ペトロ物語(01)
「メシアとの出会い」
Jesus, Lover Of My Soul
旧約聖書 イザヤ書65章1節
新約聖書 ヨハネによる福音書1章35-42節
イエス様が好きなペトロ
 かつて私の友人が、ペトロについて率直な感想を述べたとき、「パウロはイエス様を愛していたけれど、ペトロはイエス様が好きだったんだろうなあ」と言っていたことを思い起こします。単なる感想でありますから、当たっているとか外れているとか、そういう話ではありません。しかし、妙に納得させられたのであります。

 「愛する」という言葉には、どこか完全無欠な響きがあります。自分を滅してひたすらにイエス様に仕えたパウロの信仰は、まさに「愛」という言葉がふさわしいでありましょう。他方、「好き」というのは、確かに愛情があるのですが、愛ほど完璧ではない。出しゃばりすぎたり、臆病になったり、的はずれであったり、その愛情に人間的なほころびが出てくるのです。

 聖書に描かれているペトロは、そういう人間味豊かな人であります。素晴らしい信仰を告白したかと思うと、イエス様に叱られてシュンとなってしまう。水の上も歩くほどの信仰を見せたかと思うと、急にそういう自分が怖くなって溺れてしまう。だれにも負けないほど情熱をもってイエス様に従う人間でありながら、聖書の中で一番たくさんイエス様に叱られている人間、それがペトロなのです。

 もちろん叱られるだけではありません。失敗をし、叱られつつ、ペトロはまことの主の僕として成長していくのです。これも、私達にとってはとても希望のある話だと思います。

 またもやパウロとの比較になりますが、パウロはご承知のようにもともとアンチ・クリスチャンでありました。教会の迫害者でありました。それがイエス様と出会うことによって、急に変わるのです。だれよりも熱心な迫害者が、だれもよりも熱心な伝道者になってしまう。パウロとは、このような劇的な生まれ変わりの経験した人です。

 私達も洗礼を受けた時、自分が生まれ変わることを期待したかもしれません。しかし、実際にはパウロのような劇的な生まれ変わりを経験する人は少ないのです。「洗礼を受けるとは新しく生まれ変わることです」と牧師が言ってくれたのに、自分もまた「よし、これからは変わるぞ」と一大決心をして洗礼を受けたのに、ちっとも自分が変わっていかないのでがっかりしたという人もあるのではないでしょうか。

 それにも関わらず、洗礼を受けるということは確かに新しく生まれることであるに違いありません。ただし、その新しい命が私達の中で育っていき、何かしらの実を結ぶようになるまでには、人によって違いますけれども、時間がかかるのです。

 ペトロは、パウロとはちがい、イエス様のご活動の最も初期において、いち早く弟子になった人です。しかし、まことの主のしもべとなるまでには何度も失敗し、挫折もし、その度にイエス様に叱られたり、励まされたり、慰められたりしてきて、時間をたっぷりとかけて、徐々に主のしもべとしての姿に変えられていった人なのです。

 信仰の巨人でありながらも、このように人間味溢れるペトロに敬愛の念を覚えつつ、私達はこれからペトロについてご一緒に聖書をひもといて参りたいと思います。

イエス様に出会う前のペトロ
 ペトロはおよそどんな生涯を送ったのでありましょうか。

 彼はイエス様と出会う前、ガリラヤ湖の漁師でありました。イエス様と出会い、漁師を捨てて、イエス様の弟子となってからは、弟子集団の筆頭として重んぜられるようになります。

 イエス様が十字架にかかり、復活し、やがて天にお帰りになりますと、エルサレムに教会が建てられます。ペトロは、しばらくの間、そのエルサレム教会の指導者として活躍をいたしました。

 しかし、その職を主の兄弟ヤコブに委ねると、エルサレムを離れて、各地で伝道や教会の指導にあたりますが、残念ながら、その足取りについてあまり確かなところは知られていません。

 晩年、彼はローマに赴き、そこから小アジアの教会に向けて『ペトロの手紙1』と『ペトロの手紙2』を書き送りました。そして、おそらくローマにおけるネロの迫害下、紀元64年頃に殉教者として死んだと思われます。

 今日は、そのなかでもイエス様に出会う前のペトロについて、そしてそのペトロがいかにしてイエス様に出会ったのかということを見て参りたいと思います。

 ペトロはガリラヤ湖の北岸に位置するベトサイダの出身であり(1章44節)、イエス様と同世代か、あるいは少し年下であったと思われます。ベトサイダは漁獲量を誇るガリラヤ湖有数の漁師町で、おそらくペトロも先祖代々続く漁師の家に生まれ、父や兄弟と共に漁業を生業とする暮らしをしていました。

