ヨセフ物語 01
「人生の背後に天の織物師が立つ」
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書  ローマの信徒への手紙8章18-30節
旧約聖書 創世記37章1-11節
「雨ニモ負ケズ」の人生
 今日から、ご一緒に『創世記』のヨセフ物語を学んでまいりたいと思います。みなさんは、この物語をご存じでありましょうか。これは実に数奇な運命を辿りながらも、驚くべき気高さをもって生きた一人の人間の物語であります。ヨセフの人生を言い表す場合に、「気高い」という言葉が一番適切な言葉がどうかはちょっと自信がないのですけれども、私がイメージする人間の気高さとは、高貴な身分で何の苦労も知らず優雅な生活を送ることではありません。たとえば、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を思い起こしていただいてもよいと思うのです。

 雨ニモ負ケズ
 風ニモ負ケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 欲ハナク
 決シテ瞋(いか)ラズ
 イツモシズカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ陰ノ
 小サナ萱ブキノコ小屋ニヰテ
 東ニ病気ノコドモアレバ
 行ッテ看病シテヤリ
 西ニツカレタ母アレバ
 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
 南ニ死ニソウナ人アレバ
 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
 北ニケンクヮヤソショウガアレバ
 ツマラナイカラヤメロトイヒ
 ヒデリノトキハナミダヲナガシ
 サムサノナツハオロオロアルキ
 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 ソウイフモノニ
 ワタシハナリタイ

 宮沢賢治がいったい誰をモデルにこの詩を書いたのかははっきりしていませんが、賢治と親交の深かった斉藤宗次郎というクリスチャンだったというのが、有力な説となっています。斉藤宗次郎は岩手県花巻の曹洞宗のお寺に生まれましたが、師範学校に入り、小学校の教師になりました。その頃、内村鑑三の著書に深い感銘を受け、キリストを信じ、洗礼を受けました。岩手県下第一号のクリスチャンだったといいます。しかし、時代は切支丹禁制の高札が除かれてまだ二十数年という明治のこと。彼は激しい迫害にあうことになります。人々から「耶蘇」「国賊」と呼ばれ、教師をクビになり、石を投げられ、親から勘当され、長女の愛子ちゃんはヤソの子供と呼ばれ、腹を蹴られ、それが元で腹膜炎を起こし、わずか九歳の命を落としてしまったのでした。

 こんな目にあったら、どこかへ逃げ出してしまいたいと思うのが人の常だと思うのですが、宗次郎は違いました。彼は牛乳配達と新聞配達をはじめ、朝3時に起き、一日四十キロの道のりを、それこそ雨の日も、風の日も、雪の日も、毎日配達しながらキリスト教の伝道をはじめたのです。配達の途中、雪が積もると小学校への通路を雪かきして道をつけ、ポケットには飴玉をたくさん入れていて子供に出会うとその飴玉を出してやる。病気の人がいるとお見舞いに寄り、慰め、励まし、祈り、いくばくかの喜捨をしてまた配達に戻る。そのようにして、彼は花巻中を毎日走り回ったというのですから驚きです。

 そして、配達を終わった後、時間があるときには宮沢賢治が勤めていた花巻農学校に立ちより、賢治と親しく語っていたといいます。彼こそ、東に病気の子供あれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負いという宮沢賢治の詩にあるようなことを普通にやっていた人間だったのです。

 しかし、1926年(大正15年)、宗次郎は、内村鑑三のそばで仕えるために、東京に移転することを決意しました。花巻の地を離れる日、そこには、宮沢賢治をはじめ、かつては迫害をした人々、町長、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほどが詰め寄せ、尊敬と親愛の情をもって宗次郎を見送りました。

