041

「彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである」

(旧約聖書 『創世記』13章6節から)
 旅の仲間であったアブラムとロトは、お互いの財産が多すぎたためにトラブルが起こり、別れて住むことになりました。財産を守ろうとすると、友を失うことがあります。財産を人に喜ばれるために用いて、友を得ましょう。

042

「夜、歌を与える方」

(旧約聖書 『ヨブ記』35章10節から)
 悲しみの夜、迷いの夜、失望の夜・・・それは苦しくて辛い人生の夜でありましょう。しかし、多くの人は、そのような時こそ真剣に祈り、神様との素晴らしい出会いを果たしてきました。神様は、夜の間に賛美の歌を教えて下さる方なのです。

043

「わたしたちはどうしたらよいのですか」

(新約聖書 『使徒言行録』2章37節から)
 ペトロの説教を聞き、心を打たれた人々は、「どうしたらいいのですか」と尋ねました。そして、さらに教えを乞い、洗礼を受け、救いを得たのでした。頭を垂れ、神様に「どうしたらいいのですか」と尋ね求めるところから、信仰の道が始まるのです。

044

「今、光は見えないが、それは雲のかなたで輝いている」

(旧約聖書 『ヨブ記』37章21節から)
 神様を信じていても、自分が分からなくことや、神様が分からなくことがあります。けれども、やがて風が吹き、雲を去らせると、再び光があなたを照らすでしょう。たとえ雲に覆われていても、そこに神様がいらっしゃらないわけではないのです。

045

「その倒れ方がひどかった」

(新約聖書 『マタイによる福音書』7章27節から)
 イエス様の譬え話から。賢い人は岩の上に家を建て、愚かな人は砂の上に家を建てました。雨が降り、風が吹き、川があふれた時、砂の上に建てられた家は倒れてしまいます。人生には嵐があります。そんな時に、あなたの人生の土台は、しっかりとあなたを支えてくれますか?

046

「善を求めよ、悪を求めるな」

(旧約聖書『アモス書』5章14節)
 世の中では、悪いことやずるくいことをしている人の方がたくましく、賢く生きているように思える時があります。実際、そういう人たちはうまくやっている場合が多いのです。しかし、「うまく生きる」ことは決して「よく生きる」ことではありません。「よく生きる」ことを求めましょう。たとえ損をするようなことがあっても、悪い事やずるい事を退けて、真面目に、正直に人生を生きるべきです。神様はそのような人の人生にこそ、確かな報いを与えてくださいます。

047

「塵の中に住まう者よ、目を覚ませ、喜び歌え」

(旧約聖書 『イザヤ書』26章19節から)
 塵の中に転がっている石ころのような私たちにも、神様の愛が注がれています。身の回りの状況に失望した時も、天の神様に心の目を向けて希望を持ちましょう。

048

「このことが分かり、その通りに実行するなら、幸いである」

(新約聖書『ヨハネによる福音書』13章17節)
 ウィンドウショッピングは楽しいものです。しかし、代価を払わなければ何ひとつ自分のものにはなりません。御言葉も同じです。読んで感心するだけでは、自分の祝福にならないのです。御言葉の祝福を手に入れるためには「行動」という代価を支払う必要があります。

049

欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。

(新約聖書『ヤコブの手紙』1章15節)
 幸せになりたいならば欲を捨てることです。欲を持つと、人間は足りないものばかりに目を向けるようになります。今あなたにあるものを数えてみましょう。それらすべては決して当たり前のものではなく、神様からの贈り物なのです。それが分かれば、あなたはきっと満ち足りた幸せを味わうでしょう。

050

見よ、あなたの救いがすすんでくる。

(旧約聖書『イザヤ書』62章11節)
 「働けど 働けど わが暮らし 楽にならざり じっと手を見る」 啄木ならずとも、じっと手をみてため息をついてしまう経験は誰にもあるのではないでしょうか。しかし、自分の手ではなく、神の御手から救いが来るのです。自分の手を見ていても失望するだけ。神の御手を「じっと見る」ところに希望が生まれます。

051

人は、自分を打ち負かした者に服従する。

(新約聖書『ペトロの手紙二』2章19節)
 神の御手に打たれる時があります。しかし、それは神様があなたの魂を完全に勝ち取ろうとしてくださっている時です。人はサタンに打ち負かされるなら、サタンに服従する者になります。神様にはそれが我慢なりません。この世の親でも、子供が嘘つきになり、泥棒になり、人殺しになっていくのを黙ってみていることができないではありませんか。あなたを打つ神様の御手には、あなたを救う恵みも握られているのです。

052

マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。

(新約聖書『ルカによる福音書』10章39節)
 イエス様が、マルタとマリアの姉妹を訪問なさった時のことです。マルタはもてなしの為に忙しく働き、マリアは座って主の話に聞き入っていました。つい忘れがちなことですが、マリアのようにお客様の話を注意深く、耳を傾けて聞くということは、その人に対する最大の歓迎のしるしです。客様が一番喜ぶことであり、愛に満ちたもてなしなのです。人の話を熱心に聞くということが愛の第一歩だと言っても良いでしょう。

