13:26
矢田立場を通過する。火の見櫓が復元されている。
このあたりは昔賑わったところだったらしい。
少し下流に迂回して現在の町屋橋により員弁川を渡る。
天気は良いが冷たい北風が強く帽子が吹き飛ばされそうだった。
この橋を渡ると。桑名市から三重郡朝日町に入る。
渡り切って右折するが先ほどの延長線上に続きの道があるはずだ。
わかりやすい所に上記の看板があり間違いなく進めた。
街道歩き特有な景色の中を進んでいく。ここは縄生(なお)の家並。
昨年(2010)年中に京都まで終了する予定であったが、不覚にも入院をすることになり、しばらく次行程へ
進めなくなった。退院後から軽いウォーキングを始め4月に入ってから、長めのウォーキング
で準備をした。ほぼ体調も問題なくなったので再開することにした。
総時間(休憩含む) | 4時間14分 |
歩行時間 | 4時間09分 |
歩行距離(概算) | 16.4Km |
この区間の歩数 | 24,014歩 |
この日の総歩数 | 26,113歩 |
矢田立場の角を曲がるとそのまま直進する道で四日市方面へ
向かう。(安永の集落)
日本橋
富士山
三条大橋
旧東海道の道案内は要所ごとに何らかの表示があるが、ベージュ色
にカラー舗装がしてある。これはこの先の四日市、亀山でも同じように
してあった。
左の写真のように広い道路を横断してもその先を見れば直進と言う事
がわかる。
但しこの先で2方向とも同じ色で一瞬迷ってしまった。
桑名の市街地は曲がるところが多く、案内図と路上の案内をよく
見ないと間違う。
東海道のこの辺りは伊勢へ向かう道と同じ道だ。四日市の先の
追分で分かれることになる。そこは明日の行程だ
歩道の上には七里の渡し
の絵が表されている
約15分ほどで渡し場跡に着いた。
12:39
今回の旅のスタート。
大船発5:44の電車に乗り何時ものように西に向かう。残念ながら青春18切符のシーズンは終わってしまったが、
「新幹線に乗らない」と言うこだわりは引き続き貫いて鈍行の旅だ。昨年は豊橋までの乗車だったが、今回は、名古屋
を通り過ぎ、関西本線の桑名までの移動になる。
約5分ぐらいで「歴史を語る公園」が左手にある。
案内板によれば桑名宿は東海道42番目の宿場であり
熱田の宮宿に告ぐ宿数があったと言う。また伊勢路の玄関口
でもあった。日本橋、富士山、京都三条大橋を模したモチーフが
作られた。
道沿いの長さ約150mぐらいの小さな公園だ
「広重 四日市(三重川)」
15:21
近鉄富田駅付近通過
5分ほど休憩して再び歩き出す。
15:50
米洗川のたもとの常夜燈通過
この常夜燈は電線がつないであり、電球もついて街灯の役割が
ありそうだ。
16時過ぎに国道1号線と合流ししばらく行くと海蔵川を渡る。
右は1号線。旧東海道は左の道をまっすぐ進む。すると川の土手
に突き当たり、1号線の橋まで迂回して渡る事になる。
海蔵橋を渡る。相変らず冷たい強風が吹いている。遠くを見ると
四日市の石油コンビナートだろうか、煙突から出る煙が水平に
流れている。
橋を渡り終えると、左手にある先ほどの道の延長線上に旧東海道
は進む。ここから今日の終了地点までは1.5Km余りだ。
元祖「なが餅」の笹井屋。お土産用に購入
16:51
国道を横断すると諏訪神社と言う神社がある。そこの参道である商店街が
東海道である。
昔は賑やかな商店街だったと思われるが、今はシャッター通りに
なりつつある商店街だ。
16:53
商店街を抜けると近鉄四日市駅から来る大通りに出る。
ここで本日は終了とする。
イチゴなどを買ってホテルに17時16分にチェックイン。
15;02
JRの踏切を渡り、富田一里塚跡を通過(15:14)
13:50
直進していくと川に突き当たる。員弁川(いなべ川)と言って、
この先に町屋橋が架かっていたと思われる。
桑名には11時半頃に到着した。6時間余りの旅だった。
昼食を摂り出発準備をする。
12:16
準備をして歩き始める。
但し今日のスタート地点はここではない。
桑名宿は宮宿の次でこの間は船旅だった。渡し場まで行かなけ
ればならない。
「広重 桑名(七里渡口)」
|
すぐ傍に、伊勢両宮常夜燈が立って
いる。やはりこの道は東海道より
伊勢街道の趣が強い。
町並みからはずれ、明るい広々としたところへ出てのんびり
とした気分になる。
両側には桜の木があるがすでに散った後で、葉桜だ。
もう少し早ければきれいな桜を見ることが出来ただろう。
正面には手書きで
案内をしてある。
間違える人が多いのか?
14:44
しばらく行くと高速道路(伊勢湾岸自動車道)のガード下に出る。
その横に常夜燈があり、行く先には朝明川がある。そこに架かって
いる朝明橋を渡ると四日市市に入る。