ペトロ物語(44)
「その後のペトロ」
Jesus, Lover Of My Soul
旧約聖書 イザヤ書52章7-10節
新約聖書 ヨハネ福音書21章15-19節
神との邂逅
 これまで私たちは、ペトロの物語を聖書の中に尋ねながら、彼の信仰、また彼の受けた主の愛について学んできました。人生には、その後の人生に大きな影響を与える転機というものがありますけれども、ペトロの場合、それは三つあったと思われます。

 一つは、イエス様との出会いでありました。それ以前のペトロは、辺境の地といわれるガリラヤの一介の漁師でありました。漁師としての腕はそこそこあったと思われますし、結婚もして、自分の家も持っていました。学問もなく、これといって目立つ才能もなかったかもしれませんけれども、逆に貧しさに喘ぐとか、病に伏しているとか、家庭不和に悩むとか、そういったことも見られない、極めて平凡な、そして庶民的な平和に浴した生活を送っていたと思われます。「幸せだった」と言ってもいいかもしれません。しかし、ペトロはイエス様と出会うことによって、この幸せを捨ててしまいます。実際、彼は舟も、網も、父の家も捨てて、イエス様の弟子となったのでありました。

 これは人生の大冒険であったでありましょう。今ある平和に留まって、それを一生守り続ける人生を送れば、それなりの幸せを感じることが出来たかもしれません。イエス様に出会わなければ、ペトロもそうしていたでありましょう。しかし、イエス様との出会いは、ペトロの眠れる魂に神との邂逅をもたらしたと言ってもいいのかもしれません。『ヨハネによる福音書』1章18節に、こういうことが書かれています。

 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

 人間は皆、魂の奥底で生ける真の神を慕い求めています。苦しみに喘ぎながら、「神はいずこにおられるのか」と叫んでいる者もおりましょう。「神などいないのだ」と開き直って生きている者もおりましょう。自分なりの神を造り出して「これがわたしの神だ」と信仰している者もありましょう。しかし、結局は、神を探し求める魂も、神などいないと開き直った魂も、偶像を造り出す魂も、魂の奥底で生ける真の神を慕い求めているのです。祈りも、無神論も、偶像礼拝も、その現れなのです。

 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

 ペトロは、この地にあもられた独り子なる神、イエス・キリストに出会ったのです。イエス・キリストのうちに生ける真の神、愛してくださる父なる神を見出したのです。ペトロとて割礼を受けたユダヤ人でありましたから、幼き日より神様の教えを聞いて育ってきた。神様を知らないわけではない。いや、よく知っているつもりであった。しかし、「わたしは神と出会った」と言えるような経験があったわけではなかったのです。ペトロは、それをイエス様に出会いにおいて果たしたのでありました。「ここに神がおられる。わたしは今、生ける神に出会っているのだ」という素晴らしい経験であります。

 だから、ペトロはすべてを捨ててイエス様の弟子になりました。ペトロには何の迷いもなかったに違いありません。世界のすべてを手に入れても、神様を失えば何の意味もありません。逆に、世界のすべてを損しても、生けるまことの神、愛してくださる父なる神を得るならば、すべてを得るのです。そういうことをペトロは直感的に悟り、イエス様の弟子として生きる新しい人生を歩み始めたのです。
真実の自分との出会い
 ペトロの第二の転機は、イエス様の十字架でありました。ペトロはイエス様の弟子として、三年間、寝食を共にし、忠実なる弟子としての生活を送ってきました。もちろん、失敗や足りなさがなかったわけではありません。おそらく弟子たちの中で一番イエス様に叱られたのもペトロでありましょう。けれども、誰よりも強く、激しい心でイエス様を愛していたのもペトロだったに違いないのです。

 そんなペトロにとって、イエス様が十字架にかけられて殺されるなんてことは、まったく考えられないことでした。「イエス様が十字架にかけられて死ぬなんて絶対にあってはならぬことだ。必ず自分がそれを阻止する」、ペトロはそう考えていました。しかし、あってはならぬことが起こってしまった。それがイエス様の十字架でありました。しかし、それはイエス様の死ではありませんでした。ペトロにとって、それ以上にあってはならないことが起きてしまったのです。それは、ペトロがイエス様を裏切ってしまったということです。イエス様をお守りするどころか、自分の命を守るために、「わたしはあんな男を知らない。まったく関係がない」と、公然とイエス様を否み、敵前逃亡してしまったのです。

