「東方の博士らの礼拝」
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書 マタイによる福音書2章1-12節
旧約聖書 詩編42編1-12節
探し求めていたものを見つける喜び
聖画
 前回は、イエス様がお生まれになってエルサレム神殿にお宮参りに行かれたというお話をしました。そこに主を待ち望むシメオンとアンナという老人がいまして、彼らはそれぞれに父ヨセフ、母マリアに抱かれて神殿にやってきた幼子イエス様を見つけたのです。そして、やっと探し求めていたもの、待ち望んでいたものを見つけたという大きな感激を表して、「これぞ人間の救いのためにお生まれになった救い主、神様が賜ったお子である」と、神様を讃美したというお話でありました。

 今日は、東方の博士たち・・・彼らがどこから来たのか、聖書には「東の方から来た」と書いてあるだけで分かりませんけれども、少なくともユダヤ人ではなく外国から遙々と救い主を訪ねてきた人々が、母マリアと共におられる幼子イエス様を見つけだし、ひれ伏して幼子を拝んだというお話であります。

 よく知られたお話ですし、聖書をお読みいただければそれほど難しいこともなくおわかりになると思いますから、物語の詳細は省きますけれども、10節にこのように記されています。

 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

 博士たちもまた、シメオンやアンナと同じように、イエス様を見つけ、イエス様に出会うことによって、ここにやっと探し求めていたものを見つけたという大きな喜びを得たということが言われているのです。

 人生において、イエス様をみつけ、イエス様に出会うこと、これ以上大きな喜びはないのです。
喜ぶ人と恐れる人
 ところが、今日の物語には、ヘロデ王とか、エルサレムの人たちとか、祭司長た律法学者たちとか、そういう人たちも登場してきます。このような人たちは「メシア誕生の知らせ」を聞いて喜ぶのではなく、一様にうろたえて不安に思ったというのです。ヘロデなどはその不安にかられ、小さな幼子の存在を異常なまでに恐れ、たくらみをもって殺そうとしたほどであります。

 これらの人たちと、博士たち、またシメオンやアンナとの違いはなんだったのでしょうか。この違いはすなわち、福音を聞いてイエス様に出会い、喜びに生きる人と、福音を聞かされているにもかかわらずイエス様を見つけることができず、不安や恐れをもって生きている人との違いだと思うのです。

 これはたいへん大きな違いですが、その違いは何でしょうか。ユダヤ人か異邦人かではありません。男か女かでもありません。学問のあるなし、財産のあるなし、年齢や経験のあるなしでもありません。そういうものは、人がイエス様を見つけ、イエス様に出会うための条件ではないのです。

 世の人々はそういう違いをずいぶん重要に思って気にしたりしていますが、本当はそんなことは人間の生き方を左右する違いのうちに入らないということですね。
主を待ち望む人
 私は、東の国から来た博士たちと、エルサレム神殿にいたシメオンとアンナ、そしてその他のイエス様に出会ったすべての人たちには、大切な共通点があると思うのです。それは、それぞれに「主を待ち望む人」であったということです。

 主を待ち望む人であるということは、決してスマートでかっこよく生きることではありません。むしろ、非常に泥臭い生き方なんじゃないかなと思います。「泥臭い」という表現をするには、いろいろな思いがあるわけですけれども、なりふりを構わないがむしゃらさとか、必死さといっても良いかもしれません。一所懸命という言葉がありますけれども、それは一つの所にしがみついて、それを自分のものにすることに命にまでかけるという生き方ですね。救い主に会うということにそこまでする人、それが「主を待ち望む人」ということなのです。

 シメオンとアンナについては、前回お読みした『ルカによる福音書』2章に書いてありましたが、シメオンについてはこう書かれていました。

 「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」

 シメオンは、「イスラエルの慰められるのを待ち望み」と書いてあります。シメオンは、神の民イスラエルの悲しみを見ていました。といっても、みんなが泣いていたわけではありません。シメオンが見ていてイスラエルの悲しみというのは、神様を神様としないで、神様から遠く離れて生きている人々のことです。たとえその人たちが飲んだり、食べたり、騒いだり、人生を謳歌していようとも、シメオンはひとりそのことを悲しみ続けたのであります。世の罪を悲しみ続ける人生、それがシメオンの人生でありました。

