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今、学んでおりますのは、ご生涯の最後の一週間における火曜日のお話です。十字架におかかりになったのが金曜日のことでありましたから、その三日前の出来事ということになります。
この日、イエス様は朝から神殿に行かれまして、人々を教えておられました。しかし、人々が熱心に聞き入れば聞き入るほどおもしろくないのが、ユダヤ教の伝統的な指導者たちであります。もう何度もお話ししてきたことでありますから、詳しくは申しませんが、彼らはすでに、イエスを捕まえ、異端尋問にかけ、処刑しようということを、心に決めておりました。
しかし、それがなかなか簡単でないのは、明白な口実がなかったということもそうですが、もっと大きな理由は、民衆がイエス様を熱烈に支持していたということにあったのです。そこで彼らは一計を案じまして、イエス様が人々を教えておられる現場に行きまして、人々の見守る中で、頭を悩ます難しい神学上の問題を突きつけたのです。彼らには自信があったのでありましょう。もしイエス様が答えられなかったり、うっかりしたことを言ったりすれば、彼らは民衆の面前でイエス様の化けの皮をはがし、尻尾をつかんでやろうという算段でした。
しかし、結果はイエス様の完全なる勝利でありました。かえって、彼らこそがイエス様によって偽善を暴かれ、民衆の面前で非難されるはめになってしまったのです。
今日のお話は、そのような論争の一日を終え、イエス様が神殿を後にしようとされるところから始まります。実を言いますと、イエス様はこの時を最後に、二度と神殿にいらっしゃることはありませんでした。翌日の水曜日はベタニア村に一日中留まっておられましたし、次の木曜日にはエルサレムで弟子たちと過越の食事をなさいました。そして金曜日には十字架におかかりになったのです。そのことを考えますと、13章1節に「イエスが神殿の境内を出て行かれる時」という一言は、見落としてはならない重要な場面を物語っていると思うのです。
逆に、イエス様が神殿にお入りになった時ということを考えてみたいと思います。それは最後の一週間の最初の日にあたるわけですが、イエス様はロバの子にのり、大群衆の「ダビデの子にホサナ、主の御名によって来る者に祝福あれ」という高らかな讃美、歓声に包まれてエルサレムに入り、そのまま神殿にまっすぐにお入りになったのでした。
その劇的な入場に比べると、イエス様の退場はまことに静かに行われました。ただその時に、弟子の一人が名残惜しそうに、神殿の建物をもう一度つくづくと眺めて、感慨深げにこう言ったのです。
「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
すると、イエス様は、まったく思いがけないようなことを、この弟子に仰るのです。
「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
あなたが見ているこの神殿はやがて崩壊するであろうと、イエス様はおっしゃったのでした。実は、この預言はお言葉通りに実現しました。紀元67年、ついにユダヤ反乱軍が立ち上がり、ローマ軍との戦争が始まります。その戦争によって、紀元70年、ローマ軍によってこの神殿は徹底的に破壊されてしまったのです。イエス様が十字架におかかりになったのが紀元30年頃だとしますと、わずか40年後の話です。
このように預言が的中したということも、確かに驚くべき事でありますが、わたしにはそれ以上に大切なことが、ここにあるような気がします。つまり、これは、イエス様の神殿に対する決別の言葉であったと思うのです。
神殿が崩壊されたことは今までにもありました。ソロモンが建てた神殿はバビロン帝国によって完全に破壊されました。その後、ゼルバベルが建てた第二神殿もシリア王によって財宝が略奪され、異教のゼウス神が祭られました。そして、ヘロデ大王が第三神殿を建てたのです。しかし、紀元70年に、イエス様の預言どおりこの神殿が崩壊してからは、今日に至るまで神殿は一度も再建されていません。
イエス様の預言通りに崩壊された神殿が、今日にいたるまで一度も再建されていないという事実は何を物語っているのでしょうか。イエス様が預言なさったのは単なる建物の崩壊ではなく、ソロモンの神殿からヘロデ王の神殿まで1000年におよぶ神殿の歴史の終わりだったのです。
