キリスト教人物小伝(04)
J.S.バッハ(1685-1750)

 ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)は、ドイツ・チューリンゲン地方のアイゼンナッハに生まれました。アイゼンナッハ近郊には、ルターが聖書のドイツ語訳を完成させたヴァルトブルク城がそびえており、バッハはルター派の信仰をもった敬虔なクリスチャンでした。

 バッハは9歳の時にお母さんを亡くし、10歳の時にお父さんとも死別します。その後、14歳年上のお兄さんのもとに引き取られ、オルガニストをしていたこのお兄さんから音楽の教育を受けました。子供の頃から、バッハは非常に勉強が好きで、たとえば、夜、鍵のかかった戸棚の隙間から手をつっこんで、お兄さんの楽譜を取り出して、月の光で楽譜を写したそうです。バッハ自身、「私は非常によく勉強した。だれでも私ぐらい勉強すれば、私と同じぐらいにはなれるだろう」と言っています。もちろん、バッハが努力の人ではなく、優れた才能の人であったことは間違いありませんが、それほど勤勉であったということなのです。

 18歳のとき、バッハは、アルンシュタットという町の教会オルガニストになります。この頃から本格的な音楽活動が始まり、32歳で宮廷楽士になり、38歳でライプツィヒの聖トーマス教会の音楽監督になります。バッハは68歳で天に召されるまでこの職を続けました。

 ルターは「音楽は神のすばらしい賜であって、本来神に発するものであり、すぐれた音楽は様式を問わず神を讃えうる」と言っています。ルターを心の師と仰ぐバッハの宝石のごとき曲の数々も、すべて神に捧げるために書かれたものでした。

 彼は自筆楽譜の最後に「SDG」というサインを残しました。「Soli Deo Gloria」の略字で「神のみに栄光あれ」という意味です。弟子たちに教えるときにも、「音楽の目的は第一に神に栄光を帰し、そして、隣人に喜びを与えることだ」と繰り返し語ったと言われます。

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