■ サウルの陣営に忍び込むダビデ
サウル王は野営の中で部下に囲まれて寝ていました。ダビデは従者アビシャイを連れてサウルの野営に忍び込み、王の眠る天幕の前に立ちました。見張りの者たちは油断しきって深い眠りに陥っていてました。
ダビデの従者アビシャイは「今がチャンスです。私がしとめましょう」と、ダビデにささやきます。しかし、ダビデは彼をとめて「殺してはいけない。主が油注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない」と応えました。そして、ダビデと王の槍と水差しを取って、そこを立ち去ったのでした。
サウルの陣営を離れたダビデは、陣営を見下ろす山の上にまで来ると、夜の静寂を破る大声で呼ばわります。サウルは目を覚まし、またしてもダビデが自分の命を見逃してくれた事実を知ったのでした。
「またしても」というのは、24章でまったく同じような経験をしているからです。「わが子、ダビデよ…わたしが誤っていた。愚かであった」とサウル悔い改めます。
■ 共に生きることができない人もいる
しかし、この時、サウルとダビデが手を取り合うことはありません。ダビデは自分の道を行き、サウルは自分の場所に戻っていきます。そして、これがダビデとサウルが個人的に交わった最後となるのです。
人にはそれぞれ自分の場所と自分の道があります。ダビデは自分に敵対しようとしたサウルに対して最後まで決して戦わず、逆に彼の命を大切にしました。彼を退けるのは、ダビデの成すべき事ではなく、神の御手にあることだったからです。しかし、共に手を取り合う仲にもなれませんでした。
誰に対してであれ、人を裁くことは自分の分を越えたことです。それと同時に、残念なことですが、どうしても手を取り合って生きていくことができない人がいるのも事実なのです。自分で決めつけることは禁物ですが、時にはその事実を受け入れることが必要な時にもあるのではないでしょうか。
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