊を屠り、それを食べなさい。そして、小羊の血を門柱と鴨居に塗りなさい。その夜、主はエジプト中を巡り、人であれ、家畜であれ、国中のすべての初子を殺し、エジプトに裁きをおこなう。しかし、小羊の血の塗られた家の中にいる者に対しては、主は過ぎ越され、あなたがたは裁きから救われるであろう」と。実際にこのような恐ろしい裁きが行われまして、ついにファラオも主をおそれ、ユダヤ人を解放したのであります。
このように過越祭の「過ぎ越し」には、裁きの主が私たちを過ぎ越され、私たちの死ぬべき命を救われるという意味があるわけです。そして、その時に重要な意味をもってくるのが、屠られる小羊であり、その血でありました。私たちが死ぬ代わりに、小羊が殺される。そして、その犠牲の小羊の血が、私たちの救いのしるしとなる。それが過越祭であります。
そして、聖書は、その過越祭の時に、小羊ならぬイエス様が十字架にかかり、神の小羊として屠られたのだと告げているのであります。
そうしますと、イエス様は過越祭の14日に十字架にかかったと言ってもよいと思うのですが、その辺について聖書の記述に少し混乱があります。『ヨハネによる福音書』によれば、イエス様と弟子たちの最後の晩餐は、「過越祭の前」と書かれており、翌日の過越祭の時に、まさしくイエス様が過越の小羊として十字架につけられたということになるのです。
ところが、ほかの福音書は皆、マタイも、マルコも、ルカも、最後の晩餐こそ過越の食事であったと書いています。その中で、イエス様が弟子たちに「わたしの肉はあなたがたの真の食べ物となり、わたしの血はあなたがたの真の飲み物となる」ということを教えられまして、翌日、十字架にかかられたというのです。つまり、15日に十字架にかかったということになります。
また、14日にしろ、15日にしろ、イエス様が金曜日に十字架にかかったということは共通しています。そして、三日目の日曜日に復活されたと書かれているのです。
もっとも、この14日とか15日というのは、ユダヤ暦の話です。ユダヤ暦というのは太陰暦でありまして、過越祭は春分の日の後の最初の満月の日でもありました。ですから、イエス様が十字架におかかりになったのは、西暦で考えると、春分の日の直後の満月の日であるという言い方もできるわけです。そして、その次に来る日曜日が復活日ということになります。実際、復活祭の日はそのように決められているのです。
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さて、日付の話はこのぐらいにしておきましょう。木曜日、過越祭の日が来ますと、イエス様と弟子たちは次のように過越の食事の準備をしたということが言われています。『マルコによる福音書』14章12-16節
「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。『都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか』と言っています。」すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。』弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。」
過越の食事をするのは14日の夕暮れですが、ユダヤでは夕暮れから日付が変わりますので、実は14日の夕暮れは、15日ということになります。それで、その日は過越の祭りの次に来る除酵祭の第一日ということが言われているわけです。
また、過越の小羊というのは、当時はエルサレム神殿の庭で、祭司だけが屠ることができることになっていました。過越の祭りを祝う人々は、祭司から小羊を受け取って、それを自分の家に持ち帰って、晩餐の用意をしたのだそうです。
では、エルサレムに自分の家がない人々、つまり過越祭を祝うためにエルサレムにきた巡礼者たちは、どこで過越の食事をするのか。エルサレムの人々は、そういう人たちが、過越の食事をする場所がほしいと言った場合には、空いている部屋があるかぎり、必ず場所を提供するのがならわしであったそうなのです。
そこで、イエス様の弟子たちは、「今日は過越祭ですが、どこに食事の場所を用意したらよいでしょうか」と聞いたのです。すると、イエス様は、二人の弟子をエルサレムに遣いに出し、「水瓶を運んでいる人に出会うから、その人に私の名を告げてお願いしなさい」と、お命じになったというわけです。
遣わされた弟子たちは、ちょっと不安を感じながらエルサレムに行ったのではないかと思います。エルサレムと言っても広いわけですから、どこに行けば、その人に出会うことができるのだろうか。本当にその人は協力してくれるのだろうか。ちゃんと話はつけてあるのだろうか。もし人違いをしたらどうしようか。
私たちも、イエス様のお言葉に従う時には、同じような不安を抱くのではないでしょうか。しかし、「案ずるより産むが易し」と言いますが、弟子たちが行ってみると、「イエスが言われる通りだった」というのであります。水瓶を運んでいる人というのは、おそらくエルサレムにおける主の弟子の一人だったと思いますが、弟子たちはうまいことその人に出会って、その人が用意してくれた二回の広間に、過越の準備をしたというのであります。
「弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。」
「イエスが言われた通りだった」と、聖書が告げることには二つの大切な意味があると思うのです。一つは、今も申しましたように、弟子たちがイエス様の御言葉に従うときには、少々不安がありました。御言葉に対する疑いがありました。しかし、そのような疑いを持ちつつも、イエス様の御言葉に従うと、イエス様の御言葉の正しさが分かったということなのです。
