■ 気にしないでください
ダビデはいきり立ってナバルの家を目指しました。そこにナバルの妻アビガイルがあわてて駆けつけてきます。彼女はダビデの前にひれ伏し、贈り物を捧げ、謝罪し、知恵に満ちた言葉で、ダビデの怒りをどうにか鎮めようとして語りかけました。
「あのならず者ナバルのことなど気になさいませんように」
気にしない。確かにそうですが、これがなかなかうまくいきません。他人からみればたわいのないことでも、自分にはそうではないということもあるのです。
■ もっと大きなことをみる
しかし、そこでアビガイルはこう申します。
「主のご用のために召されている人は、もっと大きな事のために行動なさるべきではないでしょうか」
なるほど、私たちが些細なことに拘ってしまうのは心が定まっていないため、志が低いため、神の目的のために生きていないからなのかもしれません。
■ 神の目的に生きる
アビガイルはこうも申しました。「主がお用いになるため召されたのですから、たとえ誰が逆らって立とうとも、主があなたの命を守って下さるでしょう。主ご自身があなたのすべてのことを成就して下さるに違いありません。」
神の目的のために生きているならば、私たちの受ける侮辱は神御自身がすすいで下さるでしょう。必要なものも、神ご自身が備えて下さるに違いありません。ならば、些細なことなど…。
讃美歌第二編に「心を高くあげよう」という歌があります。
「心を高くあげよう
主の御声に従い ただ主のみを見上げて、
心を高くあげよう。
霧のような憂いも、闇のような恐れも みな後ろに投げ捨て
心を高くあげよう」
私たちの心がただ主のみを見上げて、高みに向かっていこうとするならば、小さな事に腹を立てたり、くよくよしたりすることがなくなっていくのです。
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