021

 マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

(新約聖書 『ルカによる福音書』2章19節から)
 イエス様のお母様となされたマリアは、そのために悩んだり、胸を剣で刺し貫かれるような悲しみを経験しました。しかし、マリアはその一つ一つを黙って心に納めていたと言います。理解できないことも、割り切れない思いも、すべて主のはしためとして「汝の言葉のごとく我になれかし」と祈りをもって受け止めていたのです。

022

 主よ、あなたの道を教えて下さい。

(旧約聖書 『詩編』86編11節から)
 思い通りにいかないことが多くて疲れ切っている人はいないでしょうか。もちろん、人生は思い通りにいかないこともあるのです。しかし、それが神様が祝福して下さる道あらばそれを感謝して歩むことができます。大切なのは自分の思い通りにすることではなく、神の与え給う自分の人生を知ることなのです。

023

 良くなりたいか。

(新約聖書 『ヨハネによる福音書』5章6節から)
 38年間もの長きにわたって病に臥している男性に向かって、イエス様は「良くなりたいか」と聞かれます。幾重もの絶望を嘗めてきたこの人は「良くなりたい」という祈りさえも忘れていました。しかし、イエス様は「あなたにそれができるか」と聞かれたのではなく、「あなたはそれを望むか」と聞かれるのです。

024

 わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。

(旧約聖書 『列王記上』20章5節から)
 「涙を見た」というお言葉に、神様の優しさがあります。神様は私たちの悲しみを知って下さるお方。それをお見過ごしにならない憐れみ深いお方なのです。涙を流して、神に祈りましょう。

025

 わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。

(新約聖書 『ルカによる福音書』22章32節から)
 イエス様は、私たちの信仰がサタンの試み遭うことを知っておられます。しかし、イエス様は「試みに遭わないように」とは祈られませんでした。「試みに遭っても信仰がなくならないように」と祈られたのです。試みに遭うことは避けられませんが、主は私たちが弱いときにも強くいてくださいます。

026

 わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

(新約聖書 『マタイによる福音書』25章40節から)
 あなたの近くに困っている人はいませんか。孤独な人はいませんか。悲しんでいる人はいませんか。この世で弱く小さな人々をあなたが愛するなら、それがイエス様を愛するということなのです。

027

「体のともし火は目である。目が澄んでいればあなたの全身が明るい」

(新約聖書 『マタイによる福音書』6章22節から)
 目というのは、自分の心を映すものではなく、自分の外にあるものを映すものです。澄んだものを見れば、目が澄み、心も澄んだものとなります。濁ったものを見れば、目が濁り、心も濁るのです。どうか、主があなたの目を開いてくださるように。そして、あなたの周りになる主の恵みの御業を見ることができますように。

028

「信じます。信仰のないわたしをお助けください」

(新約聖書 『マルコによる福音書』9章24節から)
 「信仰のないわたし」ではなく、「信じます」という一粒の信仰が先にあることが大切です。どんなに不信仰が大きくても、その中に埋もれている一粒の信仰に生きようとするならば、あなたは確かに信仰者であり、その信仰は神様の豊かな恵みを受ける器となるのです。

029

「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」

(旧約聖書 『詩編』121編2節から)
 自分に何ができるか? 自分は何をしてきたか? 世の中は自分に何をしてくれるのか? そのようなことを考えて気がふさいでいる人はいませんか。あなたの救いは自分や他人にあるから来るのではありません。神様がしてくださったこと、神様がしてくださることに目を向けましょう。救いはそこから来ます。

030

「昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです」

(旧約聖書 『詩編』74章16節から)
 人生のうちには明るさの中を歩むときもあれば、暗さの中を歩くときもあります。しかし、暗さの中に神様がいらっしゃらないのではありません。夜をお造りになったのも、それをご支配していてくださるのも神様なのです。ですから、暗さの中を歩む時も、「夜もまた汝のものなり」と賛美しつつ歩みたいものです。