 イエス様を神の御子、救い主として信じ、そのためには家も、仕事も、故郷も捨てて従ってきた。それどころかイエス様のためならば命さえも惜しくないと本気で思っていた。イエス様への愛ならば誰にも劣らぬと自負してきた。そんな自分が、イエス様を十字架にかけようとしている者たちから「お前もあの男の仲間だろう」と言われたとき、気が狂ったように「わたしはあんな男と関係ない。わたしは弟子なんかではない」と口走ってしまったのです。それは、ペトロにとってイエス様が十字架にかかること以上に考えられぬこと、あってはならぬことだったに違いありません。

 つまり、イエス様の十字架は、ペトロにとってイエス様の死というよりも、自分自身の死だったのです。自分が信じてきた自分の死です。イエス様を愛するペトロ、イエス様を信じるペトロ、イエス様に従うペトロ、そういうペトロが、イエス様の十字架と共に死んだのです。もう二度と、私はイエス様を愛しています、私はイエス様を信じています、私はイエス様にどこまでも従いますと、言えないペトロになってしまったのです。

 ペトロは今までの自分の奢りを痛感したでありましょう。自分の魂の中に潜み隠れていた罪深いものを感じたでありましょう。ペトロは・・・今でこれが自分だと信じてきたペトロは、死んだのです。そして、裏切り者、罪深き者、愚かなる者、救いがたき者としての自分だけが残ったのであります。
言い換えれば、それが本当のペトロの姿だったのです。ペトロの第一の転機は、イエス様と出会い、生けるまことの神様を知ることでありました。第二の転機は、イエス様の十字架を通して、罪深きまことの自分の姿を知ることであったのです。
新しい命
 第三の転機は、復活のイエス様との出会いでありました。復活のイエス様との出会いによって、ペトロ自身の命も復活させられたのです。

 イエス様の十字架の死、そして自分自身の霊的な死を経験したペトロは、その後、故郷のガリラヤに帰り、再び漁師の生活に戻ろうとします。他にもイエス様の弟子にはガリラヤ湖の漁師がいましたから、そういう仲間たちも一緒でした。しかし、夜通し漁をしても一匹の魚も穫れない。ただでさえ空しい思いでいっぱいなのに、それに拍車をかけた空しさと疲労感が彼らを襲います。

 そんな朝方、岸辺にひとりの人が立って、疲れきって漁から帰ろうとしている彼らに声をかけるのです。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば、とれるはずだ」彼らは言われるままに網を打ちました。すると、重くて網を引き上げられないほどの魚がかかったのです。目のいい一人の弟子が岸辺の人をじっと見て、「あれは主だ」と叫びました。ペトロは、「主だ」という言葉を聞くと、服を着て海に飛び込み、泳いで岸辺に行きました。岸にあがってみると、イエス様は炭火を熾して、その上で魚を焼き、またパンまで用意しておられました。弟子たちがそろうと、イエス様は、「さあ、朝の食事をしなさい」と弟子たちを慰めたというのであります。

 私はこの話しがとても好きなのです。もう弟子とはいえない、もう信仰者とすらと言えない、そんな挫折感、空しさ、罪深さに悩む弟子たちを、イエス様が一言も叱らず、自ら炭火を熾して食事の用意をし、いつもと変わらない優しさをもって「さあ、朝の食事をしなさい」と招いてくださる。ペトロは、後に自分が教会宛に書いた手紙の中で、「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」(『ペトロの手紙一』4章8節)と、信者たちに勧めています。「愛は多くの罪を覆う」、こんな言葉が出てくるのは、ペトロが主の愛によって多くの罪を覆われるという経験をしたからでありましょう。

