大井川を渡り少し下流方向へ行くと左へ曲がる道がある。
ここが京都よりの渡し場だったところだ。
10:45
大井川川越遺跡到着
ここは大井川の渡しに関わる管理運営を行っていたところで
昭和45年に復元された。
川越人足の待機場である番屋、川札(川越の料金を払うための
お金の代わり)の販売所である川会所、両替する札場などがある。
7時ごろ朝食を済ませ、8時ごろホテルを出る。
昨日の終点である青木交差点へ向かう。
左奥の道が昨日歩いて来た道。
中央奥は国道1号線(東京方面)
8:09
本日の行程スタート
天気は良いが冷たい強風で顔が寒い
金谷宿のあったと思われるところは全く普通の通りで
ゆるい上り坂を進むとJR金谷駅が見えてきた。
12:28
駅の手前に一里塚跡の看板がある。ここで左折方向が
掛川方面への道だ。本日はここで終了。
この看板には江戸から五十三里、島田へは一里となっている。
したがって島田の一里塚は江戸から五十二里が正しい。
総時間(休憩含む) | 4時間19分 |
歩行時間 | 3時間13分 |
歩行距離(概算) | 13.6Km |
この区間の歩数 | 20,765歩 |
この日の総歩数 | 26,269歩 |
こちら側にも同じような場所があった。こちらはこの看板だけで
ほとんど面影は無い。
静かな道を続けて歩く。途中SLで有名な大井川鉄道の
踏み切りを渡る。
大井川橋
大正13年から昭和3年までかかって作られた。
土木学会選奨土木遺産と認定されている橋
全長 1,024m
11:44 大井川橋(東)
11:56 大井側橋(西) 12分かかって渡った
川を渡る値段
1.川札の単価 左の図のようにそのときの水位によって決まる
2.渡り方
肩車ならば川札一枚
平連台(はしごの様な物)で一人なら4人で担ぐ
川札4枚と連台2枚で合計6枚
3.1と2の掛け算で決まる。
平連台で腰の水位ならば6枚x68文=408文
(12,240円)
ここでは1文30円で換算してあった。
決して安いものではなかったと思われる。また天候が悪いと
渡れなくなるので、宿場での待機費用も結構かかったようだ。
しばらく行くと島田駅からの道と交差する。
傍らに「清水屋」というお菓子屋さんがある。
ここには我がふるさとのお殿様である松平不昧公が
アドバイスしたと言われるお菓子「小饅頭」がある。
「形を小さく一口で食べられるようにしたらよい」と言ったらしい。
今日のお土産として購入。
帰宅後食べてみたが、いわゆる酒饅頭の小さいものだった。
皮がもっちりしていて美味であった。
「広重 島田(大井川駿岸)」
島田宿跡は、現在は商店街となっている。
歩道の敷石にはこんな絵がある。
島田には帯まつりという大きな祭りがあるらしい
元禄年間に始まった、大井神社のお祭りで、3年に一度開催
される。島田に嫁いだ女性が氏子になった報告と安産祈願をし
詣でた後、晴れ着で街中を披露したのが、やがて持参の帯を
大奴に託し披露するようになった。
(東海道さんさくマップより)
江戸時代中期に創業の酒屋 「喜久酔」(きくよい)
地酒通には有名な酒らしいが、開店前なので購入できなかった
この先に江戸から51里に当たる一里塚の跡道標があり、しばらく進むと1号線に合流しJR六合駅前に着く。
9:25
12:30の電車に乗り静岡、三島、熱海で乗り継ぎ大船に
16時ごろ到着
「広重 金谷(大井川遠岸)」
国道1号線と離れた裏道のような道を進むが通勤時間帯
なので結構車が多い。
そのうちに松並木が出てきたりしてそれらしい風情になってくる。
8:34
東海道追分と言う道標が立っている。
昔このあたりは湿地帯で、最初の東海道はここから南に迂回していたとのことらしい。旧東海道の中でも新旧あるということだ。
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11:34
博物館などを見学し再びスタート
昔はこのあたりを渡ったと言うが現在は、少し上流の橋を渡らねばならない。
天気は快晴。気持ちも足も軽くなる