もう一つ、「イエスが言われた通りだった」という言葉の中に、大切な意味があると思います。それは、「はじめに言葉ありき」ということです。実際に過越の食事を用意したのは、弟子たちや水瓶を運んでいた人であったかもしれません。しかし、そのような弟子たちは働きに先立って、イエス様の御言葉があり、この過越の食事を備えておられたのだということです。
それだけではありません。イエス様は、もう一つの過越の食事、イエス様がご自分を神の小羊として捧げられた十字架についても、あらかじめこのように語っておられます。
「イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われた。『あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。』そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。しかし彼らは、『民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう』と言っていた。」(『マタイによる福音書』26章1-5節)
これは、今日お話ししている木曜日の前日、つまり水曜日の出来事でありますが、エルサレムで祭司長たち、民の長老たちが、イエス様を殺すための計略を練っていたということが書かれています。さらにその後にユダの裏切りということが続くのですが、実は、それよりも前に、イエス様は、ご自分で「二日後の過越祭に、わたしは十字架につけられるために引き渡されるだろう」と、弟子たちに語っておられたということなのです。
ここでも「はじめに言葉ありき」ということがいえるのです。祭司長たちの謀略、ユダの裏切り、そういうことは確かにありました。けれども、祭司長たちは、過越祭が終わってから事を為そうと話し合っていたようです。またユダは裏切りながらも、まさかイエス様が殺されるとまでは予想しておらず、後悔の念にかられて自殺したと、聖書に告げられています。そのように結末というものを考えますと、十字架もまたイエス様の御言葉が成就したのであり、決して祭司長やユダの裏切りが成就したのではなかったのです。 |
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さて、過越祭の食事は14日の日没とともに始まります。イエス様と弟子たちは、エルサレムのある人の家の二階広間に整えられた過越祭の食卓を囲み、席につかれました。
「時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。』」(『ルカによる福音書』22章14-15節)
これがいわゆる最後の晩餐でありますけれども、イエス様が特別な思いをもって、この食事を準備され、臨んでおられるということが、この御言葉からもお分かりいただけることと思います。
その特別な思いとは何か。『ヨハネによる福音書』13章1節にこう記されています。
「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」
世にいる弟子たちを愛された、というのは分かります。しかし、「この上なく愛し抜かれた」とはどういうことでありましょうか。「愛し抜く」という言葉の背景には、愛することが非常に難しくなるような状況があったということも想像できます。しかし、それにもかかわらず、主の弟子たちに対する愛は変わることがなかったということなのです。
「夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」(2-5節)
今日のお話の最初に、「十三」という数字を不吉に思う西洋の迷信があるというお話をしました。その迷信は、最後の晩餐の食卓についていたのが13人であり、しかもその中に裏切り者が含まれていたという聖書のお話がもとになっていると申しました。確かに聖書にも、真っ先にこの食事の席に悪魔が入り込んだ裏切り者のユダが一緒にいたということが告げられているのです。
しかし、ユダも含め、そのすべてをイエス様は愛され、愛し抜かれたのだ。それが最後の晩餐であったのだと、言われているのです。そうしますと、「13」という数字は、不吉どころか、私たちの祝福の確信となるべき数字ではありませんでしょうか。今、私たちは共にこの礼拝に集っておりますけれども、私たちの主に対する思いは必ずしも一つではないかもしれません。それはまことに悲しいことでありますけれども、人間という弱き者である限り、避けられない現実なのです。けれども、イエス様は、今この時、このような私たちすべてを愛し、愛し抜いてくださるお方なのです。この愛なくして、どうして私たちはイエス様の前に集うことができましょうか。まして、聖餐の席につくことができましょうか。
私たちは、さらにイエス様が腰に手ぬぐいをまとい、身をかがめて弟子たちの足を洗われたという出来事をみます。このことについて、次回、ご一緒に学びましょう。 |
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(c)共同訳聖書実行委員会
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Translation
(c)日本聖書協会
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