 私がイメージする気高い人とは、このような人のことです。どんな不幸を経験しても、人を恨むことなく苦難を耐え忍び、いじけることなく希望を持ち続け、不平を言わず自分の重荷をしっかりと負い、しかも自分のことだけではなく人々のためにも精一杯に生き、自分の罪に対しては潔癖でありながら人の罪は寛大な心をもってゆるし、人々を幸せにしてくような生き方ができる人、これからご一緒に学ぼうとしているヨセフもまた、そのような「雨ニモ負ケズ」の人生を生きた気高い人であったのです。
裾の長い晴れ着
 まず、今日お話ししたいことは、ヨセフが非常に複雑な家庭環境の中で育ったということであります。この複雑な家庭を作り出していた一番の元凶は、父ヤコブでありました。ヤコブはアブラハムの子イサクとリベカとの間に生まれた子でありまして、アブラハム、イサク、ヤコブと並び称されるイスラエルの祖先でありました。そもそもイスラエルという名は、ヤコブが神様からいただいた名前です。ですから、今日お読みしましたところでも、1節、2節ではヤコブという名で呼ばれていますが、3節ではイスラエルと呼ばれています。

 ただヤコブは、非常に灰汁の強い人物で、お父さんやお兄さんを騙して家督を継ぎます。当然、兄エサウの激しい怒りを買うことになり、母リベカの実家に逃げ込み、そこで羊飼いの仕事をして暮らすのですが、そこでも叔父ラバンを騙して財産をもうけたりいたします。しかし、家庭を複雑にした最大の原因は、ヤコブの結婚にあったといえましょう。ヤコブにはレア、ラケルという二人の正妻と、ビルハ、ジルパという二人の側女という四人もの妻がいたのです。

 旧約聖書では、このような一夫多妻が容認されていますが、それは決して神様の御心ではありませんでした。アダムとエバの結婚では、「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」といわれています。これが神様の定め給う結婚なのです。現実には一対一の夫婦でも一体となることが難しいというのに、相手が二人も三人もいたら、とても一体になることはできないでありましょう。事実、ヤコブについても、聖書には「ヤコブはレアよりもラケルを愛した」(『創世記』29章30節)、「主はレアが疎んじられているのをみた」(『創世記29章31節』)と、はっきりと書かれています。また、危険な道を行く時には、ヤコブは真っ先に側女とその子供たちを真っ先に行かせ、次にレアとその子供たちを行かせ、一番終わりにラケルとその子供(ヨセフ)を行かせた、ということが書かれている箇所もあります(『創世記』33章1-2節)。一つとなるべき家庭の中でこのような偏愛と差別が行われていては、とてもみんなが仲良く暮らせるはずがありません。これはヤコブだけの話ではなく、アブラハムも、ダビデも、ソロモンも、複数の妻を娶ることによって家庭がバラバラになり、大きな不幸を背負ったということが聖書に書かれているのです。

 さて、ヨセフの育った家庭についてもう少し具体的なお話しをしましょう。ヤコブの四人の妻は、それぞれヤコブの寵愛を受けるために競い合うようにして子を産みます。レアはルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ディナ(女)、ラケルの女奴隷はダンとナフタリ、レアの女奴隷はガドとアシェルを生みます。こうして、ヤコブには十人の男の子と一人の女の子をもうけるのですが、皮肉なことにヤコブがもっとも愛したラケルにはどうしても子供が生まれませんでした。ラケルは多くの子を産んだレアをねたみます。レアもヤコブの愛を独り占めしているラケルをねたみます。そういうやりとりが聖書には生々しく描かれていますので、お時間のある時にぜひ読んでみてください。

 さて、ヨセフは、ラケルがようやく子宝に恵まれて生んだ子でありました。ラケルはもちろんのこと、ヤコブもどれほど喜んだことでありましょうか。ヤコブは露骨にヨセフを寵愛しました。ラケルは、もう一人ベニヤミンという男の子を産みます。ヨセフとは多少年が離れていたと思われますが、この時のお産で、ラケルは命を落としてしまいました。そして、このことがヨセフに対するヤコブの溺愛にいっそう拍車をかけたと思われます。ヤコブは異常なまでにヨセフを偏愛し、ヨセフだけに特別にあつらえた長いガウンを着せいていたというのです。

