心くじけた、貧しい人の祈り

  祈り。心くじけて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩。

旧約聖書『詩編』102編1節

 心くじけた人の祈り

  詩編102編には「心くじけて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩」という但し書きが付けられています。どの詩編にも但し書きがありますが、これほど心に響くものは他に見ることができません。私の祈りなど、いつもこの祈りだと言ってもよいかもしれません。心くじけて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の祈り。なんと私の心を言い当てた言葉でありましょうか。

 孤独の惨めさ

 心くじけるとき、決まって私を襲うのは孤独感です。誰も自分の気持ちを分かってくれない。自分だけが頑張っている。自分だけが耐えている・・・。実際はそうではありません。多くの人が私の事を心にかけ、愛し、祈っていてくれています。しかし、自ら孤独の悲しみの中に閉じこり、寂しさを抱きしめ、自分を憐れみ、周囲の人々に対して恨みを感じたり、攻撃的な気持ちすら感じたりしてしまうのです。その惨めさを、102編の詩人は自分でも分かっていて、このように描写します。

 「わたしの生涯は煙となって消え去る。
  骨は炉のように焼ける。
  打ちひしがれた心は、草のように乾く。
  わたしはパンを食べることすら忘れた。
  わたしは呻き、骨は肉にすがりつき、
  荒れ野のみみずく、廃虚のふくろうのようになった。
  屋根の上にひとりいる鳥のように、
  わたしは目覚めている。」(4-8節)

 廃墟のふくろうのようになった・・・詩人の寂寥感、孤独感、惨めさが我が事のように伝わってきます。

 主の御前に思いを注ぎ出す祈り

 しかし、これは祈りなのです。愚痴ではありません。恨み節でもありません。自嘲でもありません。心くじけて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の祈りです。誰一人、他人を受け付けないような心になっても、神様を友とし、その惨めな貧しき心を余すことなく注ぎ出す事ができる。そこに、この詩人の、また私たちの救いがあります。
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