この道の駅で、東海道を歩いている人限定で滋賀県の東海道MAPを配布してると道の駅のホームページに掲載されていた。
中に入って聞いてみたら、入手できた。今回はこれをダウンロードしてプリントを持ってきたが、これで便利になる。

畑や水田の中の一本道を進んでいく。

正面の森が田村神社の森だろう。

国道1号線と合流するが10分ほどですぐ離れていく。

旧東海道はこの先のガードレールを右に入る。

総時間(休憩含む) 5時間04分
歩行時間 4時間30分
歩行距離(概算) 16.4Km
この区間の歩数 21,947歩
この日の総歩数 26,833歩

旧道へ入ると、市瀬の集落になる。

道は鈴鹿川に沿って上流へ向かって伸びている。

国道1号線も平行して走っている。

かなり雨が降ったようで、川は増水して強い流れだ。

道は沓掛の集落に入っていく。

静かな道だ。

急に公園みたいなところに出て、日本橋からの宿場名を書いた

柱が立ててある。

12:45  鈴鹿馬子唄会館に着いた。
 
       月曜日は休館なので中には入れない。

鈴鹿馬子唄会館の前で昼食休憩にした。

昼食は名古屋駅で買ってきた弁当。

すぐ横には「鈴鹿峠自然の家」がある。

明治13年に坂下尋常小学校として建てられ、今は青少年

の為の研修施設として使われている。

国の登録有形文化財に指定されている。

13:16 鈴鹿馬子唄会館を出発

坂下宿に入っていく。

鈴鹿馬子唄会館までもそうだったが、なだらかな上り坂が続く。

この辺りから空は明るくなった。この先も天気はよさそうだ。

しばらく歩いていくと正面に写真のような山が見えてくる。

「筆捨山」という山だ。
 狩野元信がこの山を描こうとしたら、霧などで次々に景色が
変わるので、絵を描くのをやめて筆を投げ捨てた為、この名前が、
付いた、といわれている。

11:20
   西の追分到着
        少し厚着をしてきたため、暑いので着替えを行う。

11:30   
   西の追分を出発

 昨年(2011年)の4月に関まで来てずっと止まったままだった。その間に昨夏には又入院する事になってしまった。
幸いなんとか回復してきたので、残りに挑戦する事にした。後75Kmなので3日あれば行けるが、今回は、分割して
最初に関から草津まで3日間で歩き、一度帰宅して再度残りを歩くという計画にした。
 昨年まで鈍行で行く事にこだわっていたが、体のこともあるし初日は新幹線を利用し関まで行って歩く事にした。

    港南台     6:42 発
    東神奈川    7:09 着
              7:13 発
    新横浜     7:22 着
              7:29 発   新幹線利用
    名古屋     8:51 着
              9:03 発
    亀山     10:04  着
            10:10  発
     関      10:16  着

横浜を出るときから小雨模様だった。途中降ったり、止んだりしていたが、四日市辺りでは土砂降りだった。
それでも関に着いた時は小雨で、傘は必要ないぐらいの雨が降っていた。

今回は箱根越え、浜松〜二川を一緒に歩いたMさんと行く事になる。 Mさんは奈良の橿原の実家に帰ったので、
関の駅で待ち合わせになった。関の駅に着いたときにはすでにMさんは着いていた。

たけのこの道楽Topへ

地蔵院までの間に関宿名物の「志ら玉」を作っているお菓子屋
があった。 この御菓子は昨年、駅で抹茶と共に頂いた。

11:05  地蔵院を出発した。
        いよいよ鈴鹿峠越えの第一歩だ。

ここでひとつ買って、これからのパワーアップの為糖分の補給をした。

22日目 (亀山 ⇒ 関)
24日目 (土山 ⇒ 甲西)
次の区間へ
前の区間へ
・一年のブランクの後に再開したが、なんとか歩けた。
・やはり日頃のWalkingが役に立っている
・天候が心配だったが幸い傘を使う事はほとんど無かった。
・鈴鹿峠は覚悟をしていったが、拍子抜けするほどすぐに越えてしまった。
・やっと滋賀県まで来た
・水口に帰った後はMさんと久しぶりの乾杯。
本日の感想その他

