十 二 支 物 語

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【犬の話】





 左の絵は、国宝『一遍上人絵巻』作成年代は鎌倉時代小屋の周りで犬が遊んでいる。 

 犬の絵を探していて一つ面白い絵を見つけま
した、それが右の絵。
 鎌倉時代末期の『石山寺縁起絵巻』にある猫の絵、
現在は犬が家につながれていますが、昔は猫が家につながれていたんですね。






  【犬の名称】
 イヌは、イエイヌCanis familiarisの総称で、世界公認品種130種前後、全体では500〜600品種ほどあるといいます。
属名Canisはイヌを示すラテン語ですが、「肉」を意味するcarnisに由来するといわれます。familiarisは「よく慣らされた」という意味です。
[和]犬、[中]狗・犬・家犬、[ラ]Canis、[伊]cane、[イスパニア]can、[ポルトガル]cao、[英]dog、[仏]chien、[独]Hund、[蘭]hond、

  【イヌの語源】
 犬の語源については、いろいろな説を調べましたが私が納得できるものがありませんでした。
 日本に犬が渡ってきたのは、今から9500年より前の縄文時代、南方からの狩猟民によるものと推定されています。その後、弥生時代に朝鮮経由の北方系の犬が日本に上陸しましたが、すでに相当数の日本犬が存在していたと思われます。
つまり、「イヌ」という呼び名は古い縄文時代の名が残ったため、語源の意味がハッキリ判らないのかも知れません。
 『現代日本語方言大辞典』によるとイヌの方言には2系統あるようです。
  [イヌ形]:イナ、イヌメ、イン、イングリー等
  [エヌ形]:エヌコ、エヌッコ、エヌメ、エノ、エンガ、エンコ等
 平安中期の源順が著した分類漢和辞書『和名類聚抄』に、狗(イヌ)を恵奴(エヌ)と注してあります。イヌという言葉も東北なまりで発音するとエヌと聞こえるような気もします。と言うだけで、結局のところ語源は解りません。
  【犬の鳴き方】(犬は「びよ」と鳴いていた)

 犬の鳴き方(聞こえ方)は、国によって随分ちがいます。
アメリカでは「バウワウ」Bowwow、ドイツ「バウ」bau「ヴァウヴァウ」Wau-Wau。フランス「ワフワフ」「ウアウア」OuahOuak、イタリア「バウバウ」BauBau、スペイン「グァウグァウ」GuauGuau、ポルトガル「ワウワウ」UauUau、ギリシャ「ガヴガヴ」GabGab、ロシア「ガフガフ」Gav-Gav、スウェーデン「ヴォフヴォフ」VoffVoffエジプト「ハウハウ」、トルコ「ハウハウ」、中国「ワンワン」、インド(ヒンズー語)「バウンバウン」、タイ「ホンホン」、朝鮮「ワンワン」「モンモン」というそうです。
 日本では、「ワンワン」と鳴くのが当たり前と思っていたら、光文社新書から山口仲美著『犬は「びよ」と鳴いていた』という本が出ました。この本によると、江戸時代までは日本人は犬の声を、「びよ」とか「びょう」と聞いていたというのです。
 犬の声が「わんわん」と書かれている最初の本は、寛永十九年(1642)年の『古本能狂言集』所収の『犬山伏』の一節、「犬、わんわんというてかみつこうとする。山伏にげて目付きの柱に抱きつき犬を呼べと云う。」
 犬の声を写す古い文献としては、平安時代末期成立の『大鏡』(道長下)に載っている話。清範律師という説教の名人が愛犬の法事を依頼され、その席でのセリフの中にあります「ただいまや過去聖霊は、蓮台の上にてひよと吠え給ふらん」です。著者山口さんは、昔は濁音表記がなかったので、実際は「びよ」と聞こえていたのではないかと推測しています。
 なぜ犬の鳴き声が「びよ」から「わん」に変わったかについては、犬の置かれている環境の変化と推測しています。
 その根拠として、宮地伝三郎『十二支動物誌』の次の記述、「野生のイヌは遠吠えをするが、「ワンワン」とは吠えない。「ワンワン」は家犬だけの性質で、これは生活が安定してなわばりができることに関係があるらしい。捕らえて飼っておくと、オオカミもイヌに似た吠え方をするようになる。」をあげています。
 江戸以前の犬は、混乱した戦乱の世相に反映して犬も野生化、人を襲って食い殺す、人間に敵対する動物だったようです。
 右上の絵は『九相詩絵巻』下は『餓鬼草紙』鎌倉幕府成立前の野生化した犬の様子です。 私は、「びよ」は犬が人間を威嚇する鳴き方でなかったかと考えます、英語、ドイツ語、イタリア語などと同じバ行音で、それ程ビックリする鳴き声ではなかったのと思われます。
 興味を持たれた方は、『犬は「びよ」と鳴いていた』を買って読んでみてはいかがでしょう定価770円です。
  【犬の意味するもの】
 犬という言葉が何を意味するかということは、人間と犬との長い関係の歴史をあらわしています。たとえば「Dog in the manger」は「利己的でいじわるな人」という意味ですが、これは『イソップ物語』で一匹の犬がまぐさ桶の中に横たわって吠えたて、牛に干し草を食べさせなかったことに由来する言葉です。このような犬の意味を英語の辞書から拾い出してみました。

  [英語編]
 ヨーロッパでは、god(神)を逆につづるとdogになることから、イヌは「悪者」とか「やくざ者」という意味に用いられることがあります。
◎<俗>くだらない人問、卑劣な男、見下げ果てた若者:−a dirty dogひどい野郎。−Don't be a dog!卑きょうなまねはやめろ。
◎<口語>男、やっ(fel1ow):−a gay dog陽気な奴。
◎<pl><俗>足(feet):−My dogs are burned up足が棒になった。
◎<俗>@くだらない物、ひどく粗悪な物。A(演劇・音楽などの) 失敗作(flop)。
◎<俗>醜女、退屈な女、がさつな女。
◎<機械>物をつかむためのつめや歯の付いた工具類の総称。
◎(またsea-dog)<気象>:(天気が崩れる予兆とされる)地平線 近くの明り。sundog、fogdog
◎[the dogs]:(グレーハウンドの)ドッグレース。
◎かすがい、(石や材木を持ち上げるのに打ち込む)鉄棒。
◎die like a dog / die a dog's death犬死。goto the dog's落ちぶれる。
 lead a dog's lifeみじめな生活をする。let sleeping dogs lieめんどうを起こさないようにする。
 put on the dog(米俗)見えをはる。throw (or give) to the dogs(無価 値なものとして)投げ捨てる。
◎“You dog !”犬奴(いぬめ)
◎dog hunting無差別に銃を乱射する。
 最後に、a hair of the dog that bit you これはかんだ犬の毛が、噛まれた傷に効くという迷信からきたもので、毒を制する毒、
 つまり「二日酔いの迎え酒」のことです。
  【分類学上の犬】

