〜中日ドラゴンズ編〜


 1970年代   〜悲願の優勝、黄金時代へ〜

   1974年、実に20年ぶりの優勝を成し遂げました。それも、常勝ジャイアンツのV9を阻止しての優勝はとて
  も価値のあるものでした。残念ながら日本シリーズではロッテに敗れましたが、ファンのほとんど(そしてナイン
  もだろう)は十分に満足していたのです。
   その優勝の大きな力となったのは、ファンにも深く愛された外国人選手でした。彼のホームランで胸のすく思い
  を味わった人も多かったのです。

   その後、優勝するには長い期間を必要としましたが、70年代中期はドラゴンズの黄金期と言ってもよかった
  でしょう。しかし、その直後には思いも寄らない低迷時代に入ります。その時代を支えた外国人選手たちはどんな
  顔ぶれだったのでしょうか?


   ジェームズ・バビー(James Barbieri

    66年にドジャースに昇格、ワールドシリーズにも出場した実力者。来日当時もまだ29歳。バリバリのメジャー
   リーガーだった。もちろん期待は絶大、そしてバビーもそれに応えるべく張り切っていた。そして迎えた宿敵・巨人
   との開幕戦。この試合の初打席で、バビーは見事にホームランしてのけたのである。ベンチもファンも、そして本人
   も大喜びだったが、実は華々しい活躍はこれだけ。
    元来、コンパクトなスイングでシュアな打撃が売り物だったのに、このホームランですっかり気を良くしてしまい、
   大振りが目立つようになる。あるいは、日本でならホームラン打者になれるとでも思ってしまったのか。
   そこを日本投手につけこまれ、本来のバッティングにはほど遠い結果しか残せなかった。
    登録名はバビーだが、本名はバビエリと発音する。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
バビー 右左  外 70 中日  93 277  34  52  31    9   42  57   6 .188

   ジョン・ミラー(John Miller

    62年にプロ入り、66年にはヤンキースでメジャー昇格する。そしてその時、メジャー初打席でホームランする
   という離れ業を見せた。ドラゴンズ入りしたのは26歳の時。打力は3Aでも評判で、なぜ有望株のミラーが来日
   したのか不審がられたことも。しかし、理由があったのですね。

    つまり人格的に問題があったのだ。アメリカでも、乱闘やアンパイアへの抗議の激しさは有名で、「ならず者」
   の異名をとっていた。日本へ来てからも、優等生を演じることなどまるで興味がなかったようで、審判の判定に
   不満があれば、ものすごい勢いで猛烈な抗議を繰り返した(さすがに手は出さなかったようだ。その辺はアメリカ
   流か)。そのせいで、審判団にも要注意選手として恐れられたそうな。
    ナインとも打ち解けることはなく、とっつきにくい選手だったらしい。

    しかし、ことバッティングに関しては噂通りの実力者で、打球の速さは群を抜いていたという。その割には打率が
   低いが、これはミラーが勝手気ままにプレーし、気の乗らない時には無気力プレーだったことが大きく影響して
   いる。真面目にプレーしていたら、どこまで成績が伸びたことか、と惜しむ声は今でもある。この成績でも、在籍
   した3年間はすべてチームのホームラン王だったし、一塁の守備も無難にこなしていた。わずか3年で解雇された
   のも、その扱いにくさによるものだろう。当時、監督をしていた水原茂もミラーにはほとほと手を焼いていたようだ。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ミラー 右右  一 70 中日 130  490  50 126  70   24   35  80   3 .257
      71  〃 125  447  63 108  71   28   57  89   9 .242
      72  〃 127  468  63 110  81   27   45  80   1 .235
 計         382 1405 176 344 222   79  137 249  13 .245

   バートン・シャーリー(Barton Shirley

    64年にドジャース入り。その後、メッツへ移り、再びドジャースへ戻る。中日入団は71年、31歳の年だ。
   アメリカ時代も、打撃の非力さを指摘されていたが、それはドラゴンズ入りしても同じだった。在籍2年間、
   いずれも打率は2割に満たない。そんな選手をなぜ雇っていたのかというと、ズバリ守備だ。

