関から大船まで6,300円。
青春18切符のシーズンならば2,300円で済むけれど
仕方がない。
夜中の2時ごろに目が覚めてうとうとしているうちに5時になった。今日は9:14までに関駅に着かなければならない。
身支度をし、ホテルの朝食は7時ごろなので昨日の残りのパンとイチゴで朝食。6時過ぎにホテルを出て、昨日の最終地点
の問屋場跡へ向かう。空は曇っているが雨は降ってはいない、午後から雨になると天気予報では言っていた。
総時間(休憩含む) | 2時間04分 |
歩行時間 | 1時間55分 |
歩行距離(概算) | 6.5Km |
この区間の歩数 | 9,953歩 |
この日の総歩数 | 12,152歩 |
旅籠の跡
8:09
銀行の支店
ここまでやるとわざとらしい感じがする
看板には「松井電気」と書いてある。
伊藤本陣跡
関の宿場は47番目の宿場であり本陣が2、脇本陣が2、
旅籠屋が42あったと言われている。
伊勢うどんの店
開いていたら食べるところだが残念ながら朝早いので(6:37)
開いていない。
6:23
15分ほどで問屋場跡に着き出発した。
すぐにカラー舗装した道に出る、これは間違える事はない。
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8:27
関駅に到着
時間があるので駅構内の休憩室で抹茶セット350円をいただく。
高札場(復元)
後ろの建物は郵便局です。
8:18
地蔵院に到着。本日はここで終了し次回に続く。
次はいよいよ鈴鹿峠を越えて近江の国へ入る。
この旅もいよいよ終わりが近くなってきた。
鈴鹿川のほうへ向かって歩く。桜の並木だが散ってしまって
残念だ。
路面には亀山城の絵が埋めてある
京口門跡
案内板があるだけ
京口門を過ぎてもまだ同じように続く。反対側も長い通りの後に
江戸口門があったので、亀山宿は相当長い宿場だったようだ。
ここでカラー舗装は終わり家並みも変わってくる。
この先に史跡「野村一里塚」があるはずだ。
前方に見える木がそうだろうか。
6:47
国指定史跡「野村一里塚」
三重県内に残る唯一の一里塚
しばらく行くと下り坂になりなんとなく違う道のような気がする。
ふと右手を見ると木立越しに神社の境内が見える。本来左手に神社
があるはずで道を間違えた事に気づく。
引き返すときちんと案内されているではないか。又失敗(泣き)
正しい道はきちんとした町なみだ.(布気の集落)
後で気付いた事だが歩道部分のレンガ色はここでも続いている。
こんな郵便局もある。(中々シブイ!)
ずっと続いていた河岸段丘の高台から一気に下る。
坂を下ったところに旧国道一号線とJR関西本線の上を通る陸橋
がある。ここでは関西本線も非電化区間なので架線がない。
この後ここを通って亀山まで戻らなければならない
一号線の亀山バイパス、名阪国道、東名阪自動車道が見える。
先ほど見えていた国道高架下に三重県の宿場案内があり、
広重の五十三次の絵が書いてある。
鈴鹿川の土手道を歩く。路肩の土の部分を歩くと柔らかくて気持ち
が良い。しかし近道だろうか、時折車がスピードを出して走ってくる
ので注意が必要だ。
鈴鹿川の土手道も終わりJRの踏切を渡り歩道橋で旧一号線を渡る。
しばらく歩くと遠くからでもこの看板が見える。関の宿場はもうすぐだ。
8:00
関宿の入口にある東の追分に着く。ここは京都方面から来た道が
伊勢方面への道(伊勢別街道)の分岐点である。
ここの鳥居は伊勢神宮の式年遷宮時に宇治橋の鳥居を移設した物
である。式年遷宮の時にはここと桑名の七里の渡し場(20日目)に
ある鳥居も同様に移設される慣わしになっている。(宇治橋の鳥居は
本殿の木材
で作り直される)
町の中に入っていく。
古い町並みが保存されていて重要伝統的建造物群保存地区に選定
されている
電線は地中化されていると思われるが電柱がなくすっきりしている。
久しぶりに見たシャッターの絵
関から亀山までは関西本線の非電化の部分で、2両編成の
ディーゼルカーだった.
予定より早く8:49発の列車で帰途へ。