 他方、ベトサイダというところは異邦人世界に隣接し、ギリシャ文化の影響を強く受けた町でした。ペトロもちゃんと学校で習ったのではないにしろ、日常生活で必要なギリシャ語は話すことができたのではないかと思われます。ペトロがギリシャ文化の影響下に生まれ育ち、多少なりともギリシャ語を話すことができたということは、後に彼が異邦人伝道に心を開いていくときに大いに役立ったでありましょう。

 ペトロの家族について知り得ることは、まず彼の父親の名前がヨハネであったこと、アンデレという兄弟がいたこと、そして彼は結婚していたということです。

 父親の名前については、今日お読みした42節で、イエス様が「ヨハネの子シモン」と呼びかけていることから、ヨハネであったということが分かります。あるいは、他の箇所では、イエス様が「バルヨナ・シモン」とペトロを呼んでいるところがあります。「バルヨナ」とは、「ヨナの子」という意味でありまして、父ヨハネは、ヨナとも呼ばれていたことが推測されます。

 兄弟アンデレは、ペトロと一緒に漁師をしており、またペトロと一緒に、イエス様の弟子となった人であります。今日、お読みしましたところによりますと、アンデレがペトロをイエス様のもとに連れて行ったということになっておりますが、これについては「ペトロがいかにしてイエス様に出会ったか」ということに関係しますので、後で改めてお話ししたいと思います。アンデレは、ペトロの兄であったのか、弟であったのかという問題もあります。聖書にははっきりと書かれていませんが、常にペトロの名が先に挙げられていることから、アンデレがペトロの弟であったというのが通説のようです。

 それから、ペトロは結婚をしておりました。その時期は定かでありませんが、イエス様の弟子となる頃にはすでに結婚していたと思われます。そして、おそらくその結婚を機に、住まいをカファルナウムに移し、姑と一緒に住んでいました。カファルナウムは、ベトサイダから四キロほど離れた隣町で、『マルコによる福音書』1章29-31節には、イエス様がカファルナウムにあるペトロの家を訪ねたというお話しがあります。そして、その際、病気で伏せていたペトロの姑がイエス様に癒していただいたと報告されています。

魂の準備
 以上が、聖書から推測されるイエス様に出会う前のペトロのだいたいの生活でありますが、実は私達にとって一番興味あることは、イエス様との運命的な出会いを果たす前のペトロの信仰、あるいは魂の状態がいかなるものであったか、ということではないでしょうか。

 だれでも、いきなりイエス様に出会い、その魂がイエス様に捕らえられていくわけではありません。イエス様の招きを受けても、イエス様が側にいてくださっても、何も感じないで、そのまま通り過ぎてしまう人もたくさんいるわけであります。

 イエス様はだれの人生においても、様々な機会を通して「わたしのもとに来なさい。わたしを信じなさい」と、常に招いてくださっています。たとえば、近所に教会があるとか、学校がミッションスクールであったとか、聖書を手にしたことがあるとか、友達にクリスチャンがいたとか、キリスト教のメッセージに込められた映画や小説を読んだことがあるとか、そういうことの中に、イエス様の招きがあり、イエス様と出会うチャンスがあるのです。

 しかし、私達の方に心の準備ができていないと、そういうものが何の意味もないように思ってしまいます。そこに、どんなに多くの神様の恵みのチャンスがあっても、何一つ手に入れようとせず、素通りしてしまうのです。私達も、かつては何度もそのようにイエス様の前を素通りして生きてきたのではないでしょうか。

 けれども、そういう人生では満ちたりないと感じるときが来るわけです。自分の人生は間違っているのではないか。何かもっと大切なことを得なくてならないのではないか。それが魂の飢え渇きとなり、人生の悩みや不安や恐れにまで達したとき、私達はようやくイエス様の声に立ち止まり、耳を傾けることができるようになるように思います。

 兵庫県たつの市の小さな教会で伝道をなさっているヒュー・ブラウンという宣教師がおられます。この方は北アイルランド出身で、宣教師になる前はテロリストでありました。1970年代のもっとも紛争が激しいときに、イギリス側のテロ組織に加わり、活動をしておりました。敵方のテロリストに拉致され、両膝を拳銃で撃ち抜かれ、拷問を受けたこともあったそうです。しかし、絶対に殺されると思っていたら、どういうわけか急に敵方のテロリストたちが自分をおきざりにして逃げいき、奇跡的に命が助かったという経験をしたそうです。