 アンナについてはこう書かれています。

 「アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた。」

 アンナは、若いときには幸せな家庭を夢見るごく普通の女性だったようです。しかし、結婚して七年目に夫と死に別れました。その深い悲しみから世をはかなむようになったのでありましょう。世の楽しみを追い求める生活を一切捨てて、神殿を離れず、断食して祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたというのです。

 では、東の国からきた博士らはどうでしょうか。彼らは占星術の学者であったと言われています。

 占いというのは、人生の導きを求める正しい方法ではありません。真の神様を知る者からすれば、占いなどは絶対にしてはいけない忌むべきことなのです。けれども、前任者の勝野和歌子牧師の「星は導く」という説教が『夜明けを祈る』という記念誌に収録されていますが、その中で勝野先生は、「彼らは偉大な運命を研究する仕事をしていました」「彼らの仕事は、運命というものの重圧を自分たちの肩に担いでいるような仕事であり、また自分の心の問題でもあったのです」と説明しておられます。救いを求めるという点だけを見るならば、彼らは学者と呼ばれるまでに真剣にそれを探求してきた人たちであり、その重みを担いで生きている人たちだったというのは、まことにその通りではないかと思うのです。

 ただし、どんなに真剣であっても、占いの中には人生の答えや救いを見つけることはできません。だからこそ、彼らは真の答えを、人生の救いを見つけるために、遙々とユダヤの国までやってきたのではないでしょうか。彼らのこの求道の旅についても、勝野先生が語っておられますから、そこから引用させていただきたいと思います。

 「この人々は、全財産をもって旅をしました。・・・財宝は、命がけの宝を捧げたいという意味でもあるし、だいいち自分の体をもって、その宝物を携えて長い旅を続けたということは、到底、彼らの真剣な心の動きなしになしえなかったことであります」

 このようにシメオンも、アンナも、東方の博士らも、人生における「救い主との出会い」ということを本当に真剣に、自分の人生のすべてをそこにかけて求めた人たちだったのです。

 それは「立派である」とか、「偉い」とか、そういう言葉では表現することではありません。敢えて言うならば「魂の飢え渇いた人々」です。シメオンは世の罪深さを悲しみ、アンナは世を空しさをはかなみ、博士らは運命の謎に真っ正面から挑んでいました。しかし、神殿で毎日礼拝しても慰められません。断食して祈っても救われません。まして占いの道をどんなに究めようとも人生の謎は何一つ解決しないのです。このようなことは、神様ご自身が答えてくださるのでなければ、決してこの世に答えのないことだからです。それでも、彼らは、まるで水の枯れてしまった谷川の底に露出した泥を嘗めるようにして命の水を求めていたのでした。

 涸れた谷に鹿が水を求めるように
 神よ、わたしの魂はあなたを求める。
 神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
 いつ御前に出て
 神の御顔を仰ぐことができるのか。
 昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。
 人は絶え間なく言う
「お前の神はどこにいる」と。

 これが彼らの祈りだったのではないでしょうか。このような祈りをもって、主を待ち望む者であったからこそ、彼らはイエス様に出会うことが出来たに違いないのです。

 しかし、世の中で悲しんでいない人、悩んでいない人はいないと言う人があるかもしれません。確かにそうです。誰もが重荷を負って生きています。

 けれども、彼らのように悲しみを悲しみ、悩みを悩んでいるでしょうか。そうじゃないと思うのです。あまり悲しみすぎないように、あまり悩みすぎないように、あまり深刻に考えすぎないように、自分の気持ちをごまかしつつ生きていく、それが世の人の生き方ではないでしょうか。

 どんなに悲しんでも、決してこの世から慰めれないような深い悲しみがあります。どんなに悩んでも、決してこの世に答えを見つけることができない人生の問題があります。そういうことをいつまでもくよくよとして思い詰めていてもしようがないというわけです。

 確かにいつまでも小さなことにくよくよしているのはよくないかもしれません。けれども、悲しみを悲しみ続け、悩みを悩み続け、本当に苦しい日々を過ごしながら人生の答えを求めるということも大切なことなのではないでしょうか。