 哺乳綱、食肉目、裂脚亜目、イヌ上科、イヌ科Canidaeイヌ属
   裂脚亜目はネコ上科(ネコ科、ジャコウネコ科、ハイエナ科)とイヌ上科に分かれます。
     イヌ上科で最も原始的なのはイタチ科で、次いでアライグマ科、さらに進化したのがイヌ科
       イヌ科からクマ科が分かれました。
         イヌ属の三亜属は ジャッカル、シメニアジャッカルイヌ、イヌ
           イヌ亜属は、オオカミ、ニホンオオカミ、アメリカオオカミ、ディンゴ、イヌ(イエイヌ)

 イヌ科の共通の祖先は、北アメリカで出土した千五百万年前の化石動物種トマルクタスと考えられています。千二百万年から九百万年前にタヌキが現れ、八百万年前にキツネ群、クルペオ群(キツネとイヌの中間型)が出現し、六百万年前にイヌ群が出現しました。 
 イヌ科に属する動物は、北米のコヨーテ、南方のジャッカル、ユーラシア大陸および北米大陸のドール、リカオン、ディンゴなどで、これらの動物は、三百万年前にアフリカにも入りました。

  【犬の祖先】
 犬の先祖としては、犬と染色対数が同じ(2n・78)で相互に交配ができ、交雑種に妊性があるオオカミ、ジャッカル、コヨーテいすれにも可能性があります。最も有力な説は、家畜化されたオオカミがさらに世界各地のオオカミと交配されて今日のイヌになったという説です。
 ただ、北欧やシベリア北方の大型狼は、どう猛で人に馴れにくいことと、森林型で人の住居には近づかないため、犬の祖先とは考えにくい。むしろ南方系である小型の西南アジア型オオカミ(アラビアオオカミ、インドオオカミ)が、ヨーロッパと南アジアの大部分の家イヌ(ディンゴを含む)の祖先、小型の中国型オオカミが中国犬の祖先になったと考えられます。その後、大型のヨーロッパ狼が西洋犬の先祖となり、これらの犬がずっと後代になってシベリア狼や北米狼などの大型狼と交配し大型の北方犬ができたと考えられています。

  【家畜化の始まり】
 犬が家畜となった時期は、二万年前から一万五千年前のクロマニヨン人の時代とされていました。しかし、1986年埴原和郎らによってより、いまから三万年以上前のシリアのドゥアラ洞窟の住居遺跡から、完全な犬の骨を発掘されたことにより、旧人であるネアンデネタールの時代から家畜化されていた可能性がでてきました。
 野生の狼と家畜化された犬との区別は、下顎骨が狼に比べ短く、歯とくに小臼歯の間隔の詰まった歯列状態、また犬の額は狼に比べ一般的に出っ張っている物が多い。これが初期の家犬の典型的な特徴だそうです。
 また、残されたイヌの絵などから、その品種の分化は、六千年前にはじまり、今から三千年前には、現在の犬の主要な系統ができあがっていたようです。
  【世界の犬の民俗史】

 [文献に記された犬]
 アリストテレスの『動物誌』には、犬の病気として、狂犬病、扁桃腺炎、足の通風の3つをあげている。また犬は腹に虫がわくと小麦の穂を食べる。そして、犬が眠りながら吠えるのを観察して、人以外の動物も夢を見ると推測しています。その他、スパルタ地方でキツネと犬の交配によってつくられるラコニア犬という猟犬についての記述もあります。
 プリニウスの『博物誌』には、アレクサンドロス大王がインド遠征を行ったさい、アルバニアの王から巨大な犬を贈られた話があり、この犬と、熊・ライオン・インド象を闘わせた話がのっています。これらの話は、古代アジアで、すでに闘犬が飼育されていたことを物語っています。