 「さあ、朝の食事をしなさい」というイエス様の言葉もそうですが、その前に起こった大漁の奇跡、そこに深い主の愛があります。まだガリラヤ湖の漁師をしていた頃、ペトロはこれとまったく同じ奇跡を経験していました。『ルカによる福音書』5章にしるされていますが、やはり夜通し働いても一匹の魚も穫れないで帰ってきますと、イエス様がもう一度舟を出して漁をしなさいとおっしゃるのです。いわれた通りにすると網が破れそうなほどの魚が網にかかったのでした。イエス様の御力を知ったペトロは恐れつつ、御許にひれ伏します。すると、イエス様は「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」といわれたのでした。そこで、ペトロは漁師をやめ、何もかも捨てて、イエス様に従うことになったのです。

 つまり、この大漁の奇跡というのはペトロの召命の出来事と深い関わりがあったのです。イエス様を裏切り、挫折感に打ちひしがれるペトロに対して、イエス様は「お前はまだわたしの弟子だよ」と語りかけてくださっている、そういうメッセージがこの奇跡には込められていたし、当然、ペトロもそれを受け取ったであろうと思います。

 そして、今日お読みしました場面に続くのです。食事が終わると、イエス様はペトロを連れ出して、二人きりの時間のなかで、こうお尋ねになりました。「ペトロ、わたしを愛しているか」 イエス様は、ペトロの愛を疑っているわけではありません。ペトロはイエス様を裏切ってしまったのですから、いまさら「イエス様を愛しています」と言えません。その資格がありません。しかし、「あれは主だ」という声を聞いたとき、おもわず海に飛び込んで泳いだペトロであります。彼の心には少しも変わることのないイエス様への愛があるのです。イエス様はその愛を受け取ろうとして、尋ねてくださっているのです。

 ペトロのその返事は、いままでのペトロからすれば極めて控えめなものでありました。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」 今までのペトロだったら、「もちろんです。あなたのためならばたとえ火の中であろうと、水の中であろうと、ご一緒します」と、高らかに自分の愛を宣言したでありましょう。しかし、この時のペトロは違いました。「あなたが知っていてくださいます」というのです。その意味は、「私のうちにはあなたへの愛が溢れています。しかし、一度裏切った身である私には、この愛を受け取ってくれということができません。あなたが私の愛を認めてくださるかどうか、それにかかっているのです」ということでありましょう。

 それに対してイエス様は、「わたしの羊を養いなさい」と答えてくださいました。「わたしの羊」とは、イエス様は御自分を良き羊飼いに喩えられたことがあることからもわかりますように、イエス様が愛し給う人々のことであります。その人たちをお前に預けるから、わたしの愛をもって養いなさいとペトロにいってくれたのであります。ペトロは、この言葉にどんなに救われたでありましょうか。イエス様はペトロの裏切りについては一切触れません。しかし、そのすべてを愛をもって赦し、もう一度、あるいは新たに、ペトロとの関係を築いてくださったのです。

 復活の主との出会いは、ペトロにとって新しくイエス様と関係を結び、新しい命を得ることでありました。二度とお会いできないと思っていたイエス様の再会、二度とイエス様の結ばれること能わないと思っていたイエス様との再結合、一度は死んでしまった霊的命の再生、すべてはイエス様の愛、恩寵の賜物であります。ペトロが得た新しい命、新しいイエス様の関係は、今までのものと根本的に違うところがあります。今まで自分の力、自分の意志、自分の努力で、イエス様を愛し、信じ、従おうとしていた。しかし、新しく与えられたペトロの命、イエス様と関係は、イエス様の愛、イエス様の意志、イエス様の恵みの御業に依存しているのです。イエス様の十字架がペトロを打ち砕き、イエス様の復活がペトロを新しいペトロにしたのでした。

その後のペトロ

 さて、ペトロが辿った道は、私たちの辿った道、あるは辿るべき道でもありましょう。イエス様によって生けるまことの神を知り、イエス様によって自らの罪を示され、イエス様によって新しい命をあたえられるのです。大切なことは、すべてがイエス様によって与えられるということです。こうして、新しい命をあたえられたペトロは、聖霊を受け、教会の指導者となり、キリストの福音のために自分を捧げて生きるようになります。それは、これまでペトロ物語と銘打ってお話ししてきた通りです。

