同じような道をひたすら歩く。それでも時々車が来て、注意しながら
歩く

東海道五十三次歩き旅(21日目)

11:12
そこが本日最初の宿石薬師宿の入口だった。
石薬師は44番目の宿場町で1616年に宿場町となった。
歌人の佐佐木伸綱の生まれ故郷である。
石薬師宿の道は信綱のかるた道と名づけられ
36首の歌が沿道に立てられたり民家の格子戸につけてある

国道を地下道で安全に(当たり前)渡った後に小さな川を渡り
道は右へ分かれていく

(四日市〜亀山 )

左折すると三重県東海道カラー?の緩やかな下り坂になる。

道は徐々に狭くなり、道の両側
には家が続くところとなる。
各家にはほとんどこんな表示が
してある。
復元できるだけの記録があった
のだろう。
この道が意外と長い。まだ宿場の中
心地ではない

16:05
 やっと江戸口門跡に着いた

この通りが亀山宿の中心地だこの先に本陣跡の看板があるが、

八百屋の前だった。昔のなごりは全くない。

宿場町を抜け国道の上を横切る橋を渡ると石薬師寺の裏門があり、
中を覗く事にした。
西国薬師霊場四十九箇所の三十三番と言う事だ。

しばらく行き天白川と言う川を渡ると日永神社がある。
そこで水分補給の為少し休憩を取る。

  うの花(ウツギの花)
記念館の中庭に植えられて
おり、ちょうど咲き始めたところ
でした。

15:50
有名なカメヤマローソクの工場の横を通過。

16:22
 問屋場跡にある亀山宿石碑
本日はここで終了


16:54
帰りの電車で読む本などの買い物をしてホテルにチェックイン

本陣跡を過ぎるとこの看板
に従い左に曲がる。

石薬師宿の通り

11:27〜11:45
佐佐木伸綱記念館見学
隣には生家がある。佐佐木信綱(1872〜1963)は歌人、国文学者
であり、「夏は来ぬ」の作詞者である

早くから目覚めたが朝食まで時間があるので近くをぶらぶらした。今日は昨日の冷たい風は治まっている。
7時に朝食を食べ7時36分にホテルを出た。今日は亀山までの約23Kmの道のりだ。途中に石薬師、庄野の宿がある。

次の区間へ
前の区間へ
卯の花のにおう垣根に〜
    時鳥早も来鳴きて
    忍音もらす 夏は来ぬ

さらに急な坂は続き

なんとか上りきると、静かな集落になる。

10:21

しばらく進むと周りが開けて、国道一号線と合流する。騒音と
排気ガスを我慢しなければならない。

道路案内には「大津 亀山」とあり、いよいよ滋賀県の地名が
出てきた。
但し大型トラックが多くのんびりとした街道歩きには程遠い。

10:41
四日市市と鈴鹿市の境を通過。

その後やっと一号線から左に分かれていく。

これで騒音から離れ静かになる。実際はそれほど離れているわけ
ではないがかなり静かになる。

10分ほど歩くと再び一号線と接近し、反対側へ渡る必要
がある。

ここは信号はなく地下道で横断する事になる。

10:54〜11:03
すぐ横にスーパーマーケット(オークワ)があり、少し休憩。

近鉄四日市駅前を通り、スタート地点まですぐに着く。

7:45
コンビニでお茶を買って本日のスタート

たけのこの道楽Topへ
20日目 (桑名 ⇒ 四日市)
22日目 (亀山 ⇒ 関)
「広重 庄野(白雨)」
総時間(休憩含む) 8時間37分
歩行時間 7時間09分
歩行距離(概算) 23.6Km
この区間の歩数 39,992歩
この日の総歩数 40,092歩
・2日目でかつ20kmを超える道のりだったが比較的楽に進むこと出来た。
・それなりに見所はあり退屈しない街道歩きを楽しむことが出来た。
・天気は良く昨日と違い、暑からず寒からずののどかな天気でのんびり歩くことが出来た
・学生時代の友人が津に住んでいるので昨日連絡していたが今日は近くでゴルフをしているとのことで夕方ホテルに来てくれた
 しばらくしゃべり、関にあるうなぎやへ行き夕食をともにした。
・ホテルに戻りビール一缶ですぐ寝てしまった。
本日の感想その他
「広重 亀山(雪晴)」


