プチジャン神父は、現存する最古の天主堂(教会)で国宝に指定されている大浦天主堂を建てたフランス人宣教師です。
教会を建てるにあたってプチジャン神父には一つの念願がありました。多くの殉教者を出した長崎にはきっと信者の種が隠されているに違いない、教会ができればすぐにでも名乗り出てくるだろうと期待していたのです。ところが献堂式の日には日本人はだれも姿を見せません。それでも諦めないで、神父は町々村々にでかけてキリシタンらしい人はいないか、家はないかと訪ねて歩きました。子供にお菓子を与えて、食べるときに十字をきりはしないかと気をつけてみてみたり、わざと落馬してキリシタンなら思わず助けてくれはしないかと試してみたり、いろいろとやってみました。しかし、みんなあてが外れて信者らしい人とは一人も出会えませんでした。
ひと月あまりを経た3月17日の昼下がり、教会の前に十数名の男女の農民がやってきました。プチジャン神父は、ただ好奇心で教会を見物に来た人とは何か違うものがあると感じ、彼らを教会の聖堂へと導き入れました。彼らは物珍しげに、きょろきょろしながら後ろからついて堂内に入ってきます。そして聖堂の中にも窓の外にも、役人らしい人影がいないのを確認すると、ひとり婦人が胸に手を当てて神父の耳元にこうささやきました。
『ワレラノムネ アナタノムネトオナジ(ここにおります私たちはみな、あなたさまと同じ心でございます)』
この言葉を耳にしたとときのプチジャン神父の驚きと喜びは、いまの私たちには到底察しえないでしょう。このとき250年間地下に潜伏していた日本のキリシタンたちが復活したのです。驚きながら立ち上がろうとする神父にその婦人はたたみかけるように聞きました。
『サンタ・マリアのご像はどこ』
神父が聖母像の前に案内すると、みんなが集まってきて「本当にサンタ・マリアさまだよ。御子ゼススさまを抱いていらっしゃる」と言うのでした。
250年7代にわたる長く厳しい禁教下で、親から子へ、子から孫へと密かに信仰のともしびをともし続けた人々がいたことを見いだしたこの驚くべき出来事は「信徒発見」と言われ、宗教史上の奇跡とまで言われています。
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