重い皮膚病の癒し
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書 マルコによる福音書1章40-45節
旧約聖書 列王記下7章3-11節
重い皮膚病
 今朝は「重い皮膚病の人の癒し」というお話しですが、その内容に入る前に、ちょっと翻訳上のお話をしておきたいのです。

 すでに気になっている方がいらっしゃるのではないかと思いますが、お用いの聖書には「重い皮膚病」ではなく「らい病」と書かれているという方がいらっしゃるのではないかと思います。実は、同じ新共同訳聖書でも、最初の頃のものは「らい病」となっておりまして、その後「重い皮膚病」に改められたという経緯があります。教会備え付けの聖書は「らい病」となっています。

 ご承知のように、「らい病」という言葉は、患者さんに対する差別と一緒に使われてきた病名です。「らい病」は確かにむごい病気でありまして、症状が進むと、顔つきが崩れてしまったり、手の指が失われてしまったり、関節が曲がったままになってしまったり、歩けなくなったり、失明したりすることがあります。そういう見た目の症状から、らい病の患者というのは世界中で凄まじい差別と偏見を受けてきたのでした。

 日本でも、らい病になると家の奥深くとか、土蔵に籠もって人目につかないように生きるか、故郷を出て物乞いとなり、神社仏閣にたむろして露命をつないで生きるとか、そういう運命でありました。明治時代の1907年になりますと、らい病の患者を死ぬまで強制隔離する法律ができます。明治時代はまだそれほど厳しくなったようですが、昭和になりますと警察まで出てきて、しらみつぶしに患者を捜し出し、まるで危険人物であるかのようにらい患者を強制隔離していったそうです。

 これは公衆衛生上仕方がないことだったとは決して言えないことです。なぜなら、明治時代に最初の法律ができるときにはすでにらい病というのは、結核なんかよりずっと感染力に低い病気であるということが分かっていたからです。さらに1941年には、画期的な治療薬も現れ、らい病というのは自宅で簡単に治療することができる病気となりました。ところが、法律が廃止されるどころか、1953年に新たに「らい予防法」ができ、それがついこの前と言っても良い1996年に廃止されるまで続いたのです。

 らい患者に対する法律というのは、公衆衛生上の法律ではなく、らい患者に対する偏見と差別による法律だと言われても仕方がない、とんでもない悪法だったわけです。

 今はようやく国も責任を認めて、患者たちへの賠償に応じたり、法律用語としても「らい」という言葉を用いることをやめ、菌の発見者にちなんだ「ハンセン病」に改めるなどの措置がとられるようになりました。言葉を変えるだけで差別や偏見がなくなるかといえば、そう簡単なことではないかもしれません。しかし、この病気を偏見ではなく正しい知識をもって知り、忌まわしい過去を脱出するという意味では、大切なことであろうと思うのです。

 最近では、やはり偏見や差別をもってみられていた分裂病という病気も、統合失調症という新しい病名に変えられました。このような名前の変更には、同じような意味合いがあるわけです。聖書も、らい病という言葉から連想される偏見とか、差別とか、そういうものが患者の苦しみであったり、差別を助長したりすることがないようにということで、「重い皮膚病」と訳しかえることになったのです。

 それなら「ハンセン病」と訳しても良さそうなのですが、そもそも聖書にあるこの病気は、今で言う「ハンセン病」とは違う人たちも含まれていたのではないかということが、明らかにされてきています。たとえば旧約聖書でかつて「らい病」と訳されていたものには、人間だけではなく、家や衣服のらい病ということが出てくるのです。もちろん、家や衣服がかかるらい病なんてものはないのでありまして、これはらい病とはまったく別のものを指しているわけです。それから新約聖書で「らい病」と訳されてた病気にしても、似たような症状を起こす皮膚病がすべて含まれていたと考えられています。

 そんなことから、これがはっきり「ハンセン病」ともいえないわけで、「重い皮膚病」という訳になったということなのです。
決死の行動
 さて、今日のお話ですが、一人の重い皮膚病を患った人がイエス様に近づいてきて、その足下にひれ伏したとあります。