 今日、お読みしましたところにあるのは、すでにヨセフが17歳になっている時の話でありますが、ヤコブのそのお露骨な偏愛ぶりについて、このように記しています。

 イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。(3節)

 「裾の長い晴れ着」とは、裾が地面に着くほどの長い純白の亜麻布でできたガウンのことです。このような着物を着るのは、金持ちや、貴族、王の息子たち、そのように生活のために汗水垂らして働く必要のない人に限られていました。そうでない人たちは、動きがとれない長い服など着ませんでしたし、汚れが目立つ白い服も着ませんでした。羊飼いをしていたヨセフのお兄さんたちは、間違いなく短い色物の服を着ていたと思われます。彼らは、野山を歩き回り、這いつくばり、羊を抱き上げたり、担いだり、しばしばオオカミとも戦わなければならなかったからです。

 それなのに、お父さんがヨセフだけに裾の長い晴れ着を着せたということは、お兄さんたちの目には、あるいはレアの目には、どう映ったことでしょうか。お父さんは、私たちだけにきつい仕事をさせて、ヨセフには決して困難で危険の伴う重労働をさせないつもりだ。お父さんは、ヨセフさえいれば、自分たちは野山で死ぬことがあってもまったく構わないと思っているのだ。自分たちはお父さんに愛されていないのだ。こんな風に思ったに違いありません。

 兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。(4節)

 このように書かれているのも、まったく仕方がないことだったと思わざるを得ません。

 ただ、考えてみればヨセフもかわいそうなのです。ヨセフは幼い時に母親を亡くし、まもなくおばあちゃんであるリベカ(ヤコブの母)も死んでいます。その上、お父さんの依怙贔屓のせいで、兄さんたちの余計な嫉妬を買い、ベニヤミンはまだ小さい。2節には、「側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた」とあります。これは、正妻レアの息子たちからはまったく相手にされなかったというヨセフの孤独の裏返しだとも読めます。

ヨセフの告げ口
 このようにバランスを欠いた愛を受けた子供は、いったいどのような子として育つのでしょうか。傲慢になり、わがままになり、人の気持ちを慮るような繊細さを失い、やはりバランスを欠いた人間になってしまうのではないでしょうか。そんな一面が現れているのが、ヨセフの告げ口の話だと思うのです。

 まず、告げ口の話ですが、2節に「ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した」とあります。どんな告げ口であったのかはわかりませんが、ありもしないことを言ったのではなく、何かしらお兄さんたちがお父さんに体して不正を働くようなことをしていたのでありましょう。

 これを、ヨセフの正義感として好意的に受け取る人もあります。しかし、私はやはり告げ口というのはあまり褒められたものではないなと思うのです。特に家庭の中ではそうです。教会の中もそうです。友人たちのグループでもそうです。そのように愛による一致が求められる場所では、正義を振りかざすよりも、「愛をもって罪を覆う」(『箴言』10章12節)ということが必要なのです。愛をもって罪を覆うとはどういうことでしょうか。

