住職のひとりごと

お釈迦様の柔軟性
 ダイバダッタというお釈迦様のお弟子が、お釈迦様にお願いしたのだそうです。教団にはせっかく戒律があるんだから、もう少しきちんと守らせてくださいと。戒律の守り方が今の教団は不十分です。このままいけば、仏教のサンガは戒律が崩壊してしまって、一つの組織として力を失ってしまうから、戒律をきちっと守るようにもっと厳しく指導してくださいと、何遍も進言したそうです。それをお釈迦様に拒否されるというか、無視されのだそうです。そういうことが、原始教典である、『阿含経』に書かれてあるそうです。
 お正月の新聞にでしたか、「昨年の裁判で死刑判決が出された数が、今までで最も多かった」というのを見ました。昨年が特に凶悪な犯罪が今までで多かったのでしょうか?私には、世論が裁判官の方々の判断を後押ししたように感じられます。世論は、誰が作るのかというと、マスコミなんでしょうが、マスコミの報道姿勢というのは、読者であり視聴者である私たち一人一人の考えを反映したものであることは間違えないと思います。
 今、私たちのまわりには『阿含経』の中のダイバダッタのような考えをする方の声が大きいように思います。というか、「許さない。許してはいけない。」という意見に対して、「ちょっと待ってよ。」ということをためらうというか、むしろ「そうだよね。あんなひどいことをするのは許せないね。」と相づちを打ってしまう自分がいますね。二三回相づちを打っていると、あたかもそれが自分本来の考えのように思ってしまうんですね。
 私は、かつて中学校の教員をしていましたが、生徒指導という係を二度しました。一度目は、子供が悪いことをすると厳罰主義というか、力で押さえ込まなければいけない、子供にも保護者の方にも「こうしろ、ああしろ」という注文ばかりつけていました。それで結果が良い方にいったかというと、最後は子供たちのエネルギーに押されてしまって、どうにもならなくなったように思います。反抗的な子供たちをなんとか排除したいと思うようになっていました。今、考えると本当に申し訳ないことをしたと思います。
 数年たって、校長先生が変わり、もう一度同じ係をしなさいといわれました。その校長先生は、小学校の教員を長らくされて、地元の中学校の校長になられました。小学校は、一年生というと6歳ですから、その子供がどんなことをしようが、その子供の責任じゃないですね。考えてみると中学生といっても同じですね。実は大人でも同じことが言えるかもしれません。自分の考えで動いているように思ってはいるけど、その時その時の条件で何をしでかすかわからないですね。二度目に係になったときの私のモットーは「ゆるぎたるぎ」でいこうでした。校長先生にそれを言うと「バカッ」と言われましたが、目が笑っているように思いました。なんとなく子供たちと心のつながりが少しずつできてきたと感じました。
 今、もう学校やめて坊さんしてますが、最近みんな私の一回目の生徒指導的(ダイバ的)になっているんじゃない?って気になっています。もうすぐ裁判員制度とかいうのができて、私が裁判に参加することがあったら(坊さんは免除されるかも?)ダイバさんの気持ちもわかるけど、私はやっぱりお釈迦さまのようにありたいなあと言いたい。
 
「涅槃経に学ぶ」古田和弘講述(四国教化委員会編集発行)
 問い合わせ:真宗大谷派四国教務所 рO87−821−3269
更新日時:
2007/01/31

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Last updated: 2007/8/17

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