では、神殿が神に見捨てられたということなのでしょうか。そうとも言えます。ですから、わたしは先ほど、決別という言い方をしました。決別とは、きっぱりと別れることです。未練を残していたら、決別とは言いません。「決別」をもっと印象的な言葉で言うならば、「縁を切る」ということなのです。イエス様は神殿を見放されたのです。それはすなわち、神様が神殿を見捨てられたということでもあるのです。 |
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神殿とは何でしょうか。イエス様は、神殿の壮麗さに見とれていた弟子に向かって、「あなたは、これらの大きな建物を見ているのか」とおっしゃいました。建物を見ているようでは、まだ神殿の何たるかがよく分かっていないのだ。建物が立派ならば、立派な神殿なのか? 神殿というのはそうものではない、とイエス様は仰っておられるわけです。
では、神殿とは何なのでしょうか。それは「祈りの家」であります。イエス様が、そう仰っておられるのです。先ほど、イエス様が神殿に入場なさった日のことを申しましたが、その翌日、イエス様は再び神殿にいらして、いわゆる「宮清め」と言われる御業をなさいました。神殿の境内が市場と化しているのをご覧になって、「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」(11章17節)と言っておられます。
最初の神殿を建てたソロモンも、神殿の封建式において、神様にこのような祈りを捧げています。
「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。」
このソロモンの祈りの中に、神殿とは何かということが明白に言い表されていると思います。ソロモンは本当に信仰をもって、財を尽くし、力を尽くして、荘厳壮麗な神殿を建てあげました。それにも関わらず、「わたしが建てた建物など、あなたにふさわしくありません」と告白しました。建物を建てただけでは神殿にならないということなのです。
では、この建物が神殿になるためには何が必要なのか。ソロモンは「夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください」と祈りました。神様が憐れんで、昼も夜もここに御目を注ぎ、私たちの祈りを、叫びを聞いてくださることによって、この建物がはじめて神殿になるのだと、ソロモンは告白したのです。建物を建てるのは人間でありますが、どんなに力を尽くして建てた建物であっても、そのままでは神殿の形をした建物に過ぎないのです。それが神殿という名にふさわしい祈りの場所となるためには、神様が憐れんで、そこに恵み深い御目を注いでくださらなければなりません。
神殿で大切なのは、神様のご臨在なのです。そう考えますと、「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」と神殿をほめた言葉は、確かに間の抜けた言葉に聞こえるのです。しかし、本人はまったくそのことに気づいておりません。この弟子は、決して神様を信じていないわけではありません。むしろ、他の人よりずっと神様を愛し、求めていたからこそ、イエス様の弟子となったのでありましょう。それにも関わらず、まだ目が開けていなかったのです。
私たちにも、こういうことがあるのではないでしょうか。古い教会員の方はよくご存じでありますが、今は天国にいらっしゃる牛山フジエさんが、よく「信仰生活には卒業はない。死ぬまで勉強だ」と仰っておられたことを思い起こします。牛山さんは決して勉強家タイプのお方ではありませんが、そのお言葉の通り、体が動く限り、礼拝と祈祷会を守り続けられました。
信仰というのは理屈よりも、神様への愛が大切なことは言うまでもありません。しかし、盲信は禁物です。誤解から真実の愛が生まれることはないのです。自分なりの信仰、自分なりの愛はあっても、間違った知識や感覚に基づくものであったなら、神様を喜ばせる信仰、愛にはならないのです。ですから、本当に神様に喜んでいただきたいと思うならば、神様をもっとよく知ろうとするのは当然のことだろうと思います。神様を愛するためにも、私たちは御言葉を学ぶことを大切にし、昨日よりも今日、今日よりも明日と、私たちの目が開かれていくことを願い続けなければならないのではないでしょうか。
話をもとに戻しますと、イエス様の弟子ですら、この時、神殿というものをその程度にしか考えられなかったということなのです。それに対して、イエス様は「あなたは、これらの大きな建物を見ているのか」と、あなたは見るべきものを見ていないと注意をなさったのです。
