頤 和 園 (Summer Palace)
軍費を流用して整備再建!西太后の愛した離宮!
12世紀の中ごろ金の時代に皇帝の離宮として造られたのが始まり。1750年、乾隆帝が大改修工事をしたが、1860年のアヘン戦争の時に英仏連合軍により破壊された。しかし、1888年に西太后が大金を投入して再建。この時投入された800万両は海軍増強のために計上されていたのだが、西太后の命により流用。後に日清戦争で日本海軍に敗れたのはこのためとされる。山や池、多くの建物を持つ贅を尽くした離宮である。
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西 太 后 (1835~1908年)
清代末期の同治、光諸帝の治世の実権を掌握していた人物。実子の同治帝が即位すると先帝の皇后の東太后とともに、西太后として背後で政治を司る垂廉政治を始めた。同治帝に死後、甥の光諸帝を擁立し、引き続き垂廉政治を行うが、東太后が死去すると、権力を独り占めするようになる。海軍の軍費を流用して頣和園を造営するなど我が世の春を謳歌するが、中国に侵出してきた列強に対してはほとんど無策だった。
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12月10日(水) 雪 北京3日目
今日は北京市内観光の予定だが、何と北京で初雪を迎えてしまった。氷点下の寒いなかバスに乗り込む。ツアーメンバーの中にはこの雪を歓迎してはしゃいでいる者もいた。北京市内もこの雪でいつも以上の渋滞みたいだ。最初の予定は、女帝、西太后の愛した離宮、頣和園だ。西太后は毎年夏に訪れたらしく、別名、サマーパレスとも呼ばれている。夏に来ればまた、趣も違うのだろうが、今日は一面雪景色だ。予定より少し遅れて頣和園に到着した。2、3cmの積雪だったが、雪の上を歩くのは久しぶりなので足を捕られそうになった。ビックリしたのはこの雪の中でも物売りがいたことだ。彼らも生活が懸かっているのだろうが、こちらもいちいち買ってはいられない。無視して中に入って行く。境内を通り過ぎ裏側の湖のところに出た。しかし今日はこの雪で湖一面が凍っていて、はるか遠く、湖上を人が歩いているのが見える。途中地元の人なのだろうか、木に背中を擦りつけてマッサージをしている中国人のオジサンがいた。そのオジサンに、「ニーハオ!」 と挨拶しながら奥へと進んだ。
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西太后が女帝であったため、女性を表す鶴が中央、男性を表す鹿は脇に!
湖は一面銀世界だった!背中を木に擦りつけてマッサージをしていたオジサン!
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ワンポイントレッスン
清多保重(チンドゥオバオヂョン) お気をつけて
清原涼(チンユエンリアン) お許しください
一路平安(イールーピンアン) 道中ご無事で
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