『リング0 〜バースデイ〜』


16th December 2002


ネタバレしていますので、ご注意!



12月14日でしたか、テレビで映画「リング0 〜バースデイ〜」を見ました。
この映画は「リング」「らせん」の過去の話を描いている映画です。
「リング」「らせん」とは、鈴木光司氏のホラー小説で、現在はハリウッド版として「The Ring」も作られているほどの大作です。(受け売り)
しかし!
僕は無教養なもので、「リング」も「らせん」も、小説を読んだこともなければ映画を見たこともありません。
なんで見たのかというと、ただ単に、主題歌がL'Arc〜en〜Ciel「finale」だったからで、
そして「finale」の詩の意味を考えるのにはこれを見ないとなぁと思ったからです。


「リング」「らせん」のキーとなる人物といえば、もちろん「山村貞子」です。
貞子は「リング」「らせん」においては「貞子が井戸から這い出てくる『呪いのビデオ』を見た人間は7日後に死ぬ」という、恐怖の存在として描かれています。
この「リング0」は「リング」「らせん」のプレストーリーという形になっていて、貞子がなぜ呪いのビデオを残すに至ったか・・・という過程を描いています。


さて、ネタバレいたします(笑)。
『リング0 〜バースデイ〜』の物語です。
リンク先ですので、ネタバレが嫌な人はクリックしないようご注意ください。


こちら


こういう過程を経て、貞子は『呪いのビデオ』を残すことになったようです。
絶望から、30年後には自分をこのように追い込んだ人間たちへの怨念へと変わっていく様を見ると、劇団員の貞子に対する態度に見られる集団心理など、人間の恐ろしさを改めて感じます。
はっきり言って「ホラー」というよりは『貞子という人物像を掘り下げ』『貞子をあのような恐怖の存在に追い込んだ人間たちの』「人間ドラマ」と言ったほうが正しいように思います。
実際、ものすごく怖いと思ったところはなかったですし。


ただ、部分的に気になるところがちらほらと。


『彰子(田中好子)と悦子(麻生久美子)は恐怖のあまり自殺したのか、貞子が超能力で銃を撃たせて殺したのか』
『貞子の本当の父親ってどんなんよ』


前者はともかく、後者はものすごく気になります。
人間じゃないって言われても・・・(^^ゞ



さて、蛇足ですがL'Arc〜en〜Ciel「finale」です。
hydeはこの「リング0」の台本を読み、『自分の愛した人が貞子だったら・・・』というイメージを持って「finale」の詩を書いたそうです。
以下は、「finale」の詩全文です。



淡く儚げな美しさ
壊されぬよう静かに抱き寄せた

月の隠れ家で求めあう
感じ取るのは運命の切なさよ

忍び寄る気配塞いでて
追いつめられた憂いの口元に触れた

終幕へ向かう日差しの中
眩し過ぎて明日が見えない
振り向いた君は時を越えて見つめている
あどけない少女のまま

この腕の中で目覚めゆく
君の悲しみがただ悲しくて

狂おしいまでに恋慕う
いつまでもそばにいて離れられぬように

降りそそぐ罪に彩られた
枯れた道を彷徨い続ける
この愛は誰も触れさせない
それが神に背く事であろうと

鏡の君は逆さまの微笑みで
途切れそうな夢紡ぎの糸を切った

永遠に沈むその祈りに
答えもなく水面が揺れてる
崩れゆく君を救えなくて
あやすように眠らせたあの時

終幕へ向かう日差しの中
眩し過ぎて明日が見えない
振り向いた君は時を越えて見つめている
あどけない少女のまま


映画を見ていると、この詩と重なる場面が何度も現れます。
『たとえ神に背くことであろうと』という台詞は劇の練習中にも聞かれますし、
『降りそそぐ〜』以降は、貞子と遠山が逃げる場面に重なります。
『振り向いた君は〜』に至っては貞子(妹のほう)そのまんまです。
『鏡の君は〜』もそう解釈できる画面がありましたし。
完全に「あ、映画(台本)見てから書いたな」ってわかるんですが、これだけで終わっていないと思われるのがhydeの(あまり認知されていない)凄さなわけです。
(この詩のもうひとつの見方については浸食の館さんでどうぞ。)
※ 今見返して気づきましたが、よく考えたらこの詩、全部日本語ですねぇ。


僕はL'Arc〜en〜Ciel→リングの入り方でしたけど、
リング→L'Arc〜en〜Cielの入り方はどうでしょうか。



今回テレビ(フジテレビ)で『リング0 〜バースデイ〜』を見た理由に、
「見終わってからスタッフロールで「finale」が流れるのを聞くとどんな印象を受けるんだろう」
という好奇心もあったんですが、ここで落とし穴がありました。


テレビでは、スタッフロールは流れないんです!


ぐはっ・・・



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