 [ゾロアスター教]古代ペルシャで起きたゾロアスター教は犬をとても大事にしていました。聖典「アベスタ」のなかで「地上一戸の家たりとも、牧場の犬と、家の犬、この二種の犬によらずして存在するものはあらざるなり」と記されています。
 [古代ユダヤ人]犬は人間の食べない動物の肉を食べるばかりか、人を襲ってその肉を食べることから、不潔な動物とみなし、邪悪、怠惰、欺瞞などの象徴とした。聖書では凶暴な人間の代名言司にも使われています。
 [古代オリエント]犬は夜の番人という感覚から、闇の悪魔を追い払うものとして霊物視されていた。この、犬が夜の闇を音も立てずに忍び歩く悪霊を吠え立てて追い払うという信仰は、古代ペルシャ、ギリシャを経て、現在ヨーロッパの民間信仰の中にも生き続けています。
 [北欧神話]忠誠の象徴で主神オーディンと運命の3女神に随行する役を務めています。中世には忠誠と用心ぶかさのほか勇気や保護をあらわし、信者の保護者である司祭の象徴にもなりました。
 [キリスト教]英語のgodを綴りかえるとdogになることから、しばしば悪魔や異教の象徴とされます。船乗りも、イヌという言葉を忌み嫌い、航海に犬を連れていくことをタブーとしました。
 [ヒンズー教・イスラム教]前世で罪を犯した人間がいぬに生まれ変わるといい伝え、ヨーロッパ人やキリスト教徒を軽蔑してイ
ヌと呼ぶこともあります。 
                                   [右上の写真は、キプロス島 デオニソスの館のモザイク画]
  【神の番犬】
 映画「ゴースト・バスターズ」を憶えていますか。ニューヨークにやって来たヒッタイト時代の<ゴーザ>というお化けの親玉を退治する話です。このお化けがビルの屋上に神殿の様な物を造り、その神殿の前で<門の神>と<鍵の神>が犬に変身して、狛犬のように番をします。これもエジプト時代から欧米人の持っている神殿のイメージなんでしょう。
 ギリシア神話では、ケルベロスKerberosという冥府の人口を守る番犬が登場します。蛇の形をした尾を持ち、首のまわりに無数の蛇の頭が生えている怪物です。冥府の番犬としては、北欧神話のガルム、インド神話の冥府王ヤム(閻魔)の飼っていた四つ目で双頭の番犬などがいます。
  【子を守る犬】
 中国では、天狗あるいは俄生(とうせい)と称する子供さらいの悪霊がいると信じられていました。この悪霊は未婚のまま死んだ娘の魂といわれ、新生児の命といれかわりに現世へ生まれ出ようとします。そのため、子供が生れるとその産毛と犬の毛を混ぜて<狗毛符>という毛玉をつくり、産着に縫いつけて悪霊よけにしました。
 また、赤ん坊に動物の名を付けたり、<狗圏>という銀色の輪や帯を赤ん坊の頭に着け、人間の子でないようにみせかけました。
 この他にも、幼児が始めて外出する時に、額に紅や墨で犬という字を書いて魔除けにしたり、子供をあやすときに<いんのこ、いんのこ(犬の子、犬の子)>と口ずさんだりしました。
 生まれた子に犬とか豚の字をつけて邪神の妬みをさける習俗は朝鮮にもあり、「犬の子」「犬の糞」「豚の子」「牛の糞」などの名前を付けていました。
 琉球最古の歌謡集『おもろそうし』には「あかいん子」=犬子、「いぬたる」=犬太郎があり、王妃の中には真犬金(まいぬかね)という名前の人もいます。古代日本では「犬」「犬麻呂」「韓犬」などの名があり、ある学者の調べたところによれば、奈良朝以前で犬のつく名前が男女合わせて七十人以上もあったいいます。これらの風習が、赤ん坊を守るイヌとして犬張子のような具体的イメージになったと考えられます。

  【犬祖伝説】
 中国南部福建省に、槃瓠(ぱんこ)伝説というものがあります。国初に高辛帝が敵将の首を噛み切ってくれば自分の娘を与えると飼い犬の槃瓠に約束し、犬はそれを実行したのでやむなく愛娘を犬にめあわせたという伝説ですが、いまもその犬の子孫と自称している少数民族がいます。
 こうした伝説の筋が日本に伝えられて、<花咲か爺>や、曲亭馬琴が『南総里見八犬伝』を書くときの手本になったといいます。
 日本でも、犬祖伝説が沖縄の与那国島、小浜島、宮古島、奄美の加計呂麻島などに残っています。
  【日本犬成立の歴史】
 日本最古の犬の骨は、神奈川県夏島貝塚で発見された約9500年前のもの、また愛媛県黒岩洞窟で埋葬された犬の骨は約8500年前。これ以外にも、縄文時代に埋葬された犬の骨が出土しています。
 犬の品種の分化が六千年前にはじまったといわれていますので、これらの犬は世界的にみても古い部族に属するものです。
 日本犬の成立については、岐阜大学田名部雄一博士の著書『犬から探る日本人の謎』によると、犬の赤血球タンパク質の多型現象を支配する遺伝子の頻度を利用して日本犬を調査した結果。
 約一万年前に、南方から縄文人が古い型の日本犬をともなって日本列島にきて居住(中国南部原産犬、台湾在来犬と北海道のアイヌ犬が同系)。2300年前以降に朝鮮半島を経て入ってきた弥生人とともに新しい犬が渡来(日本本土の犬と韓国、中国北部の犬が同系)、混血して日本犬の祖先ができたと推論されています。しかし、北海道犬(アイヌ犬)は地域的に隔離されていたため古型のまま残されたと考えられています。 
 その後、戦国時代に、敵情視察や奇襲作戦などに犬を使ったこともあって、西洋の猟犬(南蛮犬のちに唐犬)が輸入されました。 
 1613(慶長18)年に来日したイギリスのジョン・セーリスは、日本の大名に贈って喜ばれる犬として、マスチフ、グレイハウンド、ウォーター・スパニェルを挙げています。
 日本犬は江戸時代の鎖国政策もあってかなり純潔なかたちで維持されてきました。しかし、明治維新以後に大量のヨーロッパ犬種が導入されて雑種化が進み、純粋な日本犬が減少してしまいました。 昭和の初めになって、日本犬の主人に忠実なてんなど良さが再認識されたため、保存が計画されるようになり、日本犬種の天然記念物の指定が行われました。現在、北海道犬、秋田犬、甲斐犬、柴犬、紀州犬、四国犬の六犬種が、天然記念物に指定されています。

  【主な日本犬及び東アジア犬】<田名部雄一博士による分類>
○南方系
 [北海道犬](アイヌ犬) [沖](チン) [チャウチャウ] [琉球犬] [西表在来犬] 
 [屋久島在来犬]
○南方・北方の中間に位置
 [秋田犬](大館犬) [紀州犬] [信州柴犬]
○北方系
 [三河圏] [山陰柴犬] [対馬在来犬]
○北方関連犬
 [越の犬] [四国犬](土佐犬) [珍島犬] [美濃柴犬]