 止揚学園という重度の知能障害児の施設をなさっている福井達雨さんが、施設で経験したこんな話を書いておられます。

 「先日、こういうことがありました。今年(2005年)十一月、十二月に、この止揚学園は、ある高校で問題を起こして、無期停学になった生徒たちを何人か、次々と預かりました。三日程前までその中の一人の高校生がいたのですが、その生徒はいじめをして停学になり、ここにやって来ました。ここに来た時に、私たちの仲間が『何してきたん?』と聞きました。そうしたら彼がこういう風に答えました。『いじめをしたんや』『どうして?』『僕は部活はサッカーをしていて、そのサッカーの練習の時に、チームの一人が寝坊をして遅れて来たので、それを厳しく注意しているうちに、十人ほどでいじめをしてしまった。その人を叩いたり殴ったりしてしまったにゃ。そやから、僕は今、学校を休んでいるんや』 彼はこういうふうに説明しました。そしたら少し話が出来る私たちの仲間がポツンと言いました。『あんなあ、ぼくやったら迎えに行って、起こして、連れてきてやるわ』おそらくこの言葉を聞いて多くの人たちは『何をアホなことを』と思い、無視してしまう、そんな単純な言葉だと思います。しかし、私はこの言葉のなかに、本当に深い意味、現代の私たちが欠かしている心があるような気がするんです。
 この高校生は、自分の「感情」で、「正義」で、遅れてきた自分の仲間をいじめました。それを見た多くの人たちは『遅れてきた生徒が悪いから、いじめられても仕方がないやないか』と考えるのではないかと思います。しかし、正義と言うものはとても恐ろしいものですね。なぜかというと、自分が正しくて相手が悪いという形でものを責めていきますから、最後は人の生命を侵すようになってしまうと思うんです。私たち人間は「正義」という言葉が好きです。・・・しかし私たちは、正義はもちますが、愛はなかなかもてません。そういう中で「正義」でいじめがおこなわれてしまうんです。それに対して私たちの仲間は、『迎えに行って、起こしてやるわ』と言いました。」(「負けいくさにかける」、『止揚』69号より)

 寝坊して約束の時間に遅れるということは、他の人たちにいろいろな迷惑をかけることですから、悪いことです。しかし、悪いことを悪いと言って罰するような正義感は、仲間の絆を強くするでしょうか。決してそうはなりません。逆に仲間をバラバラにしてしまうことになるでしょうし、実際、そうなってしまったのです。世の中には正義も大事です。正義だけでは解決しないことがあるのです。そういう問題は愛によって解決するのです。愛とは、人を責めるのではなく、「迎えに行って、起こしてやるわ」という言葉に現されているように人をカバーしてやることです。

 もっとも、愛だけあればいいという話ではありません。正義というのは一種の公平感でありまして、その公平感のないヤコブの愛がこの悲劇を生んだことは事実なのです。大切なのは正義と愛のバランスだと思います。人の罪を見聞きした時は、責めるだけではなく、カバーすることも必要なのだという感覚をもっていることが必要なのです。ヨセフは、ヤコブの溺愛のせいで、そのようなバランスを欠いた人間になってしまっていたのではないでしょうか。
ヨセフの夢
 さらにもう一つ、ヨセフの夢があります。一つは、お兄さんたちの麦束が真ん中に立つヨセフの麦束にお辞儀をしたという夢です。もう一つは、太陽と月と十一の星が自分を囲んで拝んでいるという夢です。太陽はお父さんも、月はお母さん(ヨセフの母ラケルはすでに死んでいるので、おそらくお母さんというのはお兄さんたちの母レアのことでありましょう)、十一の星は11人の兄弟を意味しているのは明白です。それが、みんなが自分にひれ伏すようになるという夢です。このような必ずお兄さんたちの感に障るに違いないような夢の話を、ヨセフは何の気遣いもなく、開けっぴろげに話をしたというのです。これでは、「ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった」(5節)、とあるのもまったく仕方がないことだと思うのです。

 ヨセフは、お父さんの溺愛を受け、自分だけ長い衣を着て生活し、お兄さんたちが汗水流して、泥だらけになって働いているのを見ても、少しも申し訳ないと思わないで、お兄さんたちの言動をあげつらって告げ口したり、いかにも自分がお兄さんたちに勝る人間であるかのような夢の話をしたり、相当に鼻持ちならない性格の持ち主となってしまったようです。私はお兄さんたちに深く同情せざるを得ません。

 さすがにこの夢の件についてはお父さんも厳しくヨセフを叱ったということが書いてあります。夢を見るのは仕方がありません。しかし、人の気持ちも考えないで、このような夢の話を誰彼となく話すことは間違っているということです。 
天の織物師
 しかし、将来のことを申せば、こういうヨセフの性格は、これから起こる様々な試練の中で清められ、整えられていきます。最初にも申しましたように、どんな不幸を経験しても、人を恨むことなく、いじけることなく、不平を言わず、自分の重荷をしっかりと負い、忍耐し、しかも自分のことだけではなく人々のためにも精一杯に生き、自分の罪に対しては潔癖でありながら人の罪は寛大な心をもってゆるし、人々を幸せにしてくような生き方ができる人に変貌を遂げていくのです。

