キリスト教人物小伝(11)
大原孫三郎(1880-1943)

 大原孫三郎は、地方の一紡績会社であった倉敷紡績を大企業に伸長させた実業家です。

 紡績業と言えば『女工哀史』に描かれる女子労働者たちの劣悪な労働環境、苛酷な生活を思い起こす人も多いと思います。『女工哀史』が書かれる20年も前に、大原孫三郎は「従業員こそが会社を発展させる力だ。従業員の生活を豊かにすることは経営者の使命であり、その施策は必ず会社に還ってくる」と言って、女工たちの生活改善に着手したというのですから驚きです。

 その他にも孤児院への資金援助、奨学金制度の設立、病院の開設、美術館の設立など、社会・文化事業に惜しみなく財をつぎこみました。企業家が負うべき社会的責任を広く世に知らしめたという意味で、その功績はあまりに大きく、今も称賛の的となっています。

 その人にも若い頃に大きな失敗がありました。大原孫三郎はいわゆる立志伝の人ではありません。富豪の家に生まれ、我が儘放題に育てられた金持ちのぼんぼんでした。しかし、いつも大原家の息子として別格扱いされ、本当の友達ができなかったというのが、彼の深い悩みでもあったのです。15歳の時、彼は東京に出ました。東京では、「孫三郎君」、「孫三郎さん」と、自分を同等の友人として呼んでくれる友達がたくさんできました。しかし、真の友と見えた彼らも、実は田舎から金持ちのボンボンが出て来たということで、食事や、小遣いをたかるだけの人間ばかりだったのです。そうとは知らない彼は、借金までして「友達」の顔をした人たちから誘われるままに放埒な生活を続けてしまったのでした。

 そんな彼を変えたのは、石井十次との出会いです。孫三郎は、この本当の友人を通して、キリストに出会い、真の生き方を学び、それを実践したのでした。

 生涯において、このような本当の友達と出会えるということは何と大切なこと、そして幸せなことでしょうか。彼は死の日、一人息子を枕元に呼び寄せて、「昨夜は不思議な夢を見た。まさかと思うような人までが、自分の病気が全快するように祈ってくれていた。そういう人までが自分のために祈ってくれていると思うと、ありがたくて、ありがたくて」と話しながら、涙をこぼしたそうです。そして、その日の午後、64歳の生涯を閉じました。

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日本キリスト教団 荒川教会 牧師 国府田祐人 電話/FAX 03-3892-9401  Email:yuto@indigo.plala.or.jp