交差点を渡るときに右手を見ると掛川城の天守閣が見える。



しばらく静かな町並みを歩き約45分ほどで大池一里塚を通過
本日はじめての松並木の道になる

掛川バイパス、東名高速道路のガード下を過ぎると、家は少な
くなり、田畑が多くなる。

13:55
葛川一里塚を通過しいよいよ掛川の旧市街地だ

掛川宿の入り口にある「新町の七曲り」と言う路地に入る
この秋葉常夜灯の近くに箱根峠を越えた時.,同行したメンバー
の生家がある。

敵の侵入を妨げるため、このような何回も直角の過度が連続
する、町並みになっている

先ほどの栗が岳が近くに見えてきた。あの「茶」の文字は
茶の木で作ってあるだろう?

11:00
島田市と掛川市の境を通過

坂を下り終えると、間の宿である菊川の通りに入る。

10:03
再び石畳の下り坂に入るところにログハウスの喫茶店があり
少し早いがコーヒータイムとする。

中で話を聞くと、ここから下ってその先にもう一つ坂があり
その坂は石畳ではないがもっと急な坂だという。約20分休憩し
石畳の下り坂を歩き出す。
この坂は「菊川坂」と言う。
 いずれも復元された石畳だが下り坂最後の部分に江戸時代
後期の石畳が残っている。

前回の最終地金谷駅に到着

9:33
身支度を整えて駅から100mぐらい戻り、一里塚跡からスタート


すぐ急な坂になりしばらく行き車道を横切った後は石畳の道
になる。

・気持ちの良い天気ではあったが、前半の二つの峠は予想以上に厳しいコースだった
・また道を間違えてしまった。注意が肝心
・袋井は街を上げての「東海道五十三次どまん中」
・今までかなり進んだと思っていたが、やっと半分終わったところだ。
・磐田駅といってもそれほどの店はなく、近くの焼き鳥屋で夕食。隣の陽気な若者、店のなじみの客、店の主人などと
 盛り上がって、楽しい夕食となった。
本日の感想その他

袋井駅へ向かう橋の上でちょうど日が沈んだ

袋井駅から電車で次の磐田駅まで行き駅前のホテルに
宿泊した。
磐田駅といってもそれほどの店はなく、近くの焼き鳥屋で
夕食。隣の陽気な若者、店のなじみの客、店の主人などと
盛り上がって、楽しい夕食となった。

「広重 袋井(出茶屋)」

泣石と言う石がここにあった。

有名な夜泣石物語にちなむ石(山賊に殺された妊婦の霊魂が
移り、泣いたと言う)がここにあったが、現在は国道1号線の近
くにある。また久延寺境内にも供養塔としての夜泣石があるら
しい。(先ほどいただいたパンフレットより)

しばらく行くと上ってきた坂よりさらに急な坂(二の曲がり)を下る。
坂を下ると国道1号線を横切り日坂(にっさか)宿に入る。

歩いていると向かいから70歳を越した男の人が歩いてきて
話しかけてきた。するとポケットから「小夜の中山峠周辺案内」
というパンフレットを出し、「使ってください、私はこのパンフレット
の制作に携わった者です」と言う。ありがたく頂戴し、他の事も
いろいろ教えてくれた。

総時間(休憩含む) 7時間24分
歩行時間 6時間19分
歩行距離(概算) 24.4Km
この区間の歩数 37,586歩
この日の総歩数 42,427歩

夕暮れも迫ってきたので早足で歩く。

16:33 東新屋というところを通過し袋井の市街地へ入る。

右手に小さな公園のようなところがあり、東海道どまん中茶屋
がある。
外で写真を撮っていると中からおじさんが出てきて、休んで行け
と言う。中に入ると、周りに5〜6人座れるような木の火鉢があり
もう一人おじさんがいる。ボランティアの人だろう。
お茶とみかんを頂いて最後の数百メートルを歩くため出発した。

「広重 掛川(秋葉山遠望)

日坂宿を出るとしばらく国道歩きになる。昔は国道1号線
だっただろうが、今はバイパスが出来ているので、大型トラック
などは通らない。

掛川の市街地まで約6km こんな道が続くようだ。

12:51
やっとコンビニがあり、
おにぎりを買い、簡単な昼食とした。

再び歩き出してカーブを曲がったら、トンカツ屋とうどん屋がある。
いまさら食べようもなく、前へ進む。
考え事をしながら歩いていたら、わき道へ曲がらなければならな
いところを直進してしまい、引き返す。(20分のロス)

日坂宿本陣跡
中は幼稚園?

