セントラルパークより上、マンハッタン110丁目より北側を通称、“ハーレム” と呼ぶ。1910年〜1940年代、ニューオリンズで生まれたディキシーランドジャズはミシシッピー河をさかのぼり、ハーレムにたどり着いた。奴隷解放後、南部より移住してきた6万人の黒人によって、世界最大の歓楽街ハーレムが誕生する。アポロシアター、コットンクラブ、サボイボールルーム、コニーズイン等のジャズクラブにはルイアームストロング、デュークエリントン、ビリーホリディ、ダイナワシントンらが活躍。当時パリと並ぶ美しく優雅な文化が花開いた。しかしハーレムにありながらこれらのクラブは白人世界の社交場であり、黒人は一切入ることは許されなかった。1941年5月、ミントンズプレイハウスでレコーディングされたジャズの名盤 「チャーリークリスチャンのミントンズハウス」 でビバップが誕生。やがてミッドタウン52丁目のスウィングジャズ、50年〜60年代のヴィレッジのモダンジャズへと、ジャズの歴史は流れる。1943年、ハーレムでは増え続ける黒人人口と不満が爆発、暴動が各所で起きる。この年多数の死者を出した暴動によって、白人はハーレムに足を踏み入れなくなる。1947年、レントコントロールという法律により家賃を上げられなくなった家主は、自ら火を放ち住民を追い出すという事件が多発。ハーレムは焼け跡が目立つすさんだ街へと変貌していく。ジュリアーニ元ニューヨーク市長が警官を4万人に増やし、銃規制を厳しくしたことにより治安はだいぶ良くなったが、麻薬犯罪は減少していない。2000年にはクリントン元米大統領がオフィスを、元NBA選手マジックジョンソンがショッピングモールを同じ125丁目に開き、ハーレムは明るくなった。以上が簡単なハーレムの歴史である。(トミー富田氏のHPより抜粋) |
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ハーレムの交差点 1 ハーレムの交差点 2 |
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我々を乗せた車はハーレム地区に入って行った。昼間だというのに開いてる店が少ない。歩いてる人もまばらで本当、ゴーストタウンのようにも感じる。ここハーレムにタクシーは来たがらないらしい。言われてみると、あれだけ街中を走っていたイエローキャブが1台も見あたらない。街にタクシーが入ってくると、地区にもよるが石を投げつけられるのだ。「よそ者がオレたちの街に入って来るな!」 と。少し前だったら考えられなかっただろうが、最近ではこうしてオレたち観光客も受け入れてくれる風潮になってきたようだ。それでも昼間からクスリをやってウロウロしている危険な場所もあるとか。クリントン元米大統領がオフィスを構えているビルを通り過ぎる。奥さんのヒラリー夫人が次期選挙で黒人票が欲しいため、クリントンがここハーレムに事務所を開いた!ともっぱらの噂だ。そして前方にはあのアポロシアターが見えてきた。水曜夜のアマチュアナイトが有名で、観客の拍手で合否が決まるのは日本でもお馴染み。ジェームス・ブラウン、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ローリン・ヒルなどもこのアマチュアナイトから世界へ旅立って行った。日本人では平井堅、小林幸恵が過去にゲスト出演、去年11月にはトータス松本(ウルフルズ)もステージで歌ったらしい。車はハーレムの交差点で止まった。「ここはハーレムで有名な交差点ですから、降りて写真を撮りましょう!」 とガイドが言う。「車から降りて大丈夫?ヤバイんじゃないの?」 とオレ。するとガイドは、「ヤバクなったら、逃げましょう!」 と。オレはいっぺんでこのガイドが好きになってしまった。オレ、そういうのダ〜イスキ。 |
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このビルにクリントンの事務所が!ハーレムで見かけたポスター風の看板! ここがアポロシアター!もし今度ニューヨークに行くチャンスがあったら、是非、 水曜夜のアマチュアナイトツアーに参加したい! ハーレムのバス停でバス待ちのファミリー! ハーレムの有名な壁画前で! |