053

キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。

(新約聖書『ローマの信徒への手紙』15章7節)
 教会にはいつも喜びに満ちた人と悲しみに満ちた人がいます。それが教会というものなのです。喜ぶ人は主によって喜んでいますし、悲しむ人も主によってうち砕かれているのです。ですから形はちがっても、お互いのうちに主が共にいてくださることを信じ、喜ぶ者は悲しむ者と共に悲しみ、悲しんでいる者は喜ぶ者と共に喜び、お互いに主の家族であることを感謝し合いましょう。そこに教会の聖霊による交わりがあるのです。

054

ついに、
  これこそわたしの骨の骨
  わたしの肉の肉

(旧約聖書『創世記』2章23節)
 アダムはいつも寂しいそうでした。それで神様はアダムが寝ている間にあばら骨を抜き取って、それでエバを造りました。目を覚ましてエバを見つけた時、アダムは感激のあまり、「ついに、これこそ私の骨の骨、肉の肉!」と叫びます。「ついに」とは、今までずっと探し求めていたものが、そこにあったということです。何を探していたのでしょうか。「私の骨の骨、肉の肉」、つまり自分自身です。自分は何のために生まれてきたのか? 何のために生きるのか? アダムの「自分探しの旅」は、自分と向き合って生きる愛すべき相手を見いだした時、その答えに到達したのでした。人は独りで生きることはできないのです。

055

元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれひとりとして命を失う者はないのです。

(新約聖書『使徒言行録』27章22節)
 神様は、「あなたは嵐に遭うことはない」とも、「あなたは何も失うことはない」とも言ってくださいません。神様が約束してくださっているのは、「嵐に対する平安」ではなく「嵐の中の平安」です。どんな嵐にあっても、何を失っても、あなたは必ず守られ、主の備え給う港に安全に上陸することができる、その保証が神様の約束です。だから、嵐にもまれても、何かを失っても、希望を捨てず、元気を出しましょう。

056

「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」

(新約聖書『ヨハネによる福音書』10章32節)
 これまで、イエス様は実に多くの愛をもってあなたを愛してくださったはずです。それなのに何か不都合が起こると、たちまち天に見放されたような恐れ、嘆きにとらわれてしまうのは一体どういうわけなのでしょうか。イエス様は驚き、悲しみ、こう言われるに違いありません。「友よ、私は今まであなたを決して裏切らなかった。どうしてわたしの愛を信じないのか」 イエス様の愛はどんな時もあなたを離れません。どんな不都合が起きても、それを信じ続けるべきです。それが信仰というものなのです。

057

「弟子たちは主を見て喜んだ」

(新約聖書『ヨハネによる福音書』20章20節)
 弟子たちの喜びのすべては、主を見ることにありました。最初、弟子たちは肉眼で主を見ることにより喜びましたが、聖霊を受けた後にはたとえ肉眼で見ずとも、常に心眼をもって主を見ることを得て、どんな時にも喜ぶことができたのでした。主は復活して今も生きておられます。聖霊が私たちの目を開いてくださり、その事実を見せてくださるように祈り求めようではありませんか。

058

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」

(新約聖書『マルコによる福音書』1章15節)
 「どこにあるのか」「どうすればいいのか」「本当にあるのか」・・・そのように考えるから、余計に天国の分からなくなり絶望に陥ります。しかし、イエス様は「天国の方からあなたに近づいてくる」と言われたのでした。天国の方から来てくださるなら、もう道に迷う必要はありません。天国の方が私を捜し出し、私を見つけ、私のところに来てくださるのです。必要はなことは信じて待つことです。それが福音を信じるということなのです。

059

「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな」

(新約聖書『マタイによる福音書』10章30-31節)
 神様は世界の歴史をお導きなさるような偉大な御方でもあられますが、私たちの小さな歴史、日々の生活までも導き、お支え下さる御方です。イエス様は「あなたの神様は、あなたの髪の毛の数までご存知でいてくださるのですよ」と教えてくださいました。そんな細かなことにまであなたに関心を持ってくださる神様なのですから、あなたの心配や悩み、病気や悲しみについて神様が関心をもっておられないはずがありません。そして、あなたの祝福、あなたの最善の道について考えていてくださるのです。

060

「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」

(旧約聖書『創世記』9章13節)
 もう随分長い間見ていませんが、子供の頃にはよく雨上がりの空にかかる大きな虹を、喜びをもって眺めたものです。この虹は、「あなたを決して滅ぼさない」という神様の約束のしるしであり、私たちの望みであると、聖書に言われています。私たちの人生から晴れ間が消え、鉛色の雲が重くのしかかるような時にも、神様がその雲の中に虹を置き、雨上がりの空に七色に輝く美しい天の架け橋を見せてくださると、神様は約束してくださったのでした。

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