  【犬と日本人】
 縄文時代は多くの遺跡から犬の骨が出てきます。しかも、墓に埋葬されているものが多数あり、人とともに埋葬されたものもかなりあります。これは、縄文人にとって犬が重要な役割をもった家畜であったということでしょう。
 弥生時代になると犬の骨が発掘される数は少なくなり、それも頭骨に傷のあるものが増えていることから、犬を食べていたのではないかとも考えられています。一方、この時代の銅鐸のなかに、弓を射る人物と猪を囲む五頭の犬の狩猟図文が鋳出されたものがあります。
銅鐸が部落共同の祭器で、農耕祭祀に関連すると考えると、犬は農業神へ献供すべき御饌を狩する一員として描かれたと考えることもできます。
 古墳時代には埴輪犬が多く出土しており、中には群馬県境町上武士の出土の埴輪犬のように鈴付の首輪をしたものもあります。これは、被葬者である豪族が、生前愛していた動物類を墳墓の周囲において、他界でも現世と同様な生活をしているよう現したものといわれています。しかし、埴輪動物の中で一番出土例の多い馬が、神への献供あるいは財物して飼育されていたこと考えると、犬も献供や財物として使われていたと考えられます。
 文献でも、『古事記」長谷朝倉宮(雄略天皇)の段に、志幾大県主が天皇の怒りを恐れて、白犬に鈴を付けて天皇に献上したところ、天皇の怒りが解けた話が載っています。
 また、天武天皇紀に新羅の使者が王からの貢ぎ物として馬・螺と共に犬を2,3頭献上しているのもそのことを裏付けています。
                            * 右上の画は、[鳥獣戯画の中の犬]右下の画は[矢田地蔵縁起絵巻]
  【犬養部(犬飼部)】
 文献上の初見は『日本書紀』安閑天皇二年八月(535)条の「詔して国々に犬養部を置く」ですが、六世紀初頭に設置され、大化の改新ころにはすでに形骸化していたと思われます。
 犬養部は飼養する犬を率いて大和朝廷に奉仕する品部で、祭祀用の供肉を得るために使う猟犬を飼育したという<猟犬説>、番犬を飼育調教するのを職とした<番犬説>があります。多分、中央では大蔵・内蔵あるいは宮城諸門の守衛、地方では屯倉などの防衛を任とした番犬説が真実に近いと思われます。
 犬養部の管掌組織としては、中央の上級伴造には県犬養・若犬養・安曇犬養・海犬養(いずれも連姓)の四氏が知られ、各地に分散して在地の犬養部を統率する下級伴造には海犬養・犬養。部民としては犬養部となっています。

  【犬養(犬飼)という地名】
 この犬養という名は現在でも犬飼、犬狩などの地名としても各地に残っています。JRの駅の中にも犬飼という駅が豊肥本線(大分県)にあります。
 一般に、犬石、犬塚、犬堂、犬鳴、犬山、犬問、犬吠など、犬の字のつく地名は、低い、小さい、狭い地形につけられる場合が多いそうです。しかし、<イヌカイ>という地名について民俗学者の若尾五雄氏は、犬養部に関わるだけでなく、鉱山とりわけ水銀の出る地域を示すといいます。イヌカイは井交、つまり鉱物採掘用の井や井堰を製作管理したことに由来するためです。
 鉱山に関連する話として、以前テレビ番組で、弘法大師の伝説のある場所をたどると、不思議とその地域に水銀などの鉱山があるため、弘法大師は山師の仕事もしていたのではないかという内容でした。ちなみに、弘法大師が開いた高野山は、弘法大師が白と黒の二匹の犬に導かれて入ったところで、その犬は犬飼明神(狩場明神)の飼い犬、もっと驚く事実としては、高野山は不老長寿薬とされた丹の原料の 水銀の産地だということです。
                                        * [右の画は、弘法大師行状絵巻]
  【狛犬】
 起源はエジプト・ペルシア・インドなどの墳墓や神殿や門前に置く獅子型の像にまでさかのぼることができます。これが中国に入ってライオンから中国風の唐獅子となり、日本の狛犬の源流となりました。
 狛犬という名称は、朝鮮半島のことを高麗(こま)と称したことから出ています。通常は守護神として神殿の縁側または社寺の前庭に置かれ、普通は開口と閉口の阿咋(あうん)とするが、両方とも開口のものもあります。
 木造、石造、金属製、陶製などがありますが、神殿上のは木造、屋外のは石造とするものが多い。現存する古いものは木造で、平安時代後期康治元年(1142)作といわれる奈良薬師寺のもの。また春日神社若宮御料古神宝の銅製(1136前後)の狛犬もあります。その後、鎌倉時代初めに中国から宋風の石造狛犬が渡来しました。奈良市東大寺南大門のものはその一種です。
 狛犬の像が獅子とよく似ていますが、これは後世、獅子と狛犬が混同されるようになったためで、平安期には獅子・狛犬といって両者を向かい合わせに配することが多かった。『禁秘抄』清涼殿のくだりには、「獅子・狛犬、在帳前南北、左獅子」とあります。
  【妊婦と犬】
  [岩田帯](結肌帯の意味)
 医療の発達していなかった昔においては、出産で命を落とす女性が少なくなかった、そのためお産の軽い犬にあやかった風習がたくさんありました。最近ではあまりやらなくなったと思いますが、妊娠五ケ月(三ケ月・六ケ月・七ケ月・九ケ月のところもある)の戌の日に<岩田帯>を付け、産婆を頼むのにも戌の日を選んだりしました。また、野良犬が縁の下で子を産むと、その家は縁起がよいといって、赤飯を炊いて祝うところもありました。
 岩田帯については、私の家内も第一子がお腹にいるときに形式的につけました、ただしデパートで売っているもの。