 今から思えば、そこにイエス様の招きがあったかもしれませんが、まだそのときはそのことに気づきません。そして、資金調達のために銀行強盗を行い、逮捕され、刑務所に送られることになるのです。そのとき、彼が心に感じたのは、これでやっと安心して眠れるということと、自分は刑務所に入れられるようなとんでもない罪人なんだという真っ暗な気持ちだったそうです。しかし、まだテロ活動から足を洗うということは考えません。そもそも、そういう非合法組織というのは一度入ったら決して抜けられないのが原則なのです。ですから、やめるということはまず頭に浮かばなかったのだそうです。

 しかし、そのような彼がどんな困難であろうともテロ組織から抜け出し、キリスト信仰による新しい生き方をしようと決心するきっかけは、刑務所の中で見た『ベン・ハー』の映画であったといいます。確かに、「ベン・ハー」は素晴らしい映画です。日本でも有名で、テレビで何度も放映されてきました。とはいえ、それを見た人が皆クリスチャンになるわけではありません。ヒュー・ブラウンさんもそうです。けれども、奇跡的に命を救われた経験や、刑務所に入って感じたことなど、一つ一つの出来事が積み重なって、イエス様に出会う心の準備が整えられてきたでありましょう。そこにベン・ハーの映画を見る機会が与えられ、ついにヒュー・ブラウンさんはキリストの招きの声を聞くことができたのであります。

 そう考えますと、心の準備というのも、実はイエス様が私達の中に整えて下さることであるような気がします。人間の側からすると、何度もイエス様の前を素通りするようなことを繰り返しているのですけれども、イエス様の方は決して私達を素通りされることはないのです。そして、私達も気づかないうちに何かしらを私達の人生の中に残してくださる。そういうものが積み重なって、やっと私達もイエス様の前で歩みを留めることができるようになっていくのではないでしょうか。

 そうだとすると、当然、ペトロにも何かしら心の準備が整えられていただろうと思うのです。今日、お読みしたところによりますと、ペトロの兄弟アンデレは、バプテスマのヨハネの弟子であったとあります。弟子といっても、漁師をやめていたわけではなく、ヨハネから洗礼を受け、その教えに心酔し、多少ヨハネのお手伝いをしていたという程度かもしれません。では、ペトロはどうであったのでしょうか。ペトロも、ヨハネの弟子だったのでしょうか。

 聖書にはそうであったと書いてありませんが、私はあるいはそうではなかったかと思っています。というのは、1章28節を見ますと、ヨハネが洗礼を授けていたのはエルサレムに近いベタニアであったと書かれています。ペトロとアンデレの故郷は先ほど申しましたようにガリラヤ湖の北岸にあるベトサイダ、あるいはカファルナウムでありました。分かりやすくいえば、彼らの住まいはヨルダン川の上流であり、ヨハネが洗礼を授けていたのはヨルダン川の下流なのです。距離にして120キロは離れています。どうして、ペトロとアンデレは、そんなところにいたのか。おそらく、兄弟二人で、ヨハネの教えを聞き、洗礼を受けるために、ベタニアまで旅してきたのではないかと思うのです。

 彼らがどうして、そのようなヨハネの洗礼運動に関心をもったかは定かではありませんが、少なくとも学問や勉強によってではなかったことは確かです。『使徒言行録』4章13節には、ペトロが「無学で普通の人」であったと書かれています。彼らは信仰の学問に興味をもっていたのではなく、生活の中で感じる魂の飢え渇きを満たしてくれる何かを真剣に求めていたのであります。
イエス様との出会い
 そして、ペトロとアンデレの兄弟は、漁師の仕事を休み、洗礼者ヨハネのもとに来ました。そこに神様の導きがあったことは確かでありまして、ちょうど時を同じくしてイエス様も洗礼をお受けになるためにヨハネのもとを訪れるのであります。イエス様が洗礼を受けたまさに時に、ペトロとアンデレがそこにいたかどうかわかりませんが、少なくともベタニアはいたのでありました。

 イエス様がヨハネから洗礼をお受けになった翌日、アンデレはバプテスマのヨハネと共にいました。もう一人、一緒にいたようですが名前は書かれておりません。おそらくこの福音書を書いたゼベダイの子ヨハネでありましょう。だとすれば、彼もガリラヤ湖の漁師であり、ペトロやアンデレの仲間でありました。ヨハネの兄弟であるヤコブの名が出てきませんが、どこかにいたのかもしれません。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネ、この四人がそろってバプテスマのヨハネのもとに来ていたということは十分に考えられることです。