 たとえ聖書の訳が「重い皮膚病」という新しい言葉になっておりましても、その背景にはたいへん根深い差別、偏見があったということを忘れてはなりません。これは、やはりただの病気ではないのです。世の中の差別と偏見によって苦しめられた病気なのです。

 もしもハンセン病だとするなら、病気そのものの苦しみも、痛みが伴い、自分の顔が変わっていってしまうとか、関節が曲がらなくなってしまうとか、目が見えなくなってしまうとか、本当に苦しい辛い病気です。けれども、それ以上に彼らを苦しめ、絶望においやったのは、世の中はお前は汚れた人間なんだ、みんなと一緒に生きていくことが許されない人間なんだといって、社会の外に放り出し、見捨ててしまったことにあったのでした。

 イエス様の時代のイスラエルもそうでした。重い皮膚病の患者は神様からの罰とされ、人々から疎外され、町の外に住まなければなりませんでした。もし、誰かが不用意に患者に近付くならば、患者は自分で「わたしはらい病です。汚れた者です」と大声で叫ばなければならないという義務さえもありました。

 旧約聖書にも隣人を愛しなさいと教えられているではないか、それなのにどうしてそんな酷いことになっているのか、とおっしゃるかもしれません。しかし、重い皮膚病の人は、すでに我々の隣人ですらないと見なされていたのです。

 そういう状況の中で、一人の重い皮膚病を患った人がイエス様に近づいてきたということを、私たちはよく考えてみたいと思うのです。信仰というのは、この人がしたように、イエス様を救い主と信じて、イエス様に近づくことです。私たちも少しでもイエス様に近づこうとして聖書を読み、お祈りをし、教会に行くわけですね。そして、十字架の前にひざまずいて洗礼を受ける。聖餐に与る。これが信仰です。

 ところが、これがただそれだけのことのようでありながら、それは決して簡単なことではないんですね。たいへんな決心のいることなのです。たとえば、悩んでいる人、苦しんでいる人に、教会にいらっしゃいと誘っても、なかなか「うん」と言ってくれない。それはイエス様の救いを疑っているということばかりじゃなくて、家族の問題があるからとか、仕事が忙しいからとか、あるいは自分のような人間にはその資格がないんじゃないかとか、人によって色々な理由があるのです。そういうことを乗り越えて、はじめてイエス様に近づくということができるのです。

 ある人が、「信仰とは死に瀕した人の反作用である」と言いました。難しい言い回しですが、要するに「窮鼠、猫を噛む」の心境だと思います。追いつめられて、もう後には死があるのみという時に、人間は自分を顧みない思い切った行動に出ることがあるのです。

 信仰も、いろいろな理屈とか、いろいろな事情とか、そういうことを言っているうちには、まだ本当にイエス様に近づこうという決心ができないのであって、そんなことを言っている余裕もなくなってしまうほどせっぱ詰まった時にはじめて、よし聖書を読んでみよう、よし教会にいってみよう、よしお祈りをしてみようという本物の決心ができるのだというのです。

 重い皮膚病の人もそうです。さっきももうしましたように、この人は汚れた人間、神様に近づくことができない人間、イスラエルの同胞からも蔑まれ、隣人とみなされない人間とされていたのです。果たして、イエス様という方は、こんな自分を受け入れてくれるのだろうか、そういうことを悩み抜いたに違いないと、私は思います。けれども、このままであったらそれこそ死ぬしかない。そこまでせっぱ詰まっていたからこそ、決死の覚悟でイエス様のもとに近づいてきたのだと思います。
痛みを感じられるイエス
さて、41-42節にこう書かれています。

 「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。」

 イエス様は、この人のそういう苦しみ、悩み、そして決死の覚悟というものをすべて察して、深く憐れまれたのでした。

 この「深く憐れむ」という言葉は、内蔵が動く、内蔵に痛みを覚えるという意味合いの言葉が用いられているそうです。実際に胸が苦しくなったり、お腹が痛くなるぐらいの激しい感情をもって、この人を憐れまれたということなのです。それはこの人の痛みを自分の痛みとしてお感じになられたということではありませんでしょうか。