では、見るべきものはどこにあるのでしょうか。イエス様は神殿の何をご覧になっていたのでしょうか。イエス様は、神殿が市場と化し、賑やかに活気づいているのをご覧になりました。律法学者やファリサイ人が立派な長い衣をまとって恭しく神殿の中を歩いている様や、滔々と長い祈りをしたりしている様もご覧になりました。金持ちが賽銭箱に多額の献金をしているのもご覧になりました。しかし、イエス様にとって、これらはすべて本当の神殿の姿を曇らせる余計なものばかりであったのです。
ただ一つ、イエス様が神殿において、弟子たちをわざわざ呼び寄せてまで、見せようとされたものがあります。それは貧しいやめもが、自分に残された僅かなお金のいっさいを、神様に捧げた姿でありました。このように自分のすべてを神様にお捧げし、お委ねする人間の姿、これこそイエス様が神殿で見たいと思っておられるものだったのです。
神殿とは、このような人間のいるところであります。貧しく、よりどころのない人間が、神様だけをよりどころとして、すべてを神様に委ね切る人のいるところであります。ソロモンは、栄華を極めた王様でありましたが、神様の前では貧しい人間として、神様だけを拠り所として、御目を注いでくださいと祈りました。そのような人間に神様が御目を注いでくださる場所が神殿なのです。祈りの家なのです。それなくしては、どんな神殿の形をした建物が建っていても、それは神殿とはいえないしろものなのです。
イエス様が決別なさった神殿というのは、このように見せかけばかりを追い求めている神殿です。立派な長い衣を着た人たちが我が物顔に歩き、本当に神を求める人々がないがしろにされている神殿です。それはすなわち、神ご自身がないがしろにされているということなのです。このような神殿が神に見捨てられる時が来ると、イエス様は仰ったのです。 |
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この後、イエス様と弟子たちは歩みを進められて、オリーブ山に登られました。そして、イエス様が、そこから神殿を眺めるように座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレの四人がそばにやってきて、ひそかにこのように尋ねたと言います。
「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」
神殿が神に見捨てられる。そんな恐ろしいことがいつ起こるのか、と尋ねたのです。その弟子たちに、イエス様は終末についてお語りになりました。今日はこの内容について触れる時間がありません。次回に以降に丁寧なお話をしたいと思いますが、ただ一言だけ申します。イエス様がお話しくださったところによれば、終末というのは単なる終わりの時ではなく、完成の時なのです。古い過渡的な時代が終わり、完成された新しい時代が到来する。こういう希望に満ちた終末なのです。
神殿が神に見捨てられる、ということもそうです。神殿の時代が終わることによって、新しい時代が到来するのです。その新しい時代には、もはや今までのような神殿はありません。しかし、形ばかりの神殿はなくても、まことの礼拝者がまことの礼拝を捧げる時代であります。それが、今私たちがイエス様の恵みによって生きている教会の時代なのです。
新しい礼拝の時代を示唆する御言葉をいくつかお示しして終わりたいと思います。一つは、『ヨハネによる福音書』4章23-24節です。
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
これは、イエス様が、あまり身持ちが良くないサマリア人女性と井戸端で対話された時の言葉です。サマリア人というのは、歴史をたどればユダヤ人と同じ民族なのですが、外国人との婚姻を進めてユダヤ人としての純血を失ってしまった人々でありました。ユダヤ人は、そういうサマリア人を非常に軽蔑しておりました。礼拝する場所も違ったのです。ユダヤ人はエルサレム神殿で礼拝をしていたのに対し、サマリア人はゲリジム山を聖所として礼拝をしていました。このサマリア人女性は、いったいどちらに神様がいらっしゃるのですかと、イエス様に尋ねたのです。
すると、イエス様は、どこが本当の聖所かという問題で争うような時代はもう終わる。まことの礼拝者のいるところに、まことの神様のおられる、そういう新しい礼拝の時代が来るのだとお答えになったわけです。
その新しい礼拝の時代の始まりを思わせる出来事が、イエス様が十字架で息を引き取られた時に起こりました。『マルコによる福音書』15章37-38節、
「イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」