    ショートを守られたら名人芸で、その好守ぶりはメジャーでも知れ渡っていただけに、日本でも素晴らしい
   プレーを連発した。グラブさばきも鮮やかでスローイングもまた正確。ドラゴンズ投手陣としては、とにかく
   ショートに打たせていれば何の心配もなかった。派手なファインプレーもあったが、それよりも平凡な打球を
   エラーしない確実性、難しい打球をあっさり捕球する技能性を併せ持っており、72年に制定されたダイヤ
   モンドグラブ賞でショート部門に選出されたのも当然だったろう。

    ただ、バッティングはまったくのスカで8番が定位置。脚も大して速くはない。
   ただ一度だけ、2年目の開幕直後、ウソのように打ちまくったことがある。開幕戦で、阪神・江夏から逆転
   満塁ホームランして周囲の度肝を抜くと、その後1週間で17打点を稼ぐという、信じられない活躍をする。
   すわ、打撃開眼かと首脳陣も喜んだが、どうにか打っていたのはオールスター前まで。あとはまた打てない
   選手に戻っていた。

    ただ、ミラーと違って人間的にも好人物で、引退後も守備コーチで呼ばれたり、技術顧問を勤めたりして
   いる。打撃一辺倒の外国人選手が多い中、異色の存在として記憶に残る選手である。
    なお、バートは登録名で、本名はバートン・シャーリー。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
バート 右右  遊 71 中日 122 344  16  60  28    3   20  36   3 .174
      72  〃 124 403  32  77  51   12   20  80   1 .191
 計         246 747  48 137  79   15   40 116   4 .183

   ジミー・ウィリアムス(Jimmy Williams

    この当時の監督は、ウォーリーこと与那嶺要。ハワイ出の日系二世である。彼は巨人創生期に活躍した
   選手で、引退前の1年だけドラゴンズで過ごしている。その後、監督として迎えられ、74年には優勝に導く
   のだが、外国人選手に甘いということがあった。このウィリアムもそうだ。

    黒人のスィッチヒッターで、俊敏な外野手として期待されていたが、どうにも力不足の面があった。
   にも関わらず、初年度はレギュラーとして扱われたが、成績的には大したことはない。三振95はリーグの
   トップである。ハッキリ言って期待はずれであろう。好不調の波が激しく、不調の時の方が長いので、どう
   にも使いようがなかった。ただ、それなりの勝負強さはあったようで、代打成績は3割を超えている。
    しかし、監督が与那嶺でなければ1年で切られていただろう。

    2年目、試合中に転倒、右肩を脱臼してしまい、そのまま退団した。なお、登録名はウィリアム。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ウィリアム 右両  外 73 中日 118 413  41 109  38   10   35  95  14 .264
      74  〃  95 241  23  54  29    4   25  52   3 .224
 計         213 654  64 163  67   14   60 147  17 .249

   ボビー・テーラー(Bobby Taylor)

     阪神編〜1970年代〜を見よ。


   トーマス・マーチン(Thomas Martin

    いきなり余談になるが、以前、私が抱いていた外国人選手のステレオタイプを書く。
   1.白人である。
   2.外野手である。
   3.左打ちである。
   4.守備はまずい。
   5.脚はない。
   6.肩も弱い。
   7.バッティングも粗い。
   8.ただし長打力はある。
    こんな感じである。本題に戻ると、つまりマーチンというのは、そういう選手だったということなのだ。

    メジャー経験は乏しい。68年にセネタースで9試合を経験しているのみだ。3Aでくすぶっていたところ
   を中日に拾われた。189センチ91キロと大柄ではあったが、おとなしい性格のためか迫力に欠けると
   評価された。しかし、根が真面目で、日本でダメなら後がないと思ってたらしく、日本流の猛練習や特訓
   をキャンプから受け入れ、徐々に評判は上がった。
    しかしオープン戦、開幕と、粗っぽい打撃ばかりが目立ち、これは外れたかと思いきや、6試合目の
   ヤクルト戦で3打席連続2ランをかっ飛ばし、ベンチやファンの度肝を抜いた。以降、主力打者として打線
   の中核を勤め、結局35ホーマーを放ってドラゴンズの優勝に大きく貢献した。