  [犬供養]
 栃木・茨城・千葉県から東北にかけて犬供養という風習がありました。毎年二月から四月、また牝犬が難産で死ぬと三日目ぐらいに近所の女達が集まり、握り飯をつけたY字型の「犬卒塔婆」を村はずれの三本辻などに立てて拝む「安産行事」(これをしないと自分たちも難産するという)。そのときに上げる握り飯を妊婦が食べると産が軽いという。利根川流域の「犬卒塔婆」は、Y字型の生木に経文を書いて墓場の入口や辻、川原に立てるという。
 愛媛の風習には、犬の糞を拾って来て、妊婦の腰の上で二、三回振り「犬のように早よう丈夫に産ませてやんなはいアビラウンケンソワカ」と三回唱える産が軽い。というのもあります。
  【犬張子】
 紙製の置物の犬張子(関西では[東犬])。犬が多産で産が軽いことから、それにあやかった信仰からきたものらしく、出産のお守りとして江戸時代以降庶民の間に広まり、嫁入り道具の一つにも加えられていました。また、三月の節句にも飾り、宮参りの時の贈り物にもしています。
 起源は平安時代から宮中の清涼殿で用いられた獅子・狛犬像といわれています。もとは人面に似せた顔の一対のもので、祝儀の際の寝所に配置はするのが例でした。犬の寝姿にかたどって、底を箱に作ったものを犬箱(犬筥)といい、這子にならって四足をそろえた立ち姿に作ったのを御伽犬(おとぎいぬ)あるいは宿直犬(とのいいぬ)といいます。
 室町以降、公家や武士の間で箱形(御伽犬・犬筥)のものに安産や小児のお守りをいれて、産室に置きました。
 『松屋筆記』には、宿直犬の左向きの犬には守り札を入れ、右向きのものには男の子は玩具、女の子は化粧道具を入れる習俗があったことを紹介しています。
 また『類聚名物考』には、犬張子とはもと虎子筥といって小用を足す便器を指していたと書いてあります。
 この他に、「犬張子」は厄年の厄落としにも使われました。節分の晩に厄落としのため氏神にお参りする途中に、犬張子の中に古い櫛などを入れて道ばたに捨てました。日常家に置いてある犬張子は人のけがれを吸収していると考えられています。節分は立春前夜で生活が新しくなる節目のため、日常の汚れを吸収した犬張子を捨てるのです。
 【生類憐令】(しょうるいあわれみのれい)
 犬公方と呼ばれた徳川五代将軍綱吉(1646-1709)は異常なまでの犬の愛護で知られますが、その一連の生類憐み政策をいいます。
 戌年生まれの綱吉が自分の血を分けた子に将軍を継がせたいという欲望から、犬を大切にすれば子供が産まれるという迷信を信じたためといわれています。
 元禄年間、各町村に犬毛付帳を作成させ、犬の毛色や品種の記載させました。また、四谷・喜多見・大久保(二万五千坪)・中野(一万六千坪)などに野犬を収容する犬小屋を作り、犬医者を設置しました。元禄十年(1697)には大久保・中野の両地に収容した犬は49,000匹近くにもなったといいます。そのうえ、これら費用をすべて町々の住人に課税しました。また犬を打つと重刑に処せられ、もし犬を殺したりすると、遠流、江戸中引き回し、斬罪、甚だしいものは獄門にかけられたといいます。
  【犬の糞】は都会の憂鬱
 文化・文政(1804〜1830)当時の世相を伝えるものに、”犬の糞と侍が怖くては、江戸に来られぬ””このごろお江戸に多いもの、伊勢屋、稲荷に犬の糞”があります。
 この時代より100年前の元禄時代が、先に書いた徳川綱吉の[生類憐令]の時代。江戸の住人が50万人弱のところ、10万頭もの犬がいたそうです、江戸中に犬の糞が溢れていたというのもうなずけますね。
 ところで、現在世界中で”都会の憂鬱”となっているのは、犬の糞公害です。

 ニューヨークでは、1977年(昭和52年)に制定された市条例によって、犬に排便をさせたままの現場を警官に見つけられると、その場で25ドルのチケットを切られます。それを支払わなかった場合、追徴金を含め罰金が1000ドルまで跳ね上がります。
 その当時のニューヨークの人口は約750万人、7.5人に1匹犬が飼われていました。そのワンちゃんが1日に、糞は175トン、尿は18万ガロン(ドラム缶3600本分)を路上に放出していました。
 ニューヨークポスト紙は、このフンの総量は年間6万4千トンで、アメリカの大型原子力空母エンタープライズの排水トンに匹敵すると皮肉っていました。

 その当時、同じように犬の糞公害に悩んでいたパリ、市長シラク氏は市内の主だった通りに犬専用のトイレを設置した、しかし相変わらず道ばたに糞がゴロゴロ。
 たまりかねたシラク氏は、1980年(昭和55年)、条例に従い「犬の糞は車道と歩道の間の溝に落とすように!」と、半年間に400万フランもかけてテレビで広告を流し続けた、溝以外の場所に糞を放置した飼い主には、最高150フランの罰金にもかかわらず、まったく効果が無かったといいます。

 ドイツの場合は、各都市の道路清掃業者が定期的に清掃するため犬の糞の垂れ流しに規制はありません。そのかわり畜犬税を120マルクから240マルクに引き上げました(1984年)。240マルクは当時の変換レートで換算すると約21000円。

 北京では、犬の糞始末令ぐらいでは手緩いと1983年(昭和58年)「狗犬飼育禁止令」が発令されました。この禁止令に違反して犬を飼った場合は、罰金50元(当時の邦貨で約6000円)、そのうえ飼っていた犬を殺す義務まで科せられていました。ただし例外があり、軍と警察、それに屠狗業者には犬を飼うことが出来ました。