先ほどの踏切を過ぎたあたりで亀山市に入る。すぐにJR井田駅
(関西本線)の駅前を通り、国道一号線の歩道橋
を渡る


この後再び国道とはなれた平行した道を進み、ホームセンター
の「コメリ」の裏を通る。そのまま進むと和田の道標があるはず
だが見落としてしまった。

展示してある高札

写真ををクリックすると
拡大表示します

13:13
 庄野資料館を後にして出発する。その他はあまり見所もない。

13:24
 庄野宿をでる。


13:26〜13:47

 後は亀山に向かって歩くだけだが、空腹になり
 この先の一号線合流に箇所コンビニがあり、昼食休憩とした。

昼食後、3分ほど歩き国道を横断し左へ分かれる。
静かなのんびりした道になる。今日はもう国道を歩くことはないはずだ

14:08
 中富田一里塚跡
  ここから江戸まで百里あるらしい。と言う事は今まで百里歩いた
  事になる

14:23
  
   安楽川にかかる和泉橋を渡る。

こんなところが間違いやすい。正しいのは左の坂道を下る。
確かめながら注意して下りた。

ところが、その後で間違えた。
坂道を下りると2車線の道路がありすぐ横に踏切がある。
手元の案内図には踏み切りを渡るようになっているが、本当は
2車線の道路を横切り細い道を入っていくとそこに踏切がある。
ここは気付いて引き返したのでとりあえず落着。
2度来る事はないので慎重にしなければならない

ここで箱根から使用していた中部建設協会が発行した東海道
さんさくマップの最終に入った。
15:36
道は右へカーブして緩やかな坂道を上って行く。
坂の右側には石上寺というお寺がある。

左手には一段下がって、関西本線などがある。また鈴鹿川が
流れているようだ。
河岸段丘の地形といえる。

しばらく行くと右手に日本コンクリートの工場があり、電柱がたくさん
並んでいる。地震復興のため新しい電柱が何本要るだろうかなど
ふと思う
12:55
その先を右折すると今日の行程の二つ目の宿場である
庄野宿入口に着いた。
 庄野宿は1624年に東海道45番目の宿場として設置された。

13:00
庄野宿へ入ってしばらく行くと庄野資料館がある。元は油屋だった
建物が資料館になっている。中を覗くと高札場に掲げられていた高札
の現物が展示されていた。
現物が残っているのはここしかないと係りの人が説明してくれた。

「広重 石薬師(石薬師寺)」

中に入ってみると、きちんと手入れされていてきれいなお寺だった。

12:08
  表門から出て次の庄野宿を目指す

石薬師宿は高台にあり坂を下っていくと小さな川ほとりに
一里塚跡があり、周りは水田になる。田植えの前で水は入って
いないがのどかな道になる

のどかな道は続かない。再び一号線と合流する。歩道が狭く、
その上大型トラックが轟音を鳴らして横を通り過ぎて行く。

歩行(かち)ならば
     杖つき坂を
        落馬かな

ここは杖衝坂と名づけられた坂で
古事記にも出ているらしい。

この隣には芭蕉の句碑も立って
いる。

民家の塀にはこんな案内がつけてある。これはこの先随所に
見られた。

左折の案内があり曲がるといきなり急な坂道になった。白須賀の坂道から以降ほとんど平地を歩いていたので驚いた。

日永の追分を京都方面へ行くとすぐ近鉄の踏み切りと追分駅があり、
駅の横の道を行く。

小古曽の集落になり道幅も狭い。

近鉄内部駅の横を通り、しばらく行くと、川に突き当たる。
内部川という川で、国道1号線にかかる内部橋をわたる。その先は
国道一号線から左に離れるので、道路を横断する必要がある。
ここで道路の下を横切って反対側へ回る。道路が狭くなっているが
通る車がスピードを緩めないので又怖い思いをする。

9:40〜9:57
橋を渡ると、左手にスーパーマーケット(マックスバリュー)がある。
今日歩き出して2時間経った。パンと牛乳を買い休憩する。

休憩後、スーパーの駐車場に沿った道をしばらく行くと采女の集落
に入る。

「右京大坂道」左側面には
「左江戸道」と彫ってある。

8:47
一本松
    宮(名古屋)の宿までは松並木がところどころにあった
    が、今回はほとんど見当たらない。
    この松は並木だったのかどうか分からないが一本だけ
    ぽつんと立っている

国道一号線と合流する。日永の追分はもうすぐだ。

しばらく行くと昔の雰囲気を感じるところになるが、この道は裏道
になっていて、通勤の車が多く、歩道もないので注意をして歩かな
ければならない。
とても雰囲気を感じながら歩くわけには行かない。

鹿化川という小さな川を越えると日永の集落に入る。良い天気で
御在所山方面がきれいに見える

いつ頃の建物か知らないが古い蔵付きの建物がある。

昨日は商店街で終わったが広い通りを横断すると
その先は静かなところだ。

本陣跡
  実際はもっと大きかったらしい。

9:00
日永の追分
 ここが伊勢街道と東海道の分岐点だ。左直進が伊勢方面。
右が京都方面

2011年4月21日(木)