6月12日(土) 3日目 晴れ |
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リバプールへはユーストン駅から列車で約3時間かかるらしい。そのユーストン駅へは、ハマースミス駅からハマースミス&シティラインで乗り換えなしで行ける。といっても、地下鉄のユーストン駅で降りて地上に出て、200mほど歩いたところに列車のユーストン駅はあった。切符売り場でリバプールまでの往復切符を買いホームに向かったのだが、リバプール行きの列車は2分〜3分前に出てしまったばっかりで、次の列車まであと1時間待つはめになってしまった。仕方がないので駅構内のカフェでコーヒーを飲んで待つことにした。 |
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ハマースミス&シティライン! 地下鉄の切符! 地下鉄を降り、1度地上に出て200mほど歩いたところにユーストン駅はあった。 |
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このユーストン駅はロンドンに7つある主要ターミナル駅のひとつで、ビートルズとはゆかりが深い。その理由はここがリバプール方面への窓口となる駅だからだ。1962年〜63年にかけて、ビートルズとマネージャーのブライアン・エプスタインはひんぱんにこの駅を利用している。また1967年8月25日 当時ビートルズが夢中になっていた、インドのマハリシが開いた瞑想セミナーに参加するため、ウェールズ北部のバンゴア行きの列車に乗ったのもこの駅だ。有名な話だが、このときジョンの妻シンシアは警備員にファンと間違えられ、数秒の差で列車に乗り遅れている。そのときのことを振り返ってシンシアは、「列車から顔を出して笑いながら私の顔を見ているジョンを見て、ジョンがサヨナラと言っている気がした。これで私たちはもうおしまいだ!という感じがした。」 と語っている。翌年ジョンはオノ・ヨーコとの仲が深まり、シンシアと離婚・・・それは現実となった。ちなみにその2日後の8月27日、デビュー前からマネージャーを務めていたブライアン・エプスタインが、ロンドンのアパートで死亡しているのが見つかっている。死因は “過失による薬物過剰摂取”・・・・ドラッグだった。この時期、ビートルズにとっては転換期だったのかもしれない。 |
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リバプール行きの列車の時間(10:40発)が近づいてきたので、駅員に何番線なのか聞きに行くと、「まだ分からないから電光掲示板を見ててよ。」 と言う。日本だったら考えられないことだが、イギリスではよくあることらしい。何番線か分かったのは発車時刻15分前くらいだった。ホームに行き、自由席は何号車か駅員に確認してから列車に乗り込む。ヴァージン号といってけっこうオシャレな列車だ。10時40分、定刻どおり列車は出発した。さぁ、数時間後はリバプールだ。 |
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ユーストン駅構内!右の電光掲示板、リバプール行き10:40発と出ているが何 番線かは出ていない!左隣は10番ホームと出ているのに! リバプール行き、ヴァージン号! ユーストン〜リバプールの往復切符! |
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※ このページの1部は、「ビートルズの歩き方」 より抜粋しました。 |