片岡健吉(1844-1903)は、幕末から明治前半にかけて、自由民権運動の立て役者である板垣退助らと共に国会開設に向けて尽力し、国会が開設されると衆議院議長も務めた優れた政治家です。
片岡と板垣とは共に坂本竜馬を生みだした高知出身でした。年齢も近く、家も近かったそうです。片岡がキリスト教信仰を求めたのは板垣の影響だとも言われます。板垣は西欧の立憲政治がうまく機能しているのは、主としてキリスト教道徳が背景にあるからだと考え、人々にキリスト教の効用を説きました。しかし、板垣自身はすすんで教会へ足を運ぶことはなかったというからちょっと不思議です。
一方、片岡はキリスト教信仰を熱心に求めるようになり、宣教師ジョージ・ノスから受洗。高知教会長老となり、同志社学長、東京YMCA理事長、日本基督教伝道局総裁などを歴任してキリスト教界のために多大な業績を遺しました。
1887年、片岡は三大事件建白運動(外交失策の挽回、地租軽減、言論集会の自由を求める運動)を繰り広げたことにより検挙され投獄されます。入獄中、便所掃除を命じられた片岡は元土佐藩士であり、戊辰戦争にも従軍した軍人であっただけに非常に屈辱を感じ、便所掃除は表面的にやって誤魔化していました。
しかし、監房の中で差し入れの聖書を読んでいるうちに、キリストが最後の晩餐の時に弟子たちの足を洗われた記事に出会い、心を打たれ、悔い改めて入念に便所掃除をするようになり、さらに「今後はこのイエスの洗足の精神に生きよう」と決意したといいます。
常に洗足の精神に徹し、温厚篤実な公僕として仕え、大変人望があり、衆議院議長にも選ばれた彼は、「選挙の妨げになるから教会の長老を辞退するように」と勧められたとき、「衆議院議長であるよりも教会の長老でありたい」と否んだとも言われます。
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