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                       明の十三陵

  明の第三代皇帝永楽帝は、15世紀初期に南京から北京に首都を移した。故宮建造を始めるなど首都構築に精を出したが、そのころ三方を山で囲まれ南側だけが北京に向けて開けている、この谷周辺を自らの墓地に定めた。以降の歴代皇帝たちもそれに習い次々に墓を造っていった。やがて明代16人の皇帝のうち、13人の皇帝、皇后、第2夫人などの墓が集まることとなった。現在は長陵、定陵、昭陵の3ヶ所が一般に公開されていて、世界遺産に登録されている。

 飲茶で腹ごしらえしたあと明の十三陵に向かった。ここは昔の皇帝たちの墓の集まりで広大な敷地である。ようするにエジプトのスフィンクスの中国版と思ってもらえればいいかと思う。約500年ほど前の明の時代、何代目かの皇帝が存命中に自分の墓を造らせた。そして完成したお祝いに何百人もの家来を城に招き、「ご苦労だった!今日は無礼講で一杯飲ってくれ!」 と。何百人もの家来たちが、お酒を口に運んでしばらくすると・・・全員、床に倒れて息途絶えた。そのお酒には毒が盛られていたとか。そういうことがあったらしいとガイドの曲さんが話してくれた。

   

      定陵博物館入り口!           ここから入って十三定陵へ!

   

  境内にあったポスト!            境内の木々!

  境内を通り十三陵に入場する前に、十三陵出土館に入った。文字通り十三陵から出土したものを展示してあるのだが、当時の棺の中に、ミイラになった皇帝と一緒に、たくさんの宝飾品が入っている写真なども展示してあった。残念ながら警備が厳しく写真は撮れなかった。このあと肝心の十三陵の中も当然写真撮影は禁止で、警備員があちらこちらに。十三陵の入り口はチェックが厳しく、手荷物を空港のチェックのときのようにX線に通さなければならなかった。そして何故か、“お酒持込み禁止!” の看板が。この墓は地下深くにあり、おおよそ地下8階の深さにあるらしい。そこまで行くにはひたすら階段を、下りて、下りて、下りて。やっとたどり着き、大きな地下室を順路に沿って歩いて行く。そしてそのほとんどの部屋に、2人づつ警備員が目を光らせている。中国の風習なのだろうか、墓のまわりはたくさんの中国紙幣で埋まっている。まるで日本人が、初詣でお賽銭を投げるように。当時これだけ深いところに、これだけ広くてりっぱな墓を造るのは本当に大変だったと思う。順路を進むうちに少しづつ上に上がって行き、やがて出口へ。やはり12月の北京の寒さは厳しく、身が引き締まる思いだ。バスに乗るため駐車場に戻るとここにも物売りがたくさんいる。バスに乗る前に5、6人の物売りに取り囲まれてしまい、みかん1袋を5元で買わされてしまった。何で何処へ行ってもオレだけ取り囲まれるの?

   

      十三定陵の分布図!             十三陵出土館!

   

いざ、十三陵の中へ!右は十三陵入り口!“お酒持ち込み禁止!” と書いてある!

   

十三陵出口、地下から上がってきたところ!    十三陵を下から臨む!

 ワンポイントレッスン

 我用現金付(ウォーヨンシエンジンフー)

 現金で払います

 我叫〜(ウォージアオ〜 )

 〜と申します

 好(ハオ) わかりました





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