 そして、このように生まれ変わったヨセフのもとに、ヤコブもお兄さんたちがひれ伏すようになり、そこでヨセフと兄弟たちは和解をし、バラバラであった家族がもう一度ひとつになるという夢が実現します。つまり、これは正夢だったのです。ヨセフの夢は決してヨセフの思い上がりから出た夢想ではなく、神さまのご計画の一端を示すものだったということであります。

 ただし、そのようなことが実現していくためには、まず家族の崩壊をも含め、多くの試練、神さまの訓練の道をとおらなければなりませんでした。そういう意味でも、このように神さまに特別に示されたような啓示というのは、軽々に人に話すようなことではなく、まずしっかりと自分の心に留めておくということが大事だと、父ヤコブはヨセフに注意をしたのだと思います。事実、ヤコブ自身、このヨセフの夢を心に留めたとあります。

 さて、今日はヨセフが育ったヤコブの家庭ということをお話ししました。もう一度、4節を見てみましょう。

 兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。(4節)

 「穏やかに」とは、シャロームという平和の挨拶で使われるヘブライ語です。偏愛、嫉妬、憎しみ、告げ口と、人間の醜いドロドロした心によって、ヤコブの家庭の中にシャローム(平和)がなくなり、お互いの心がまったく通じ合わなくなり、崩壊寸前の危機にあることが、ここに描かれているのです。

 そして、これから読んでいくところでありますが、実際にこのヤコブ一家は崩壊してしまいます。37章34-36節はそのことを物語っているのです。

 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。」父はこう言って、ヨセフのために泣いた。一方、メダンの人たちがエジプトへ売ったヨセフは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長であったポティファルのものとなった。

 ヨセフを偏愛したヤコブは、ヨセフを失います。父の愛をヨセフから取り戻そうとしたお兄さんたちは、かえって拒絶されてしまいます。そして、ヨセフはエジプトに売られてしまったのでした。

 ただ、今日はこのような悲劇的な話に対して、「人生の背後に天の織物師が立つ」という、少し希望のある説教題をつけさせていただきました。というのは、この悲劇は、ヤコブの家族の和解と一致に向けた物語の始まりなのです。神様は天の織物師として、様々な運命の糸を巧みに織りなして、すべての悲しみ、悩み、苦難を善なるものにすることがおできになる方なのです。

 しかし、残念ながら、その神様の御業というのは、なかなか私たちの目に見えてこないのです。ヨセフの人生もそうですが、つらいことばかり続き、この苦しみが幸せに変わるとか、終わりではなく新しい神の御業の始まりだといっても、まったくそうは見えないわけです。実は、ヨセフ物語の特徴も、アブラハム、イサク、ヤコブにはあった神の直接的な語りかけ、つまり「どこへ行きなさい、こうしなさい。わたしはこれを約束する」といった神の言葉による導きが一切ないということにもあります。

 ただ、今日お話ししました若き日の夢、それだけがありました。ヨセフは、この夢に隠された神さまのご計画を十分に理解することはできませんでした。しかし、父ヤコブは、それを神のご計画として心に留めよと、ヨセフに忠告を与えます。この忠告は、後のヨセフに大いに役立ったでありましょう。理不尽な運命に翻弄され、奴隷になったり、囚人となったりしながら、ヨセフは自分に与えられた夢、すなわち神さまのご計画というものをいつも心にしっかりと留め、それを慰めとし、希望として堪え忍んだに違いないのです。

 ヨセフは夢を心に留めることによって、運命の背後に働いておられる天の織物師なる神様への信仰、言い換えればすべてのこと相働きて益となるという信仰を持つことができたのです。私たちもまた、ヨセフの人生の背後におられる神さまの物語を読みながら、私たち自身の人生の背後に立つ天の織物師の存在に信仰の目を向けることができるようになりたいと願います。  
目次

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