 ともあれ、イエス様が洗礼をお受けになった翌日、アンデレとゼベダイの子ヨハネは、バプテスマのヨハネと共にいました。するとそこにイエス様が通りかかられます。それを見て、バプテスマのヨハネは、二人に「見よ、神の小羊」とイエス様を指し示すのです。「ああ、そうですか」とぼんやりと眺めて、イエス様をそのままやり過ごしてしまう可能性もありましたが、彼らはすぐに反応しました。二人の前を通り過ぎていこうとするイエス様の後を追いかけていったのです。

 するとイエス様もお気づきになって立ち止まり、振り返って彼らに「何を求めているのか」とお訊ねになります。彼らはドギマギしながら「先生、どこにお泊まりですか」と尋ねます。イエス様は二人に「来なさい、そうすれば分かる」とお答えになりました。彼らはいわれるままイエス様の後をついて行きます。そして、その日、彼らはイエス様の泊まっておられるところに、一緒に泊まるのです。

 これが35-40節に書かれているお話でありますが、ここで注目したいのは「見る」という言葉です。バプテスマのヨハネはイエス様を見つめます。そして、二人の弟子に「見よ、神の小羊だ」といいます。イエス様は、二人の弟子がついてくるのを見ます。二人の弟子は、「どこにお泊まりですか」と尋ねます。イエス様が「来なさい」というのでついていくと、イエス様の泊まっておられるところを、彼らは見たと書いてあります。

 それにしても、この最後の部分の「彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た」という言葉は、ちょっと妙な言い回しです。「イエス様が泊まっておられるところが分かった」とか、「知った」、「確かめた」という言葉を使う方が自然です。けれども、わざわざ「見た」という言い方をしているところに意図的なものを感じます。

 「見る」というは、「百聞は一見にしかず」なんていいますが、体験するという意味が込められています。イエス様との出会いというのは、勉強したり、思案に暮れているだけで起こることではなく、生活の中で「ああ、これがイエス様の恵みだ、救いだ、ここにイエス様がおられるのだ」という体験することなのです。そう考えますと、「彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た」というのは、「ああ、ここにイエス様がおられのだ」という、深い恵みの体験をしたという意味が込められているのではないでしょうか。

 その体験は、とても自分一人の胸のうちにしまっておけるようなものではありませんでした。私達も素晴らしい経験をしたら、必ず誰かそれを話したいという気持ちに迫られます。それと同じです。アンデレは、「まず自分の兄弟ペトロに会って」とあります。この素晴らしいニュースを、福音を、自分の愛する兄弟に伝えたいという気持ちが読み取れます。そして、「私達はメシアに出会った」と興奮気味に告げ知らせ、いそいそと彼をイエス様のところに連れてくるのであります。

 つまり、ペトロは、兄弟アンデレを通して、イエス様に出会ったということになります。弟から兄へと伝えられる。あるいは子供から親に伝えられる。妻から夫に伝えられる。小さき者から大いなる者に伝えられる。無学の者から学問のある人に伝えられる。福音の伝達にはそういうことがたくさんあるのです。

 そして、こう書かれています。

 イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファー『岩』という意味―と呼ぶことにする」といわれた。

 「イエスは彼を見つめて」とあります。今日の説教題は「メシアとの出会い」でありますが、実はここにはペトロがイエス様に出会ったと書いていない。イエス様がペトロと出会って下さったと書いてあるのです。「イエス様との出会い」というのは、私達の方からイエス様を探して見いだすというよりも、イエス様の方が私達を探していて下さり、見いだして下さり、招いて下さり、出会って下さる、そういう恵みの体験をするということなのであります。

 そして、その時から、ペトロの新しい人生が始まるのです。人生の新しい出来事の最初の一つは、彼が「ケファ」(ギリシャ語名ではペトロ)という新しい名前が与えられたことでありました。ここに、ヨハネの子シモンは、私達がよく知るペトロとして生まれたのであります。

 ケファ、あるいはペトロとはどういう意味があるのか、そのことについては別の機会にお話しをすることにいたします。今日は、彼がイエス様に出会う以前から神様に導かれ、備えられ、そしてついにイエス様によって見いだされる者となったということを、私達にも与えられている主の恵みと重ね合わせて感謝したいと思います。
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