 イエス様の痛みと言いますと、必ず思い起こす話があります。

 荒川教会の二十周年誌にのっている話ですが、ある日、勝野和歌子先生が教会学校の子どもたちが外で遊びながら話しているのを聞いていると、一人が「イエス様は、十字架にかかって、槍で突かれた。血が出て死んだのや」と言い出しました。「痛かったろうな」「痛いもんか、イエス様は神様じゃ、とイエス様が言ったよ。神様なら、いたくもなんともねえや!」と、イエス様について子どもたちが話しているのが聞こえてきました。

 勝野先生は、子どもたちの心にどんな風にイエス様のことが響いているのかなと聞き耳を立てていたんだそうです。するとトシちゃんという小学校にも上がらない子供が、「ちがうよ、痛かったんだよ。イエス様はな、痛かったんだが、こらえていたんだよ。だけど泣きやしなかっただ」といったので、先生は非常に心を打たれたということです。

 その後の話もあります。ある日、トシちゃんが勝野先生のところにきました。トシちゃんは友達にいじめられて、石を投げて反撃をしようとしました。でもその時、「父よ、彼らをゆるしたまえ」という十字架上のイエス様のお祈りを思い出して、「先生、ぼく悔しかったんだけど、石をぶつけることをやめた」と話したそうです。

 子供なりに、イエス様が十字架の痛みをこらえてくださったということを知っているトシちゃんは、子供なりに自分も痛みに堪える力を持って生きています。イエス様の痛みは、私たちのためです。私たちを罪や憎しみから清め、痛みに耐える力を与えるためなのです。

 今日の話では、十字架ではありませんが、イエス様が重い皮膚病を患った一人の哀れな人間の悩み、苦しみを思って、ご自分の胸を痛め、苦しんでくださっているのです。深い憐れみを催してくださっているのです。そこには十字架に通じる愛の痛みがあります。そして、そこからイエス様の御手が、この人の方に差し伸べられ、この人にさわります。そこに奇跡が起こったということなのです。

 重い皮膚病の人にさわると、「よろしい、清くなれ」と、イエス様は言われたとあります。文語訳聖書では、「わが心なり、清くなれ」です。イエス様は、神様だから病気を治すのも、罪を赦すのも、何の苦労もない、お茶の子さいさいだと思ってはいけないのです。イエス様はミラクルな力で人を救われるのではありません。人の病を、苦しみを、痛みをご自分の心として負われる愛の力で、そのお心の苦しみをもって人を救われるのです。
わが心なり
 今日のお話しをまとめてみましょう。今日のお話しは、病の癒しの話ではあります。けれども、一つ特徴がありまして、今まで悪霊に憑かれた人が悪霊から解放されたり、ペトロの姑が癒されたり、イエス様のもとに大勢の病人が連れてこられてそれをことごくお癒しくださったという話がありました。けれども、病人が自分からイエス様のもとにきて、ひれ伏して、「救ってください」と言ったという話は、今日がはじめてであったのです。

 それは見方を変えれば、彼が重い皮膚病であるがゆえに、人々から見捨てられた人間であるがゆえに、誰も彼を助けてくれる人がいなかったということです。だから、決死の覚悟で、自分でイエス様のふところに飛び込んでいきました。そこには、信仰の姿があるのです。

 イエス様は、この人の苦しみをすべて理解し、自分の心で感じ取ってくださいます。そして、この人に触れます。この人は、重い皮膚病にかかってからこの方、誰も彼に手を伸ばして触れようとする人間などいませんでした。しかし、今、自分を隣人として愛し、自分に触れてくださる方に出会うのです。そして、「私の心だ。清くなれ」というお言葉を聞きます。イエス様の愛の力が彼の全身を包む、奇跡が起こるのです。

 イエス様とはこういう御方です。見捨てられた者を見捨てず、友なき者の友となり、たとえ私たちがどんな者であっても、その悩みや苦しみを一緒に感じ取ってくださり、救いの手を差し伸べてくださるのです。そして、「わが心なり」と言ってくださるのです。

 そのようなイエス様を、心から愛してこの一週間も導かれて参りたいと思います。
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