  【犬の放尿】
 1982年1月12日の北海道新聞に、北大文学部の鈴木延夫さん(社会生態学)が、数年前に犬の放尿がテリトリーを主張するという“常識”を覆すが説を発表した話が載っています。
 「三匹の野良犬が、同じ場所に放尿してもケンカにならない。これではなわ張とは言えんでしょう。しかも放尿には規則性もない」と鈴木さん。研究の結果、犬はどこでも(他の犬の)尿や何かのにおいに緊張し、不安を感じて放尿することを実証した。放尿は、実は興奮のサインだった。という記事です。
 また、よく犬が子猫や狐を育てる“美談”のニュースが、「決して珍しい話ではない、特に雌犬は授乳期にはほとんどの動物の子に反応する」。といって、自らの愛犬(セパード)に狐からアヒルまで立派に育てあげさせてそのことを証明しています。
 ところで雌犬のすべてが、イスラム教徒の男性のように腰をかがめて放尿すると思っていませんか。実は雄犬のように高くは上ませんが、雌犬の四分の一は片脚を上げてオシッコするそうで、中にはより高くひっかけようとするためか、逆立ちしながら放尿するものも珍しくないそうです。
  【日本犬食史】
 今の日本で犬の肉を食べるというと、ギョッとする人が多いと思いますが、人間の歴史の中で犬の肉を食べることはそれほど珍しいことではありません。犬を食べる風習は、東南アジア、南太平洋、中央アフリカなど、温暖な地方に住む農耕民族に多く見られます。 
 メキシコ旅行をしたときにも、マヤやアステカの人々が犬を食用に飼っていたという話を聞きましたし、ユカタン半島で現地人の家で飼っている前足の長い犬もみてきました。[右の写真が、ユカタン半島の犬]
  [古代] 日本でも、弥生人は犬を食べていた証拠があります。文献状に現れる日本最古の犬食記録は、『日本書紀』天武四年(675年)四月「…四月一日より九月三十日までの間、ウシ・ウマ・イヌ・サル・ニワトリの肉を食することを禁ずる。ただし、それ以外の期間は禁止しない。…」の記述です。
  [中世] 犬を食べていたのは、一般庶民から侍まで、16世紀の遺跡沓掛城跡(愛知県)、鎌倉材木座、仙台城三の丸跡(宮城県)等々各地から解体された痕跡を持つ犬の骨が多数発掘されています。
  [戦国末期〜]  戦国末期から日本で布教活動をしていた、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの『日欧文化比較』に「ヨーロッパ人は牝鶏や鶉・パイ・プラモンジュなどを好む。日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻などをよろこぶ」、また「われわれは犬は食べないで、牛を食べる。彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」と当時の日本人が薬食いをしていたことを書いています。
 寛永二十年(1643年)刊の料理書『料理物語』には、犬の調理法として吸い物と貝焼きがあげられています。また、同じ頃に書かれた、兵法家大道寺重祐の『落穂集』には「私の若い頃には、江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方・町方ともに、下々の食べ物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、見つけ次第に打ち殺して食べたからである」。この記述が事実ならば、生類憐令の綱吉が生まれたのは1646年頃の江戸には犬がほとんどいなかったことになります。
 綱吉以後も、各地で犬食は続いていました。太田蜀山人(南畝)の『一話一言』の「薩摩にて犬を食する事」では<えのころ飯>という犬の子の食べ方が書いてあります。また幕末の蝦夷地松前で幽閉生活を送った、ロシアのゴロウニンの『日本幽囚記』には役人が犬を食べてる様が記述されています。
  [近世(明治)〜] ある掲示板で、犬食について聞いたところ、戦前に犬の肉を食べた事があり、周りでも食べている人がいた事が記述されていました。
 私が知っている戦後の食料難にも、赤犬の肉は美味しいといわれて、町から赤犬がいなくなったという話を聞いたことがあります。私自身小学校の頃、学校の行き帰りによく遊んでいた野良犬が、ある日ムシロの上に頭と内臓だけの無惨な姿でおかれていたのを覚えています。
 「赤犬の肉」が美味しいという話は、中国の古い文献にも書かれています。何故か判りませんが日本でも古くから赤犬の肉が好まれていました。
  【韓国犬食事情】
 犬を食する国は、中国をはじめ、台湾、タイ、ベトナム、北朝鮮などアジア全般にあるようです。韓国の犬食文化は中国から伝えられたようで、朝鮮半島全土での犬食は、長い儒教の歴史とともに受け継がれ、宮中でも食されていました。
 ソウル五輪(1988年開催)の時には、犬食が欧米から「犬を食べる野蛮な民族」、特にイギリスの動物愛護協会は「犬の肉を食べるような国へ選手を派遣するな」と非難。そのため、84年、韓国政府は自国の食品衛生法のなかに定められた「嫌悪感を与える食品販売の禁止」を犬肉に当てはめ、飲食店を取り締まった。ただ、国内には犬肉料理を愛好する人も少なくないため、特定地域での販売は黙認されていた。つまり、表通りから裏通り(路地裏)へと追いやられたのである。
 日韓ワールドカップ(2002年)の時にも、FIFA(本部イギリス)が韓国に「犬肉を追放してほしい」と要請してきた、しかしこの時は、国をあげて犬食文化「韓国固有の食文化である」をアピールし、FIFAの副会長でもある「チョン・モンジュン」氏が、これを跳ね除けた。

  【韓国の犬肉料理】
 日本では、「土用の丑の日」に鰻を食べ夏ばてを防止しますが、韓国と朝鮮では「三伏(サンボク)の日」に、暑気払い・夏ばて防止として「補身湯」や「参鶏湯」を食べます。「湯」と名の付く料理は、スープに肉や野菜などの具が入ったものが一般的です。
 それは、犬肉が精力増強・肉体衰弱の補強にてき面の効果があり、五臓と血脈を整え、体を温め足腰の痛みの緩和、気力増強にすごぶる良いとされていているためです。
 * 「三伏の暑さ(サンボクトウィ)」の三伏とは、「初伏(チョボク)」、「中伏(チュンボク)」、「末伏(マルボク)」のことで、「初伏」は夏至の第三の庚の日、「中伏」は夏至の後の第四の庚の日、「末伏」は立秋の最初の庚の日のことです。