ここの宿は品川宿から数えて25番目。本陣、脇本陣
旅籠33軒があった。

ちょうどお昼になったが食べるところは一軒もない

「広重 日坂(佐夜の中山)

このお地蔵様・六角堂・鞘堂は町民の手で据えられたものです。
すべらず地蔵のいわれは、ここの石畳は「すべらない」と言う
特徴から、受験や商売など、何事も願いが叶うと言う事から
きています (そばにあった案内板)

( 金谷〜袋井 )

小学校の前を通ると「東海道五十三次どまん中小学校」という
看板が掛けてある。  
正式な名前は袋井市立袋井東小学校

ここから先、各所に東海道五十三次どまん中という言葉が出て
くる。

旅籠「川坂屋」
 この宿は1700年代に開業した。1852年に火事にあい
その後再建された建物が残っている。
1993年まで子孫が住んでいた。2000年に修復工事がされた。
土日には開放されるらしいが、本日は平日のため中を見る
ことは出来なかった。 

新しい年が始まり、この旅も2年目に入ってしまった。いつになったら京都へたどり着くだろうか。新年から
寒い日が続いており中々足が進まないが、この冬にはもう一回行こうと2泊3日の予定で出発した。
乗りなれたいつもの電車に乗る。何とか座れたものの、藤沢では通路に立つ人が出てきた。
小田原かなりの人が下車。やっと余裕のある車内になり朝食を摂る。沼津を過ぎると右手に富士山が見えてきた。
静岡で乗り換えて、金谷に9時18分に到着。

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12日目 藤枝 ⇒ 金谷)
14日目 (袋井 ⇒ 高塚)

15:47
掛川市と袋井市の境である同心橋を通過

しばらく松並木が続く

14:18
何回かの角を曲がり直線の通りになり、掛川宿のあった
道になる。

上り坂もやっと終わったところに、久延寺(きゅうえんじ)という
寺がある。掛川城主だった山内一豊が境内に茶室をつくり、
関が原に向かう家康を接待したと言う。

11:16
すぐそばには54番目の一里塚や小夜の中山公園などがある。
展望がよいと言うのでちょっと寄り道。海なども見え、きれいだが
やや霞んだ景色だった

再び茶畑の中の道を進む。遠くには浜松駅前の高層ビルが
霞んで見える。浜松は明日になる。

再び上り坂になり茶畑の中の非常に急な坂を喘ぎながら上る。

冬の厚着をしてきたが額から汗が落ちてくる。このコースを真夏
に歩いたら大変な目にあいそうだ。
とはいえ道の傍らの小さな池は凍っていた。

この峠は小夜の中山峠と言われ、箱根、鈴鹿とともに、東海道の
三大難所と言われている。

景色もよく気分はいいが、景色を見ながら歩いたら躓いて
しまうので注意して下らねばならない。

遠くの山肌に「茶」の文字が見える。(栗が岳)

最初から急な坂道を喘ぎながら上ると、視界が開けて
一面の茶畑沿いの道に出た。
道も平坦になり、気持ちのよいウォーキングになった。

しばらく行くと諏訪原城跡の案内がある。
この地で「諏訪」というのは?と思い、調べてみると、武田信玄
の息子の武田勝頼が築いた城である。

後に、徳川軍勢に滅ぼされ、牧野城と改名されたとのこと

この石畳は平成三年に復元された。ここからの坂は「金谷坂」
と言う。
2010年1月18日(月)
東海道五十三次歩き旅(13日目)

袋井宿本陣跡




16:57
その先にある袋井宿場公園で本日終了とする。

石畳の途中に六角地蔵尊(別名すべらず地蔵尊)があり
時節柄合格祈願の絵馬が見られた。