 みなさんが教会にいらしたのは、そのように枯れた谷川に水を求める鹿のように喘ぎながら、命の水を、人生に対する神様の答えを求めたときではなかったでしょうか。それは本当に人生のもっとも辛い時期であるかも知れません。けれども、悲しみを悲しみ、悩みを悩んだそのことが、私たちの魂を、人生をイエス様へと導いてくれたのです。

 悲しみや、悩みから逃げよう、逃れようとするだけでは駄目なのです。私たちには悲しむことが大切なとき、悩むことが大切なときがあります。それは、私たちが主を待ち望む者になるためなのです。
星を見た人はたくさんいたけれど・・・
 そして、今回のお話は、そのように主を待ち望む人たちがイエス様に出会い、本当に大きな喜びを喜ぶ者になったという話なのです。

 主を待ち望む人を主は軽しめられません。というよりも、主を待ち望む心なくして、主の愛を見ることはできないのです。

 学者たちはその星をみて喜びに溢れた。

 「その星をみて」とありますが、星というのは誰の目にも見えるものです。世界中の人が同じものを目にするはずです。前の節をみますと「東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所に止まった」とあります。もし、このような天体現象が起こったあったら、それに誰も注目しないと言うことはあり得ないのではないでしょうか。

 実際、紀元前7年には、木星が魚座付近で土星に大接近し、それが観測されたという記録が残っています。そして、当時のバビロニアの占星術では木星は世界支配の星、魚座は終末時代、土星はパレスチナの星とされていましたので、それはパレスチナに終末時代の支配者が現われるということを意味していました。東の国から占星術の学者たちが星に導かれてユダヤにやってきたということは、決しておとぎ話ではなく、このような科学的、歴史的にもちゃんと説明されることなのです。

 この珍しい天体現象は、もちろん世界中で観測されました。ローマや、エジプトのアレキサンドリアでも観察記録が残っています。しかし、それを見た人々は東方の博士たちとは別の解釈をしました。金星(ジュピター)は皇帝アウグストゥスの星、土星は黄金時代を象徴するとされていたので、これは皇帝アウグストゥスの繁栄を意味する天体現象だと理解されたのです。

 つまり、星を見た人はたくさんいたのです。

 しかし、そこに神様の愛を見たのは、博士たちだけでありました。主を待ち望む心なくしては、神様の愛は見えないとはそういうことなのです。

 私たちの人生にもいろいろな出来事がありましょう。不思議なこと、辛いこと、分からないこと、それのものは私たちを救い主イエス・キリストへと導いているのかもしれません。しかし、主を待ち望む心を持たなければ、それを知ることができないのです。



 
博士たちの礼拝
聖画

「学者たちはその星をみて喜びに溢れた。」

 もう一つ、このお言葉についてお話をしたいと思います。「喜び溢れた」というのは、直訳すると「この上ない喜びをこの上なく喜んだ」という文章であります。これではあまりにもぎこちない文章なので、きれいな日本語にすると「喜びに溢れた」ということになるのです。

 けれども、「この上ない喜びをこの上なく喜んだ」というほうが、ずっと彼らの気持ちをよく表しているようにも思います。主を待ち望む者は、必ず主を見いだして、このような喜びを得ることができるのです。

 救い主を得た喜び、それは礼拝という形でしか表現できません。博士たちは、ひれ伏して幼子を拝み、彼らの宝物を捧げました。「黄金、乳香、没薬」は、彼らの占いに用いる大切な商売道具であったと言います。それを差し出したということは、彼らが過去の生活と縁を切るということを意味していたのです。

 救い主に出会った大きな喜び、それが彼らの過去を終わらせ、新しい生活へと歩み出させたわけです。間違えないでください。過去を捨てたら、イエス様に出会えるのではありません。イエス様に出会った喜びが、過去を捨てさせ、新しい生活へと歩み出させるのです。そして、それが博士たちの捧げた礼拝だったのでした。

 みなさん、悩みや悲しみや、あらゆる問題をかかえていてはいけないのではありません。どうか、そういう重荷をすべて携えて、毎週の礼拝にいらしてください。そして、主を求める心をもって、祈ってください。主を求める者は必ず主を見いだすことができます。そして、その大きな喜びをもって、私たちは新しい生活を始めることができるのです。感謝しましょう。
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