  [ポシンタン(補身湯)]犬肉のスープ
 補身湯はトウガラシベースの辛いスープですが、犬肉の他にサツマイモの茎、エゴマの葉っぱや実が入っています。
 ポシンタン以外の呼び名として、サチョルタン(四季湯)、ヨヤンタン(栄養湯)、モンモンタン(ワンワン湯)などの呼び名があります。
 この料理は、韓国だけでなく中国の東北三省にある吉林省延辺朝鮮族自治州の州都、延吉市の店も有名で、ここでは補身湯の店が軒を連ねおり、格別に美味い犬肉料理が食べられるといいます。
 * 朝鮮語では人を評価する場合「犬の様な奴」と表現され罵倒語や軽蔑語で使われます、そのイメージを変えるため「犬肉」のことを「補身湯」と呼び名をかえたといわれています。
  [ポシンチョンゴル(補身チョンゴル)]犬肉のすきやき
 チョンゴルとは、すき焼き風に少量のわりしたを入れて肉や野菜を煮付ける料理です。野菜はネギやケニプ(エゴマの葉)などで、わりしたはトウガラシベース肉の上にかかっているのは、エゴマの実をすったものです。
  【犬の薬効】
 隣りの中国の、『本草綱目』に「時珍日、狗類甚多、其用有三、田犬、長喙善猟、吠、犬、短喙善守、食犬、体肥供饌」とあり、犬の肉を滋養強壮の薬として珍重しました。[然]という字は元来犬の肉を火であぶって焼という意味で犬テキのことでした。
また中国八珍料理の中に、子犬の内臓を抜き米をつめて蒸し焼きにするという料理があります。
 中国南部で古くから飼われていた[チャウチャウ]、皮膚が垂れ下がった[シャー・ペイ]の犬は、元来は食肉用として飼育されていました。
 一般には、味のいいのは赤犬、薬用にするのは黄色い犬が最も良く、白犬、黒犬がそれに次ぐという、ただし血を取り去ると効果がなくなるとされています。
 『食癒心鏡』には「水気の鼓張を治すには、犬肉を米とよく煮合わせて、空腹時に食すと五蔵を安んじ、絶傷を補い、陽事を益し、胃腸を厚くし、精髄を填め、腰膝を暖める」あるそうです。
 また、大正13年にでた『学芸挿話』という本には、「石女(うまづめ)もイヌの煮た肉を食べると妊娠するといわれている。また哺乳期のイヌをブドウ酒で煎じてのむとテンカンにきく、血を疥癬に塗ってよく、狂犬に咬まれたさいは、それがオスイヌであればオスイヌを殺してその新しい肝臓を食べれば狂犬病は治る。イヌの皮の頚巻は咽喉炎を治し腹帯すると疝気がおこらない。また胆をしぼった汁に蜂蜜をまぜて軟膏としたものは眼の薬に用いられる。皮フにナマズなどの斑点ができたときはこれを塗ると治る、これは犬の脂肪でもとれる。イヌの乳に硝石を加えたものはライ病に効能があり、それに灰を加えたものは毛生え薬になる。幼犬の尿は毛抜きになり、イヌの糞は赤痢の薬になるし、肺病の薬として黒犬の脂肪が西洋では用いられている一」と盛り沢山の効能が紹介されています。
   【犬の感覚】
 [嗅覚] 犬の嗅覚はすこぶる鋭敏で、人間の100万〜1億倍も鋭い嗅覚で、自分の領域内にされた他の犬の放尿から、その時期、個体、方向まで分かるといいます。
 この素晴らしい嗅覚が、原始時代以来人間に協力貢献したため、「嗅」や「臭」の字に犬という字がついています。ちなみに、臭の字の上半分の自はもとハナ(鼻)という字でした。ですから臭の字は「犬の自(ハナ)」という意味になります。
 犬の嗅覚のすごさをしめすものとしては、1925年、南アフリカでドーベルマン・ピンシャーの「サウアー」という犬が、匂いだけを頼りに広大なグレート・カルー高原を横断して、家畜泥棒を160Kmも追跡しました。
 また、1973年10月オーストラリアの北ヘイズクリークで捨てられた8歳のミニチュアフォックステリア「ウイスキー」が、1974年6月13、南部のマンブレー・クリーク駅で保護されました。これは捨てた主人を追い掛けて、オーストラリア中央部の広大な荒野をほぼ2720Km横断してきたことになります。
 [聴覚] 遠距離の音を聞く能力、音源の方向の識別能力が人の4倍くらいあり、人間が20〜20000ヘルツの音しか聞こえないのにくらべ120000ヘルツまで聞こえ、そのうえ1分間100回と96回のメトロノームの速さの差も聞き分けれるそうです。
 [視力] 犬は近視で、100mで飼い主の変を見分けられず、800mをこすと動いている人間の姿が判別できないそうです。しかも、色盲のため区別できるのは緑色と暗灰色程度だといわれます。
 [帰家能力] 獲物を追って遠方に行くことから発達した能力といわれています。犬を箱に入れ自動車などで遠回りして未知の土地に運んでも、ほとんど迷わずに一直線に家に帰ることができるといいます。
  【犬のつく名前】
 犬の付く名前の代表として、イヌカイの分布を調べてみました、[犬養]は東京都・北海道・岡山。[犬飼]は愛知県。[狗飼]は福島県。[犬貝]は山形・福島に多い名前です。この他に[いぬかい]には犬甘・という字があります。
 写録宝夢巣、インターネット須崎のホームページに有る全国の苗字で犬のつく名前をさがしてみました。
 犬、犬塚・犬束(いぬづか)犬伏(いぬぶし、いぬふし、いぬぶせ、いぬふせ)、犬童(いんどう、けんどう、いぬどう、いぬわらし、きとう)、犬山、犬井、犬竹、犬島・犬嶋・犬嶌、犬石、犬走(いぬばしり)、犬田、犬木、犬尾、犬股・犬亦(いぬまた)、犬賀、犬上(いぬうえ)、犬谷、犬窪、犬間、犬居、犬持(いぬもち)、犬内、犬浦、犬村、犬藤(いぬどう)、犬渕・犬淵、犬星(いぬぼし)、犬見、犬原、犬置、犬馬場、犬川、犬江、犬倉、犬本、犬毛(いぬげ)、犬巻(いぬまき)、犬牽(いぬひき)、犬堂・犬銅、犬房、小犬丸、戌亥(いぬい)、犬丸・戌丸、戌爪(いぬづめ)、戌井、戌角(いぬずみ)、戌谷(いぬたに)、戌徳(いぬとく)、狗巻、狗田、狗川、天狗木(てんぐき)、天狗石(てんぐいし)、天狗
 これらの他に『姓氏家系大鮮典』(太田亮)・「姓氏家系総覧』(太田亮著/丹羽基二編)に有る名前で、存在を確認できなかったものを列記します。
 県犬養、県犬養橘(あがたのいぬかいのたちぱな)、海犬甘・海犬養(あまのいぬかい)、阿曇犬養・安曇犬養、(あずみのいぬかい)、辛犬廿(からいぬかい)、若犬甘・若犬養(わかいぬかい)、若犬養部、・犬養部・犬甘部・犬飼部、犬神人(いぬかみひと)、犬上建部(いぬかみたけるべ)、犬落瀬(いぬとせ)、犬懸(いぬかけ)、戌、犬神、犬里、犬武、犬橋(いぬはし、いぬいし)、犬給(いぬたる)、犬月・狗月(いぬつき)、犬部、犬法師、犬耳 
  【戌年生まれの人】