    当時の与那嶺監督が外国人選手に甘いと書いたが、このマーチンだけはそれが実った。打たなくて、
   どれだけ批判を浴びようともマーチンをクリーンアップから外さなかった。与那嶺も頑固だが、逆に言えば
   マーチン以外に30発以上を望める打者が中日にはいなかった、ということもあるだろう。

    1年目は合格点を与えられるが、日本に慣れたはずの2年目に成績がガクンと落ちた。通常なら、この
   年で切られても不思議はなかったろう。しかし与那嶺が熱心にマーチンを支持したこともあり、契約を
   続行する。これが当たった。
    3年目、マーチンは影が薄かった。それも当然で、メジャーでも神様クラスのデービスが加わったから
   だ。メジャー9試合しか経験のないマーチンにとってデービスはまさに雲の上の存在。また。デービスも
   マーチンを軽く扱ったこともあり、当初は傍目にも気の毒なほどだった。ところが、そのデービスが負傷で
   長期欠場、帰国。途端にマーチンが蘇った。
    以後、バリバリと打ち始め、.281、40ホーマー、104打点という素晴らしい成績を残した。皮肉な
   もので、マーチンがこれだけやるなら扱いにくいデービスはいらんとばかりに放出されることになる。

    ドラゴンズでは長期の5年を過ごし、最後の1年は大洋に在籍、都合6年間日本でプレーした。
   「4番、マーチン、ホームラン♪」というフレーズ(初代「燃えよ!ドラゴンズ」)は、ドラゴンズファンの耳に
   永久に残るであろう。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
マーチン 右左  外 74 中日 128  464  67 125  87   35   49  69   0 .269
      75  〃 119  376  52  97  62   22   37  60   3 .258
      76  〃 125  449  71 126 104   40   50  88   2 .281
    外、一 77  〃 119  408  53 115  78   31   57  66   0 .282
      78  〃 130  448  56 129  84   33   51  72   1 .288
      79 大洋 125  417  47 106  83   28   37  86   0 .254
  計          746 2562 346 698 498  189  281 441   6 .272

   ロナルド・ウッズ(Ronald Woods

    69年にタイガース、ヤンキース、71年にエクスポスを経て75年に中日入り。使えなかったウィリアム
   を切っての獲得だったが、メジャーでそれなりの実績のあったウィリアムと比較され、気の毒な面もあった。
   しかし日本ではローンの方が上だった。
    ローンにとって不運だったのは、この年、ドラゴンズが優勝のご褒美としてフロリダでキャンプを張った
   ことだった。お陰でローンが来日したのは3月で、オープン戦を数試合経験したのみでいきなり本番と
   いうことになってしまった。

    左脚を極端にホームベース方向に置くクローズドスタンスで、日本投手にしてみれば良いカモだった。
   インサイドの速球で身体を起こされ、外角に逃げるカーブ、スライダーで面白いように打ち取れた。
   おかげで、デビュー12打席連続無安打という情けない記録まで作った。
    それでも1ヶ月もしないうちに慣れ始め、持ち前の俊足を活かして、高木守道との1,2番は他球団に
   とって驚異だった。その活躍が認められ、オールスターにも出場している。

    打撃では、今ひとつ力強さがなかったローンだが、守備は一級品だった。守備範囲がとにかく広く、
   右中間、左中間を完全に抜かれたと思った次の瞬間、ローンがグラブを構えているということがしばしば
   あった。おまけにその強肩ぶりも知れ渡り、センター前にヒットが出ても2塁走者はホームへ還るなと
   言われたほど。この年のダイヤモンドグラブを受賞したのもうなずけるところ。

    2年目はさらなる成長が見込まれたが、不運なことに右手腱鞘炎に冒される。また、谷木恭平の成長
   もあり、ベンチを温めることが増えた。結局、この年、シーズン終了前に退団帰国することになったが、
   惜しい選手だったという印象は拭えない。
    登録名はローン。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ローン 右右  外 75 中日 119  434  69 114  45   16   48  78  20 .263
      76  〃  73  174  22  46  23    3   25  32   3 .264
  計         192  608  91 160  68   29   73 110  23 .263