031

「マリアは良い方を選んだ」

(新約聖書 『ルカによる福音書』10章42節から)
 私たちは日々迷いながら、悩みながらいろいろな選択をします。買い物、ビジネスチャンス、進学、就職、結婚・・・人生はそのような選択の積み重ねによって築かれていくのです。そうだとすれば、「あなたは良い方を選んだ」というイエス様のお言葉は人生最大の祝福の言葉だと言わなければなりません。イエス様の導きに身を委ねるならば、あなたもこの祝福をいただけるのです。

032

「『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」

(新約聖書 『ヘブライ人への手紙』3章13節から)
 みなさんの「今日」はどんな日でしょうか。喜びの日でしょうか。悩みの日でしょうか。どんな日であれ、今日を大切に生きなければ希望に満ちた明日はありません。喜びの日には心から喜び、悩みの日には一所懸命に悩み、決して「今日」という日から逃げないことが、今日を大切にすることです。

033

「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」

(旧約聖書 『創世記』15章6節から)
 アブラハム(アブラム)は、キング牧師のように抑圧された人々と共に戦った人でもなければ、マザー・テレサのように愛の奉仕に献身した人でもありません。偉大な説教者でもなく、伝道者でもなく、学者でもありませんでした。彼はただ神を信じた人間として聖書の中に存在します。そして、神様は、それでいいのだと言われたのでした。

034

「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」

(旧約聖書 『創世記』1章31節から)
 戦争、差別、貧困、病、犯罪・・・。世界には多くの悲しみが満ちています。しかし、神様はもともとこの世界をとても素晴らしい世界としてお造りになったと、聖書は語っているのです。そこに私たちも希望もあります。

035

「あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」

(旧約聖書 『創世記』15章1節から)
 神様を信じて従う生活には必ず大きな報いがあると言われています。悩みや悲しみがないわけではありません。しかし、良い事も、悪いことも、あなたに与えておられるのは神様なのです。神様は、愛をもってすべてのことを織りなして下さいます。そして、最後には必ず美しい布に仕上げて下さるのです。

036

「恐れるな、アブラムよ、わたしはあなたの盾である」

(旧約聖書 『創世記』15章1節から)
 聖書には、神様が人間に「恐れるな」と繰り返し呼びかけておられことが書かれています。それほど人間は幾多の恐れに満ちているものだということでしょう。しかし、神様を信じれば恐れは消えます。どんな大きな恐れよりも、神様は偉大なのです。

037

「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい」

(新約聖書 『ヤコブの手紙』5章13節から)
 祈りは気休めではありません。祈りは、天の祝福をこの地に呼び下すために、もっとも有益な働きです。もし、あなたがイエス様を信じて神様の子どもとなるならば、自分のためにも、愛する人のためにも、この世界のためにも、そのような祈りができるのです。

038

「人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」

(新約聖書 『フィリピの信徒への手紙』4章7節から)
 神様を信じる人の生活は、人知を越えた神様のお守りによって守られています。私たちの思いが最悪のことしか考えられないような時にも、神様は最善のことをなしてくださるのです。

039

「恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国を与えて下さる」

(新約聖書 『ルカによる福音書』12章32節から)
 「恐れるな」とは、心配するなという意味です。あなたの天の父である神様は、あなたを愛し、心からあなたに天の祝福を与えようと願っていて下さいます。心配してくよくよするのではなく、神様の愛を信じましょう。そして、希望を持ちましょう。

040

「根がないために枯れてしまった」

(新約聖書 『マタイによる福音書』12章6節から)
 

 人の目を気にしている時ではなく、人の目から隠された所で、あなたはどんな生活をしているでしょうか。それが、あなたの人生を支える「根の生活」となります。しっかりとした根を持たなければ、あなたは人生の試練にどうやって耐えていくことができるでしょうか。隠れたところでの生活を大切にしてください。

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日本キリスト教団 荒川教会 牧師 国府田祐人 電話/FAX 03-3892-9401 Email: yuto@indigo.plala.or.jp