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エルサレム近郊のベタニヤという主が格別に愛された村がありました。その村に、これまた主が格別に愛されたマルタ、マリア、ラザロという兄弟姉妹が住む家があります。今日のお話しは、この主が愛し給う兄弟姉妹のラザロが病にかかり、ついに死んでしまったという話です。
しかし、イエス様は「わたしを信じる者は死んでも生きる」と言われまして、すでに墓に葬られて四日も経っていたラザロを死者の中から甦らせてくださいました。これが「ラザロの復活」と言われる奇跡物語の大要なのです。
ラザロと言いますと、先週は「金持ちとラザロ」というイエス様の譬え話をしましたから、あの乞食のラザロと何か関係があるのだろうかと思われる方もあるかもしれませんが、まったく別の人間の話しだとお考えいただきたいと思います。
さて、今日はその序章なのですが、その前にイエス様のご生涯の流れというものを、もう一度確認しておきたいと思うのです。ここしばらくイエス様の譬え話についてのお話しが続きました。それで、イエス様のご生涯の流れというものが少しわかりにくくなっているかと思うのです。
イエス様の伝道期間はおよそ3年間でありましたが、そのほとんどは都から遠く離れたイスラエル北部のガリラヤ地方での伝道でありました。ガリラヤとは「周辺」という意味でありまして、その名の通り、都から遠く離れた辺境の地にあります。イエス様の福音宣教が、エルサレムを中心とした南部ではなくて、北部のこのような辺境の地を中心にして行われたということはたいへん意義深いことなのです。
当時、ガリラヤは「異邦人のガリラヤ」と言われたり、「ガリラヤからは偉大な預言者はでない」という教えがまことにしやかに流布したりしていました。もちろん、こういうことは中央の人たちが勝手に言うわけですが、神の都から遠く離れたガリラヤは、神様からも遠く離れたところであるという考えが、中央の人にはあったようなのです。しかし、イエス様は、そのように神様からもっとも遠いとされる所こそ、神様の愛にもっとも近いところであると仰って、まずそのような所から福音宣教を開始されたのでありました。
これは単に地理的な意味ではありません。世の中には日陰者といいますか、人間社会の隅っこで肩身の狭い思いをしながら生きている人や重荷を負って生きている人たちがおります。病人、障害者、乞食、ならず者、売春婦、日雇い人夫、やめも、寄留者・・・このような人たちこそ、実は神様の愛のまなざしの下に生きているのであって、神様に招かれている者たちであるというのが、イエス様の伝道のスタンスだったのです。
F教会の信徒で、荒川区の社会福祉のためにたいへん良い働きをし続けてくださっているHさんという方がいらっしゃいます。私どもの教会の植木さんはボランティア活動を通じてHさんともたいへん親しくしておられるとのことですが、植木さんによりますと、関係者からは「福祉の神様」と言われて尊敬されている御方だそうです。
そのHさんは子供の頃に空襲で大やけどを負われまして、その傷で、今も両手の指がありませんし、お顔も酷いケロイドを残しておられます。それで子供の頃は学校にも行かせてもらえず、ずっと家の中に閉じこめられて、家庭教師を家に読んで勉強をなさっていたというのです。その家庭教師の中の一人に、Fの長老さんがおられました。その長老さんに誘われて、初めて教会に行くことになったというのです。
教会に行きますと、ある方が笑顔で近寄ってこられて、「よくいらっしゃいました」と言って、Hさんの指のない手を取り、本当に自然に握手をしてくださったといいます。その時に、「ああ、教会というのはこういう所なのだ」と知って、それが教会に熱心に通われるようになりました。「ああ、教会とはこういうところだ」というには、「イエス様とはこういう御方だ」ということでありましょう。このHさんがお感じになったイエス様の姿というのは、今申しました、中央ではなく、辺境の地で宣教されたイエス様のお姿にも通じることなのです。
さて、イエス様は三年間のうち約二年半をガリラヤ伝道に費やされるのですが、十字架におかかりになる半年ぐらい前に、エルサレムに上られます。そして、最初は密かに行動をしておられるのですが、やがてエルサレム神殿で人々に堂々と教え始められます。エルサレムの宗教指導者たちは、すでにイエス様のガリラヤでのお働きを知っており、そのことをを苦々しく思っておりました。とはいえ、遠いガリラヤでの話ですから、面だって迫害するということもありませんでした。
ところが、そのイエス様が自分たちの膝元であるエルサレムに来て、堂々と伝道を始められますと、これは黙ってはおれないということで、イエス様への迫害の機運が急激に高まっていくのです。それでも、イエス様はこのような人たちと直接対決(論争)をしながら、約二ヶ月にわたってエルサレムで伝道活動をなさったのでした。
このエルサレムでの伝道についてはヨハネによる福音書7章〜10章に記されています。このエルサレム伝道によってエルサレム市民の中にもイエス様を信じる者たちが大勢いたということも書かれていますが、その一方で宗教指導者たちのイエス様に対する敵意、憎しみは極まり、イエス様を殺害しようという所まで高まっていったのです。イエス様はこの間に二度、殺されそうになったということが聖書に書かれています。一つは8章59節、
「すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。」
もう一つは10章31節です。
「ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。」
そこで、イエス様は彼らの前から退かれて、エルサレムから一日ほど離れたヨルダン川の向こう側に行かれたということが、10章の終わりに書いてあるのです。
この「ヨルダン川の向こう側」はペレアといいまして、バプテスマのヨハネが洗礼を授けていた場所、ということはイエス様がヨハネから洗礼をお受けになった場所でもあります。イエス様はここで福音を宣べ伝え始めらました。ペレアの人々はバプテスマのヨハネの教えを受けていましたから、イエス様の教えを聞き、御業を見ると、「ああ、まさしくこの方こそヨハネが言っていた通りのお方だ」と言って、イエス様を信じたと、聖書に書かれています。これまで『ルカによる福音書』からいくつかの譬え話を学んできましたが、これらの譬え話はおそらくこのペレア伝道においてなされたものであろうと思われます。 |
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さて、このようなペレア伝道の最中、ベタニヤ村のラザロの家からイエス様のところに使いの者がやってきました。3節を読んでみましょう。
「姉妹たちはイエスのもとに人をやって、『主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです』と言わせた。」
愛する者が重病である、これは大変なことです。このような知らせを聞きましたら、誰でもすぐにでも駆けつけて見舞いたいと思うのでありましょう。しかし、イエス様はそうなさいませんでした。「この病気は死ぬほどのものではない」と答えて、なお二日の間、ペレアに留まり続けたというのです。
これはどういうことなのでしょうか。「死ぬことのない病気だから、慌てていく必要はない」という意味でしょうか。もし、そうならば、イエス様はとんだ間違いを犯したことになります。ラザロは死んでしまうのです。イエス様のお力をもってしても、そのことは知り得なかったということになります。しかし、二日経って、イエス様はラザロの死を知ります。それで、慌ててベタニヤに向かわれたという風に読むこともできるのです。
もう一つ、考えられることがあります。ラザロの家のあるベタニヤというのはエルサレム近郊の村です。エルサレムから三キロぐらいしか離れていないのです。ところがイエス様は、そのエルサレムで宗教指導者たちに二回も殺されそうになったと、先ほどお話しをしました。それでイエスはペレアに退かれて伝道をしたわけですが、それからさほど日が経っていないのに、またエルサレムの方に行くということは、弟子たちも案じておりますように、大変な危険を覚悟しなければなりません。イエス様は、ご自分の身を案じられて、「きっと死ぬことはないから大丈夫だろう」と高をくくって、ラザロのところに行くことをためらわれた。しかし、ラザロが死んでしまったので、意を決してベタニヤに向かわれた、そういう解釈もあると思うのです。
どちらもありそうな話ですが、そうしますと5節が説明できないのです。5節に「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」とあります。このようにわざわざ断ってから、6節に「ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。」と、書いてあるのです。この5-6節は妙な文章でありまして、6節のはじめに「それだから」という言葉があります。つまり、「イエスはマルタとその姉妹、とラザロを愛しておられた。それだから、ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された」という風になります。
愛しているならば、何はともあれラザロのもとに駆けつけるはずだというのが、私たちの普通の感情です。しかし、聖書は、イエス様は愛していたからこそ、なお二日間、そこに滞在されたのだと、説明しているわけです。
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ここでちょっと視点を変えてみまして、マルタ、マリア、ラザロから見ると、この話はどうなるかを考えてみたいと思います。
「あなたの愛する者が病気です」と、イエス様に伝えさせたマルタ、マリアの気持ちを察すれば、それは祈るような気持ちと言っても良いでありましょう。私どもの祈りを聞いて、ラザロを病からお救い下さいということであります。また、このように言えば、イエス様のことでありますから、すぐに来てくださるという信頼もいたしておりましたことでありましょう。そういう信頼の言葉が、実は21節、また32節に書かれています。
「マルタはイエスに言った。『主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。』」
「マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、『主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに』と言った。」
マルタもマリアも、イエス様がいらっしゃるのは今か、今かとお待ちしていたのです。しかし、イエス様はいらしてくださらなかった。いや、来てくださいましたが、間に合わなかったのでした。
二人は、ラザロの亡骸を布で包み、イエス様なしで心細いお葬式を出し、墓に葬りました。私には二人の心の声が聞こえてくるような気がします。「分からないわ。私たちを愛してくださっていると思っていたのに、どうして主は私たちをこんな風に見捨てられるのかしら。せめてお葬式ぐらい顔をだしてくださってもいいのに。私たちが思うほど、イエス様は私たちのことを愛してくださっていなかったということなのかしら」
私たちも同じような経験をするのです。マルタとマリアのように「主よ、あなたの愛する者が病気なのです」と、まったく同じような祈りを捧げたことのある人もいるかと思います。病気に限らず、私たちは窮地に立たされると、イエス様を呼び求めるお祈りをするのです。
ところが、ついにイエス様は答えてくださらなかった。そして、心配をしていた最悪の事態がついに起こってしまった。そのような経験をしたことがあるのではないでしょうか。イエス様は、本当に私のことを愛してくださっているのか。私の祈りを聞いてくださっているのか。私の救い主なのか。そのような懐疑にとらわれてしまったということがありませんでしょうか。 |
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そのようなことについて、聖書は、まことに奇妙な言い方ですが、それはイエス様があなたを愛しておられたからだ、といっているわけです。これはいったいどういうことなのでしょうか。
まず、冷静に考えてみますと、イエス様はラザロの家に行かなかったのでありません。死後四日も経っていましたが、確かにイエス様はラザロの家に行きました。しかも、弟子たちは「また石で打ち殺されそうになるかもしれない」と心配したのに、イエス様はひるむことなく、「いや、私はラザロを起こしに行くのだ」といって、ベタニヤに向かわれたのでした。この時、トマスなどは「私たちも行って、イエス様と死のうではないか」とまで言っています。それほど生々しい危険がエルサレムにはあったのです。
では、なぜイエス様はすぐに行かなかったのかという問題が起こってきます。結論から申しますと、確かに、イエス様はすぐには行きませんでした。しかし、イエス様は、決して遅刻したのではありません。ようはタイミングの問題です。「時」には、人間の考える「時」とは違った神の「時」というのがあるのです。イエス様の到着は、マルタやマリヤの考える「時」からみれば、まったく手遅れと言うほど遅かったのですが、神様のお考えになる「時」からすると、決して遅刻ではなかったのです。
たとえば、私たちも「禍転じて福となる」とか、「失敗は成功の母」というではありませんか。それは、「もう駄目だ」というような禍や失敗も、決して本当のお終いではなく、そこから更に尚物事が進み、新たな局面に展開していくということを言い表しているのです。それだけではなく、そのように苦しみや失敗を経験して到達した幸せの方が、それを知らないでいる幸せよりもずっと大きく、深いものであるということがあるのです。
神の時というのは、そういう先の先まで考え尽くされた時であります。今という一瞬だけを見たら、こんな不幸はないと思えることもありましょうが、それもまた神様が深い御計画の中で私たちに与えておられる恵みの時、救いの時なのです。
ですから、聖書には、「神を愛する者、すなわち御旨により召されたる者の為には、凡てのこと相働きて益となる」(ロマ書8章28節 文語訳)と言われています。神様を信じる者にとっては、どんな禍も、失敗も、決して万事休すとか、絶体絶命とかということはないのです。イエス様が共にいてくださるならば、どんな時にも希望があります。人生におけるどんなマイナスの出来事であっても、そこから大きな祝福の時、救いの時に向かわせてくださる神様が、私たちの人生には共にいてくださるのです。
そうしますと、ラザロの死もそうでありまして、死という現実さえも、神様にとっては決して最終的な結果ではありません。そこから物事を祝福の時、救いの時に向かって動かすことができる、そういう一コマに過ぎないのです。
イエス様は、このような神様の時、神様の栄光が現されるのだということを確信しておられました。ですから、「これは死に至る病ではない。神の栄光が現されるためなのだ」と言われ、二日間の時をおいて、ラザロのもとに行かれるのです。そして、17節以下へと物語は展開していくのですが、今日はここまでしておきましょう。 |
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible
Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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