   ウィリアム・デービス(Willam Davis

    プロ野球考古学〜ウィリー・デービス〜を見よ。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
デービス 左左  外 77 中 日  72 288  47  88  63   25   12  18  10 .306
      78 太平洋 127 509  67 149  69   18   17  24  12 .293
 計         199 797 114 237 132   43   29  42  22 .297

   フレッド・クハウルア(Fred kuhaulua

    もはやほとんど記憶している方は少ないと思われる。77年にエンゼルスに昇格したものの、わずか3試合
   6イニング投げたのみ。それ以外は3Aで9勝5敗の成績を上げていた。翌年にドラゴンズ入りする。
    大した実績は皆無だったが、日本では大きな話題になった投手なのだ。なぜか?
   当時、人気のあった大相撲・元大関の高見山関(東関親方)の従兄弟にあたるからだ。

    来日したのは開幕直後で、4月12日にファームで初登板したものの、この球威と変化球ではとても
   使えないと失望されてしまう。それでも、当時のピッチングコーチだった稲尾和久氏に弟子入りし、
   その丁寧かつ熱心な指導を受けてフォーム改造、これが実って一軍登板のチャンスを得た。
   「せいぜい敗戦処理」と酷評されていたが、後半は先発ローテーションに入り完投勝ちしたこともあった。
    しかし、実力的にはやはり不足気味で、この年限りで解雇された。性格的には温厚篤実、真面目で
   練習熱心であり、ナインや首脳陣の受けは良かった。

選手名 投打 所属 試合 回 数 完投 完封 四死球 三振 失点 自責点 防御率
フレッド 左左 78 中日  25  3  4  0  72.6   1   0   46  52  43   35 4.32

   ロナルド・ギャレット(Ronald Garret

    広島で大活躍したヘンリー・ギャレットの実弟。69年にメッツ昇格、レギュラー三塁手になると
   Wシリーズにも2度出場するなど、メジャーでの実績は兄貴を上回る。それだけに、2年前から日本で
   活躍している兄以上の結果を求められた。

    どちらかというと身体が硬く、サードの守備も危なかったしいことが多かった。打撃も、変則的な一本
   足打法で、日本投手にうまくタイミングを外されることがあった。長打力を期待されたものの、初年度は
   20ホーマーに終わる。慣れた2年目に期待する向きも多かったが、一向に調子は上がらずスタメンから
   外されることもしばしば。結局、閉幕を待たずして9月で退団、帰国。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ギャレット 右左  三 79 中日 115 417  64 105  71   20   57  70   3 .252
      80  〃  77 189  21  41  22    8   22  32   0 .217
 計         192 606  85 146  93   28   79 102   3 .241

   ロバート・ジョーンズ(Robort Jones

    67年にプロ入りすると、レンジャース、エンゼルスと渡って79年に来日する。大洋に移ったマーチン
   外野手の後釜を期待されたが、とてもそこまで行かなかった。一発を望まれたわけだが、シーズン16
   ホーマーでは期待外れも甚だしい。皮肉なことに打率は.286をマークしたが、どうにも迫力に欠けた。

    頑としてフォーム改造を受け入れなかったギャレットと違い、コーチに言われるまま素直に打撃改造
   に取り組んだが、結果的にはこれがまずかったのか、2年目はさらに長打力が落ちた。率は悪くなかった
   が、この程度なら日本人選手でも十分ということで、同僚のギャレットとともに9月で退団。
    帰国後は86年までメジャーに在籍した。

選手名 投打 守備 所属 試合 打数 得点 安打 打点 本塁打 四死球 三振 盗塁  打率
ジョーンズ 左左  外 79 中日 110 367  48 105  56   16   33  83   3 .286
      80  〃  64 178  18  50  19    4   13  39   2 .281
 計         174 545  66 155  75   20   46 122   5 .284