1982年(昭和57年)
鹿島かんな(タレント)、深田恭子(タレント)、滝沢秀明、
1970年(昭和45年)
羽生善治(将棋棋士)、伊達公子、西村知美、林家いっ平、和久井映見(女優)、原田龍二(俳優)、吉岡秀隆(俳優)、鶴田真由、水野真紀、渡辺満里奈、城島茂(タレント)、永作博美、雨宮塔子、池谷幸雄、アジャ・コング、なべやかん、諸星一己(タレント)、岡村隆史(タレント)、上田晋也(タレント)、工藤静香、宮迫博之、ちはる、原田泰造、辰吉丈一郎、鬼塚勝也(プロボクサー)、中山美穂、ウド鈴木、立河宣子、ジェニファー・コネリー(女優)
1958年(昭和33年)
原辰徳、小室哲哉、森昌子、樋口可南子、陣内孝則、原田美枝子、チャゲ、石川さゆり、時任三朗、松原千明、かとうかずこ、栗田貫一、MIE、田中義剛(タレント)、青島健太(スポーツライター)、萬田久子、桜田淳子、小宮悦子(アナウンサー)、西川峰子、布施博、辰巳琢郎、井上純一、佐藤しのぶ(声楽家)、マイケル・ジャクソン、玉置浩二、山川豊、小林明子(歌手)、岩崎宏美
1946年(昭和21年)
市川団十郎、藤間勘右衛門(日本舞踊家)、田淵幸一、吉田拓郎、美川憲一、中尾ミエ、大原麗子、石倉三郎、下条アトム、倍賞美津子、阿藤海、秋山仁(数学者)、西岡徳馬(俳優)、オリバー・ストーン(米・映画監督)、木の実ナナ、谷隼人、堺正章、岡林信康(歌手)、安岡力也、シルベスター・スタローン(米・俳優)、西川きよし、鈴木ヒロミツ、田村亮、荒川強啓(キャスター)、中条きよし、宇崎竜童、藤岡弘(俳優)、鳳蘭、
1934年(昭和9年)
皇后陛下美智子様、竹村正義(政治家)、池田満寿夫、大橋巨泉、堤義明(実業家)、司葉子、井上ひさし、山田太一(脚本家)、石原裕次郎、金田正一、児玉清、長門裕之、財津一郎、ケーシー高峰、宮尾すすむ、田原総一朗、坂上二郎、中村メイコ、東海林のり子、横山光輝(漫画家)、愛川欽也、藤村俊二、ガガーリン(宇宙飛行士)、マルセル・マルソー(仏・喜劇師)、ソフィア・ローレン(女優)、ドナルドダック
1922年(大正11年)
瀬戸内寂聴、宇野宗佑(政治家)、三浦綾子、別所毅彦(野球選手)、丹波哲郎、石井好子(歌手)、千石規子(女優)、小野田寛郎(元陸軍少尉)、山下清、水木しげる、安川加寿子(ピアニスト)、j・ガーランド(アメリカ・歌手)、ピエール・カルダン(伊デザイナー)、ドナルド・キーン(日本文学研究者)
1910年(明治43年)
黒澤明、山本薩夫、鈴木俊一(元東京都知事)、高橋竹山、村上元三(作家)、大平正芳、松本幸四郎、斯波四郎(作家)、ライシャワー、三益愛子(女優)、南里文雄(トランペット奏者)
1898年(明治31年)
尾崎士郎(作家)、横光利一(作家)、井伏鱒二(作家)、伊東深水(日本画家)、加藤唐九郎(陶芸家)、大河内伝次郎(映画俳優)、近衛秀麿(指揮者)、野村万蔵(能狂言師)、福沢一郎(洋画家)、中山伊知郎(経済学者)、東海林太郎、藤原義江(声楽家)、岡鹿之助(洋画家)、浅沼稲次郎(政治家)、河野一郎(政治家)、溝口健二(映画監督)、ヘンリー・ムーア(イギリス・彫刻家)、ガーシュイン(米・音楽家)、
1886年(明治19年)
石川啄木、吉井勇(歌人)、藤田嗣治(洋画家)、松井須磨子(女優)、萩原朔太郎、谷崎潤一郎、岡本一平(漫画家)、石坂泰三(実業家)、山田耕筰、平塚雷鳥(女性解放運動家)、
1874年(明治7年)
鈴木梅太郎(化学者)、上田敏(詩人)、高浜虚子、サマーセット・モーム(イギリス・作家)、チャーチル(イギリス・政治家)
   参考文献一覧

世界大百科事典 (平凡杜) 世界大博物図鑑5哺乳類 (荒俣宏 平凡杜) 南方熊楠全集 (平凡社)
原色日本の美術8絵巻物 (小学館) ランダムハウス英和夫辞典 (小学館)
日本風俗史亭典 (日本風俗史学会編 弘文堂)
國史大癖典 (吉川弘文館)
人聞がっくった動物たち 家畜としての進化(正田陽一編東京書籍)
動物と人間の歴史 (江口保暢 築地書館)
図説動物文化史事典 人間と家畜の歴史(J・クラッン 原書房)
オックスフォード・カラー英和大辞典 (福竹書店)
十二支のはなし (大場磐雄 ニューサイエンス杜)
十二支物語 (諸橋轍次 大修館言店)
十二支の話題事典 (加藤迪男 東京堂出版)
十二支の動物たち (五十嵐謙吉 八坂書房)
干支の動物誌(小西正泰監修・阿部禎著 技法堂出版)
姓氏家系総覧 (太田亮著/丹羽基二編 秋田書店)
定本柳田國男集 (筑摩書房)
日本俗信辞典 動・植物編 (鈴木棠三 角川書店)
イヌはそのときなぜ片足をあげるのか
  動物たちのウンコロジー (今泉忠明 TOTO出版)
動物故事物語 (實吉達郎 河出書房)
北海道新聞、読売新聞、その他
となりの韓国人 (黒田福美 講談社)
朝鮮歳時の旅 (韓丘庸 東方出版)
犬は「びよ」と鳴いていた (山口仲美 光文社新書)
犬の日本史 (谷口研語 PHP新書)