亀山から関へは関西本線のローカル列車でわずか1両だ。

まず、お茶などの購入の為、少し亀山方面へ戻ってコンビニに

寄った。

昨年通った宿場町の中に入り、前回の終了地点の地蔵院へ

向かう。

「広重 阪之下(筆捨山頂)」

すぐに高札場跡の石碑があった。土山宿はすぐ近くだ。

境内を出て、国道を横切ると、道の駅がある。

16:45
     道の駅「あいの土山」に到着した
     今日はここまでとする。
      関の出発から 22,625歩  

今日は水口にホテルを予約しているのでここからバスで
移動しなければならない。幸いすぐにバスがあるので、
水口へ向かった。

坂下宿は江戸から数えて48番めの宿場で、3つの本陣と脇本陣1軒、旅籠48軒があったといわれる。
元々もっと上流の場所にあったが、1650年に大洪水でなくなり、この辺りに移転された。

奥の方には新緑の木々の間から水の流れが見えた。

とてもみずみずしくきれいだった。

この階段は上らずに横の道を上っていく。

道は石畳になった。

久しぶりの石畳だ。

国道1号線の下の階段を上っていく。

階段を上りきると、少し開けたところがありベンチもある。

ここには芭蕉の句碑があった。

続いて石の階段を上っていく。

階段の途中に馬の水のみ場がある。

石畳の階段は終わり、薄暗い林の中に入った。

昔は鈴鹿峠では山賊が出たらしい。

現在は下草が刈られて明るいがもっとうっそうとした

森だっただろう。

14:30
  鈴鹿峠頂点に到着した。
  片山神社からわずか20分余りであっけない峠だった。


普段歩いている、鎌倉の山と大差ない坂道だった。

近くの鏡岩まで行ってみた。

恐る恐る下を見ると、国道1号線が通っている。

鏡岩から引き返し元の道へ戻って歩き出すと、両側は

一面の茶畑だった。

ここから空は晴れ渡り爽やかな天気になった。

14:52
  鈴鹿峠の万人講常夜燈着  歩数13,338

  ここにはトイレもあり、しばらく休憩することにした。
  いよいよ近江路に入った。ここまで随分月日が
  かかったものだ 
  

まだ少し桜が残っていた。

15:10
     万人講常夜燈を出発

横にある国道1号線の標識も滋賀県となった。

ところどころにこの看板が立っている。

しばらく国道1号線の側道を歩かなければならない。

広いので排気ガスは気にならないが、騒音はうるさい。

これもしょうがない事だろう。

15:50
   山中 に到着 この時点の歩数 17,222

ここで国道から外れる。

15:54
近年出来た、第二名神高速道路の下を通る。




この後国道に出てしばらく歩く。

猪鼻の集落があり、ここで少しだけ国道から離れ細い道になる

猪鼻の集落は300mぐらいで終わり、再び国道に出る。

国道を300m位歩くと、すぐに右へ入り静かな道になる。


ここは蟹坂古戦場跡の石碑だ。

1542年に伊勢の国司北畠具教が甲賀に攻め入った時の戦場
ということだ。

森の手前まで来ると海道橋という、きれいな橋が架かっていた。

橋を渡ると、田村神社の境内に入る。

13:58 
片山神社の入口を通り

いよいよ鈴鹿峠の上り口にかかる

うっそうとした森の中に入っていく。

14:07
片山神社の下まで来て右に曲がる。

間違えないように案内がしてある。

13:35  法安寺前を通過

集落がなくなると、静かな広い通りになる。

この道路は旧国道1号線と思われる。

現在の国道1号線はこの手前から上り、下り各2車線

の道になり、離れて通っている。

どおりで静かなはずだ。

13:46 
  岩屋観音通過 一万歩を超えた 

ここで新国道の上り線と合流する。

融雪装置のパイプが通っている。

しばらく側道を進む。

ここは右手の道を進む

明日は土山までバスで戻らなければならない。出来るだけ早く出発したいので、バス停と時刻表の確認に行った。
7時44分のバスがあるのでそれに乗る事にした。 平和堂のショッピングセンターの中のレストランで夕食。

上の写真の中学生が走っているところから右手には、田村神社に

入る道がある。

我々は左に入り進む事にする。

しばらく保存されている宿場町が続く。
雨はほとんど上がって傘は不要になった。

2012年4月21日(月)
( 関〜土山 )
東海道五十三次歩き旅(23日目)
「ほっしんの
     初にこ(超)ゆる鈴鹿山」