 実は今日はその最終回なのでありますが、最終回ということに何か唐突なものをお感じになる方もあるかもしれません。ペトロの晩年とか死については何もお話ししていないからです。それには理由がありまして、先週お話ししましたのは、ヘロデ王の迫害により、ペトロが捕らえられ、明日には民衆の前で公開処刑されるという危機に瀕していたところ、天使が現れて、ペトロを無事に牢から脱出させてくださったというお話しでありました。牢を脱出したペトロはいったん教会に戻ります。ペトロの身を案じていた教会の人たちは、ペトロの奇跡的な帰還を大いに喜ぶのですが、その後、どうなったのかが、実はよくわからないのです。そのあたりのことは、先週、お話しをしておりませんでしたので、『使徒言行録』12章17-19節をちょっと読んでみたいと思います。

 ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。

 ペトロの脱獄が番兵たちの知るところとなると、街中が大騒ぎになります。大勢の兵隊たちがすごい剣幕でエルサレム中を闊歩し、ペトロを捜し回ったわけです。しかし、どうしてもペトロは見つからなかったということが書かれています。いったいペトロはどこへ行ったのか? 聖書には書いてあるのは、一度教会に帰ってきたペトロは、「そこを出てほかの所へ行った」ということだけであります。そして、これ以降、『使徒言行』もペトロの足取りについてまったく記していないのです。唯一、15章に一回だけペトロが登場しますが、あとはさっぱり分からないのです。「ほかの所」とはどこなのか。ペトロはどこで伝道したのか、どこで死んだのか、どういう死に方だったのか、聖書は何も記しておりません。

 ただペトロについていろいろな伝承が残っていまして、ペトロは最後、ローマで過ごし、ネロの迫害によって殉教したといわれています。そのペトロの墓の上に、聖ペトロ教会が建っているわけですが、それとて実はどこまで信用できる話なのかわからないというのが実情なのです。

 ペトロがローマにいたという証拠としてあげられるのが、ペトロの晩年の書と言われている『ペトロの手紙一』5章13節です。この手紙の結びの挨拶の中で、ペトロは「共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています」とあります。これによると、ペトロはバビロンにいるということになります。しかし、バビロンというのは、実はローマを現す隠語だというのです。『ヨハネの黙示録』などではそうなのです。だから、ペトロはローマにいたというわけです。その可能性はとても高いと思いますが、本当にバビロンにいたという可能性がまったくないわけではないのです。そういうわけで、とても残念なのですが、ペトロの晩年、最期について、私たちはほとんど知り得ないわけです。

 ただ、わたしは先ほどお読みしました「ほかの所へ行った」という言葉によって忽然と姿を消したペトロに、何か象徴的なものを感じるのです。以前にもお話ししましたが、ペトロは最初、エルサレム教会の最高指導者として教会を統括する存在でした。ローマ・カトリック教会でいえば教皇のような地位にいたのです。実際、カトリック教会ではペトロを初代教皇としているわけですね。しかし、ペトロはその地位を、他の者に譲って、エルサレムを拠点としながらも一介の伝道者として様々な地方を歩き、教会を励ましたり、福音伝道に専心するのです。組織としての教会を守るということも誰かがやらなくてはならない大切な仕事でありますけれども、ペトロは伝道者として一人一人の魂に関わり、イエス様の愛を、救いを、伝え続けるという道を選んだのでありました。

 また、殉教ということについては、今日もお読みしましたイエス様の言葉が暗示をしております。

 イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」

 これは、ペトロが迫害の中で殉教することを暗示していると言えましょう。「両手を伸ばして」というのは、十字架にかかるということの暗示だとも受け取れます。伝説によれば、イエス様と同じような格好で十字架につけられるのはもったいないと言って、逆さ磔にされたとも言われています。

 ペトロがどのような死に方をしたとしても、ペトロは、伝道者として主に仕える生涯を全うし、主の栄光を現したでありましょう。そして、そのようなペトロの生涯の力は、決してペトロの肉の力ではなく、復活の主によって与えられた新しい命の力、主の愛、主の恵みの力であった、つまりペトロの生涯はイエス様の恵みの賜物であったということを覚えたいと思います。
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