◎おわりに -子どもは帰る場所を求めている-

かつて上原先生が今後の抱負としてこう話していた。

「僕も研究を追いつめたところでもっとやりたいことはあるのよ。研究授業で。それは最終講義で言った かいまみ なんですよね。子どもはどんな かいまみ をしているのかを突き止めたい。

私は見たんだ、って。でも、お母さん!お母さん!私は見たんだ!って言えない。まさかこどもがそういう気持ちでいるということに大概の親がそういうふうにとってくれないからね。だから、秘密にしておこう、ってことになる。

だけど子どもはかいまみしている。それは日本人が持っていた共通感覚の根元だもの(平成七年)」


そこでスナップ1のデジモン君を包み込んでいる御両親の姿勢が改めて浮かび上がってくるのである。

生命の指標など心意伝承に関わる事柄は決して特殊な人間だけが持ちうるものではない。しかし、現実には幼い時代だからこそ現実的に余計なことを気にしないで自然に飛び出してくる神人交感に関するような言動は否定されてしまいがちである。早期教育を気にする親ほど「早くこんなバカな事を言わないようにさせなければ」とムキになる。


 そのように現代の多くの中・高校生が幼小時代に自分が自然に発した言葉を否定された経験を持っていると思う。それを覚えているか否かに関わらずそれを引きずってしまっている子どもが人生や学習の本当の意義を見いだせずにいるのではないか・・・神性と野性が喪失されているのではないか・・・そう考えているのである。

 そんな中高生たちには今までの幼い頃からの経験をじっくりと振り返り、自分の軸のとりかたやイメージ世界を点検することを勧めている。そして真実の自分に自信を持って世界定めの軸の再設定をするよう助言している。


 先日、上原先生の「世界定め」の言葉を紹介しながら軸の設定の話をしていた時に急に力説を始めた子がいた。

☆スナップ24  中3
ゆでたまご「そう!小さい時が大事なんだよね!小さい時に何をやるかによってすっげー変わるもん。」

そして私が小さい時から運動が苦手でクラスでいじめられていた事を既に知っていたので私の軸のとりかたについて

ゆでたまご「先生は軸をとるときの視野が狭かったんだよね。・・・ああ、広げようともできなかったんだよね。」

だが実際のところ私が設定の軌道修正を勧めてもなかなかそうした気持ちになってもらえないのが現実である。この時にゆでたまごさんに指摘された過去の私の様に、視野を広げ軸を設定し直そうとする気力すら失っている為である。私の場合は自分への諦めが強かったが、今の子どもたちは心が疲れ切っているために改善に向けて消極的であるように見える。何をするのも「面倒くさい」のである。

 仮に一度は設定の軌道修正が出来て、良い方向に自分が進み始めた事を自覚した子どもでも良い状態が続くとは限らない。また何か壁にぶつかると、多くの場合は「やっぱり自分はダメだ」と諦められてしまう。これも諦めた方が楽だと口にする。

学校でさんざん現実対応に追われ帰宅後も、今度はまた親から現実対応を突きつけられる。唯一の居場所である自分の部屋には家庭教師という部外者が乗り込んでいくのであるから私も相当罪な仕事をしている。「もう自分のホッと出来る居場所は布団の中だけだよ」とポツリと言われると切なくなる。

 しかも学習に対して几帳面な子どもなどは勉強を切り上げて就寝することに罪の意識を抱いて床に入ると言っている。ましてや「もう寝てしまうの!」と親に叱られながら床に入っては寝入りも悪いし目覚めも不安定だと訴えている。


 上原先生が「家に帰る」ということでこんな事を話されたことがある。
「帰るってことをもっと考えなくちゃだめだ。鶏のヒナがかえった、って言うでしょ。元来が 生まれるっていうのと同じなんだからね。だから「帰る」っていうのは蘇生でなくちゃいけないんだよ。うちに帰って蘇生するんだよ。」(平成二年度)


 また児童の言語生態研究十五号の「おふくろの世界 -「おうち」「におい」作文に見る時間と空間-」にも引用した次の言葉もある。


「家は母体であり休む場所なんだよ。「やすむ」とは「いやすむ」であり(注 ヤ行音は生命力を表わす音として捉えている)「いのち」が「澄む」、つまり生命がより純粋に清らかになっていくのが家なんです。」


 家が家としてのイメージ空間を取り戻し、純粋な状態で眠りにつけるようになることが「野性」を高め「神性」へと迫っていく基本ではないだろうか。それは無意識世界からのメッセージを最も得られるのが「夢の世界」と思われるからである。

同じく十五号に掲載されている「子どもと夢 -夢は体感とともに在り-」を上原先生はこう結んでいる。

「・・・子どもたちにとっては決して夢と現実との関係というより、夢そのものが、生きることの指針を示すものとする根元があるのだといわねばならない。つまり夢より発し、また夢に帰って行く、生命の羅針盤的働きをするのが夢なのであろうか。」

 最後にねこ娘さんのスナップでこの報告をまとめたい。

☆スナップ25  平成十二年度 中3
ねこ娘「私って疲れるから寝るんじゃないんですよ。夢を見たいから寝るんですよ」


 生命の指標(らいふ・いんできす)への感覚が鋭いはずである。



追記

平成15年11月に小川雅子先生の3冊目の著書

「国語表現力の構造と育成  ー内的言語活動を主体とする理論と実践」が出版されました。


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