「神殿の垂れ幕」というのは、神殿の最も奥深い所に聖所の中の聖所、神様のご臨在される最も聖なる場所としての至聖所がありまして、その前にかかっていた垂れ幕のことです。もちろん、一般の人がこの垂れ幕の奥を覗くなんて事はあり得ないことで、神殿で働く祭司たちですから入ることができませんでした。ただ大祭司だけが年に一度だけ入ることが許されていたのであります。
ところが、イエス様の十字架の死と共に、その至聖所を覆っていた垂れ幕が裂けたのです。それは誰も入ることができなかった至聖所の扉が開かれたということを意味しています。神のご臨在は、神殿の奥深くに隠され、守られているものではなくなったのです。大祭司だけが近づくことができるものではなくなったのです。それは神殿の時代と終わりを告げる出来事ではなかったでしょうか。そして、あのサマリア人女性に言われたように、どこで礼拝するかではなく、まことの礼拝者が霊と真とをもって礼拝する、そういう新しい礼拝の時代の始まりを意味する出来事ではなかったでしょうか。
最後に、もう一つ、イエス様の御言葉を見てみましょう。『ヨハネによる福音書』2章19節です。
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
これはイエス様が神殿で売り買いしている人たちを追い払われた時、「なんでそんなことをするのか」と詰め寄った人々に対して語られた言葉です。それを聞いた人々は、「この神殿は46年もかかって建てられたのに、三日目で建てるというのか」と、イエス様をほら吹きと決めつけました。しかし、弟子たちは、イエス様が三日目に墓からよみがえられた時、ああ、イエス様が三日で神殿を建てるといったのは、このことであったと思い起こして、信じたというのです。
つまり、イエス様が三日で建てると言われた新しい神殿とは、復活のイエス様のことであったということなのです。違った言い方をすれば、イエス様は死にうち勝たれ、永遠に生きる方となって、今は神の右の座についておられます。そこから、神の御目を私たちに注いでくださっているのです。私たちは、祈るために大きな石で造られた壮麗な神殿をもはや必要としなません。どんな場所でありましても、天のイエス様を思い、そこでひざまずいて祈るならば、そこが神様の御前であり、神様の御目が注がれるのです。
バザーの前日のことでありました。みなさんが遅くまで準備をなさってお帰りになった後、用事を思い出して一人教会におりました。すると、外から礼拝堂のガラス戸を叩く音がします。誰かと思うと、それは三歳になる日向君という教会学校のお子さんとお母さんでありました。バザーの献品を持ってきてくれたのかしらんと思って戸を開けますと、「教会の近くを通りましたら、息子がどうしてもお祈りをしたいというのです。いいでしょうか」と、お母さんがいわれました。
もちろん、悪いはずがありません。しかし、こんな時間にお祈りをしたいというからには、何か問題があるのだろうかと思いまして、「どうなさいましたか」と聞きました。すると、11月に手術を受けることになっているのだと言うことでありました。
それで礼拝堂に上がっていただきますと、男の子はうれしそうに十字架の前に走って行きまして、お母さんと一緒にひざまずき、大きな声で「神様、風を引かないようにお守り下さい」とお祈りをしたのでした。わたしも続けて日向君のためにお祈りをしました。
その時の礼拝堂というのは、バザーのためにブルーシートが敷き詰められ、あちこちに荷物があり、非常に雑然とした状態でありましたが、神様の御目がこの幼子とお母さんの上に豊かに注がれているのを感じて、胸が熱くなったのを覚えています。イエス様は、こんな小さな幼子にも至聖所の扉を開き、神様のご臨在の前で祈ることを得させてくださったのです。
どんな場所でありましても、どんな小さな人間でありましても、天のイエス様を思い、そこでひざまずいて祈るならば、そこが神様の御前であり、神様の御目が注がれるというのは、こういうことなのです。
私たちのために十字架にかかり、私たちの罪を清めて、神様の御前に立つことを許してくださったイエス様の恵みに感謝をしたいと思います。そして、その感謝をもって、私たちもまことの礼拝者となって、荒川教会で霊と真をもって真実の礼拝を捧げてまいりたいと願うのです。 |
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Translation
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