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ベーカー・ストリート駅近くのビートルズ・ストアーに立ち寄ったあとメリルボーン駅に向かった。ここはビートルズの最初の映画、「ビートルズがやって来る、ヤァ、ヤァ、ヤァ!」 のオープニングシーンの撮影場所として有名だ。この映画は、映画館で見たのとビデオで見たのを合わせれば軽く20回以上見ているので、メリルボーン駅の隣にあるボストン・プレイスを目にしたときは、映画のオープニングでビートルズの4人がファンに追っかけられて走ってくるシーンがそのまま甦った。40年前の撮影なので、駅構内など当時とはだいぶ変わっていたが、面影は建物とともに残っていたので嬉しかった。

   

 2004年のボストンプレイス!右は1964年公開の映画、「ヤァ、ヤァ、ヤァ!」 
 のオープニングで、ビートルズがこのボストンプレイスを駆けてくるシーン!

   

   

 映画、「ヤァ、ヤァ、ヤァ!」 の撮影舞台となったメリルボーン駅!右上の写真、
 映画の中でビートルズはこの1番線から列車に飛び乗った!

 次はポールとリンダが結婚したとき届け出たメリルボーン登記所へ寄ってから、マンチェスター・スクエア20番地にあるEMI本社 EMIハウスの跡地に行った。ビートルズのデビューアルバム 「プリーズ、プリーズ、ミー」 のジャケット写真は、このビルの2階の手すりで撮影されている。カメラマンが、床に仰向けに寝そべって撮った傑作だ。そのあとはモンタギュー・スクエア34番地にある、ジョンとヨーコが知り合った頃に住んでいたアパートへ。実は当時、このアパートの所有者はリンゴだった。お人好しのリンゴらしく、不倫同士のジョンとヨーコに貸していたというのが真相で、1968年10月にジョンとヨーコが大麻不法所持で捕まったのも、このアパートだ。この部屋は昔から有名人が住んでいて、ジョンは逮捕されたときに、「その大麻は前に住んでいたジミ・ヘンドリックスかウィリアム・バロウズのものだ!」 と言い張ったが、結局受け入れられなかった。次はソーホー・スクエア1番地にある、ポールの事務所だ。ポールは事務所をここに構えていて、ポールの次女がカメラマンとして働いている。ここであんまり近づいて写真を撮ると、中から事務員が出てきて怒られるというので離れて撮った。そのままソーホー街に入って行き、あるスタジオの前でガイドが立ち止まった。細い路地裏にある、“トライデント・スタジオ” という小さなスタジオだったが、ここでレコーディングしたメンバーが凄かった。ビートルズをはじめ、ジョージ・ハリスン、プラスティック・オノ・バンドにリンゴ・スター、デヴィット・ボウイにエルトン・ジョン、ルー・リード、クィーン、マ−ク・ボランにカーリー・サイモン・・・・・「凄いメンバーばっかりだ!」 I君もびっくりしていた。イギリスのミュージシャンたちには有名なスタジオらしく、ここでレコーディングすれば一流の証か?

   

 EMIレコード本社、EMIハウスの跡地!アルバム、「プリーズ・プリーズ・ミー」の
 ジャケット写真(右)は、このビルの2階の手すりで撮られた!

   

角部屋の1階と地下にジョンとヨーコ     ポールの事務所、MPL!
が住んでいた!


 そしてソーホー・ナイトワーキングツアーでも行った、ジョンが撮影に使ったソーホーのトイレに立ち寄ったあとサビル・ロウに行った。このサビル・ロウ地区は高級背広の仕立て屋が多いことで有名で、日本の、“皇室御用達の背広屋” もある。今でも日本の皇室から注文が入るのだとか。日本語の背広(セビロ)≠ヘ、ここサビル・ロウ≠ェ、なまって出来た言葉としても有名だ。しかしそんなことより、オレたちビートルズ・ファンにとってここサビル・ロウは聖地だった。ビートルズが立ち上げた会社、「アップル」の本社ビルがあったところだからだ。サビル・ロウ3番地に建つ、このジョージ朝様式のしっかりとした造りのビルは、屋上から地下にいたるまでビートルズとはとてもかかわりが深い。地下には、1969年から75年にかけてビートルズの面々が時々、個人で使っていたアップル・スタジオがあったし、映画「レット・イット・ビー」 の撮影の後半はほとんどここで行われている。また同名アルバムもすべてここでレコーディングされたものである。ほかの階にはメンバーがそれぞれ部屋を構え、屋上では1969年1月30日、昼食時に予告もなく行われたライブの会場として有名だ。このライブのせいで、周辺の交通は完全に麻痺してしまい、近所の警察署から数人の巡査がかけつけ、開演42分後にビートルズへ中断命令を言い渡すまでそのまま立ち往生の状態が続いた。結局この屋上ライブがビートルズとしてのラスト・ライブになると、このとき誰が思ったであろう?たぶん、ビートルズ自身も思わなかったのではないか?このビートルズ・ツアー イン ロンドンで最後に行ったのは、デューク・ストリートから入ったところのメイソンズ・ヤード6番地、インディカ・ブックス&ギャラリーのあった場所だった。1966年3月にオープンして、2階にインディカ・ブックス、1階にギャラリーを構えていたが、オープンするにあたってポールが5000£投資していた。そしてその年の11月9日の夜、ジョン・レノンは11月10日から18日まで9日間にわたって開催された、コンセプチュアル・アート展「未完成絵画とオブジェ」の内覧を観にこのギャラリーを訪れた。このときジョンはジョン・ダンバーに誘われて、これらの作品を制作した日本人女性アーティストを紹介されている。彼女の名前はオノ・ヨーコ。この日、この場所が、ジョンとヨーコの最初の出会いだったのだ。

 

      

アップル本社のあったビル!  ジョンとヨーコが初めて会った、インディカ
                    ギャラリーのあった場所!


   

1969年1月30日、アップル本社屋上で行われた伝説のルーフトップ・コンサート!
これがビートルズ最後のライブとなってしまった!

※ このページの一部は、「ビートルズの歩き方」 より抜粋しました。




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